じつは水軒駅という駅のことはなにも知りませんでした。南海電車の南の果て、和歌山港駅のさらに先にある駅で、今回取り上げることになって初めて知った駅です。駅といっても2002年に廃止になってるので、正確には「駅の跡地と廃線敷を見に行く」ということなのですが。
さて、さあ行こうかと調べてみると、この和歌山港駅というところ自体がかなりの難敵であることが判明しました。とにかく、列車の本数がないのです。和歌山市駅発10時10分の後、13時5分までありません。筆者の家は兵庫県の阪神電車沿線なので、午前中の早い時間に和歌山に行くのはつらいのです。だからほとんど自動的に、この13時5分の電車に乗ることになりました。
電車が和歌山市駅を出ると、13時9分にはもう和歌山港駅に到着です。たった4分間の「ローカル鉄道トリップ」、楽しむ間もありません。お弁当はおろか、みかんひとつ食べる間もない、慌ただしい道中と言いますか。
はたして和歌山港駅は、なかなか「最果て感」のある駅でした。盛土の上にある駅で、降りていくとそのまま南海フェリーの乗り場につながっています。そう、ここからフェリーに乗り継いで四国の徳島へ行く、そういう人のための駅なのです。だからこのまばらな運行ダイヤも、すべてフェリーの時刻に合わせた結果なんですね。筆者もなんとなく、ふらふらと船に乗りそうになってしまいましたが、徳島へ行ってしまうと地元に帰れなくなるのは間違いないので、そこは踏みとどまってフェリー乗り場の外に出ます。
この日の目的地・水軒駅があった場所は和歌山港駅のさらに先です。そちらに向かって広い道路が延びてますので、ぼちぼちと歩き出します。程なく左手に、大きな工場が現れます。花王の工場のようです。
工場を眺めていて、ふと思い出しました。そういえば筆者がまだ小学生の頃、学校からここへ社会見学に来たよなあ、どうやって来たかとか全然忘れてるけど、ラインで箱が組み立てられるところを見たよなあ……と。そんなこんなの記憶が不意に蘇ってきたのです。もう40年近く前のことですが。
時の流れの恐ろしさに思いを巡らせつつ、どんどん歩きます。工場の先、左手の一段高くなったところに、ずーっと線路跡らしきものが続いています。道路を渡って確認してみると、はびこった草の下にバラストが見えます。枕木もレールもありませんが、これが線路跡で間違いないでしょう。それは延々と続いていました。
そう、水軒駅まで歩くとけっこう遠いのです。あらかじめ調べてわかっていたはずなのですが、当時の営業キロで和歌山港駅から2.6kmあるのです。まだまだ寒かった冬の日、ひとりでとぼとぼ歩いていたら、寂寥感で胸いっぱいになるのに十分すぎる遠さなのです。空の上からトンビが筆者を見ているようです。トンビは仲間まで呼んだらしく、2羽、3羽と増えていきます。心細さ満開です。
トンビ以外に変化のない景色の中を歩いて歩いて、ようやく水軒駅らしき場所にたどり着きました。「らしき」というのは、まったくなにも名残がないからです。
少し広い空き地があって、ドッグランが整備されていて、昔の堤防の石積みが再現されていて。でも、「かつてここに水軒駅がありましたよ」という看板も記念碑も、なにもないのです。それはもう、見事になにも。ただ、下調べしていたときに、「水軒駅の跡地に古い防波堤の石積みが移設された」という記事を見たので、おそらくここが駅のあった場所なんだろうという、ただそれだけなのです。せっかくここまで歩いてきたのに……。
いつの間にか、トンビは10羽以上に増えていました。振り向くと、目の前にはたったいま歩いてきた道が、和歌山港駅方面に続いていました。そう、延々と。
その後、なんとか和歌山港駅まで戻ったのですが、鉄道の連載にもかかわらず、今回ここまでまったく電車の写真がない、という事実に気づかされました、しかたなく駅から少し歩き、南海電車を撮りました。本当だったらそれに乗って帰るつもりだった列車の写真を。また1時間単位で、帰るのが遅くなりました。