なんでもかんでも「男の影響?」にうんざり

「女が洋楽を聴いてたらだいたい男の影響」みたいな言説がある。今さら反論する気力も起きないので特に言うこともないのだが、女が女らしくない趣味を持っていると、いまだによく言われることではある。

そして、本当に女が自主的にその趣味を選択して好んでいる、とわかった瞬間、「◯◯女子」的な言葉でくくられたりする。

最初は単にそのジャンルを好きな女子のことを指していたはずの言葉が、「◯◯って男の趣味のはずなのになぜ女が!?」「女が好きになるからには何か流行とかがあるに違いない」といった感じで意味が書き換えられていくのを見たり、「なぜ女がこれを好きなのか」という理由をいちいち求められたりするのを見たりしていると、「そんなに女って何もわかんない馬鹿か、男とはまったく違う生物だと思われてるのかな?」という気持ちになってくることがある。

「若い女は、恋愛のことしか考えてないから、なんでもかんでも男の影響」と言わんばかりの論旨の立て方にもうんざりだし、服装やメイクが変わっても、新しい趣味ができても、いいお店や面白い場所を知っていても、なんでもかんでも「男の影響?」と言われるのには、「そんなに世界狭くないですけど……」という異議を申し立てたくもなる。

なぜ「男の影響」だけが馬鹿にされるのか

でも、「男の影響」の話に戻ると、私は別に、男の影響でもいいじゃないかと思うほうだ。何かを知ったり好きになったりするのは、なんらかのメディアを通してピンと来て好きになる、というのもあるが、周囲の人間にすすめられたり、周囲の人間がハマっている様子を見たりしたのをきっかけに好きになるケースも多いはずだ。実際に接触のある人の意見が入ってくる力は、強い。信頼のおける情報だから、強度が全然違う。男の影響で何が悪いんだ、というのが本当のところだ。

友達や家族の影響なら別にいいのに、なぜ「男の影響」だけが馬鹿にされた感じで語られるのかが、私は不思議だった。

「恋愛」が馬鹿にされている……?

そこのところをよく考えてみると、日本では(いきなり規模のデカい話になってすみません)、いまだに「セックス」っていうことが、恥ずかしいもので、馬鹿にされるものであって、セックスが付随する「恋愛」も、小馬鹿にされる対象だからなんじゃないか、という気がしてきた。

深く付き合う相手である恋人から影響を受けるのは、普通のことだと思う。そもそも何か通じるところがあるから付き合うわけであって、影響を受けるなんて当たり前じゃないかとも思う。そして、それは男女相互に行われることのはずだ。

恋愛といっても、それはいろいろある人間関係のひとつなのに、恋愛だけが浅はかで軽いもののように言われたり、半笑いで語られたりすることが多いのは、やっぱり、セックス込みだからなのではないか、と思う。男から女への影響のほうが多く語られがちなのは、セックスに対する幻想(男が女を開発する的な……)と、恋愛に対する幻想が相似形をなしているからではないだろうか。

そして、恋愛というものが、「結婚」よりは劣った、不安定な関係のように考えられているからではないか、とも思う。

結婚も育児も推奨されているのに、いや、推奨されているからこそ、それに至らない「恋愛」というものが、産むまでの時間を長引かせるろくでもないもののように見られることも多くなっているように感じる。さっさと恋愛なんか諦めて、条件を決めて結婚をせよ、そして子供を産め、というのが、親戚レベルで投げかけられる「世論」である。

恋愛って、別に、時間を浪費するだけの遊びではないのになぁ、と思うけれど、どうも世間の風は違う向きに吹いているような気がしてしまう。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。著書に「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』、対談集『だって、女子だもん!!』(ともにポット出版)、マイナビニュースでの連載を書籍化した『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『東京を生きる』(大和書房)がある。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『SPRiNG』『宝島』などで連載中。最新刊は、『自信のない部屋へようこそ』(ワニブックス)。

イラスト: 冬川智子