歳をとると、決まってやるのが昔は遊んだ、昔は悪かった、昔は遊んだ、そして昔はモテた、という自慢である。それを昔は苦労した、もっと真剣に生きていた、「それに比べて今の若いヤツは」と同一人物から続くので、いつの時代も若者は戸惑ってしまう。遊べば遊んだで不埒だと、真面目にやればやったで人間味に欠けると……。

まあ、それが老化だと思えば腹も立つまい。これに糖尿だ、痛風だ、ヒザが痛い、腰が痛い……と、病気自慢が続けば、もはや末期現象と思うことだ。まあ笑っていたところで、やがて誰もが味わうことなんだけどね。

それはともかく、自分が昔、モテたという男が、果たしてどれだけモテたかという問題である。

正直に白状しよう。初めてボクが女性と性交渉を持ったとき、いわゆる初体験を経たとき、非常に虚しい気持ちになった。上手くいかなかったとか、思ったより気持ちが良くなかったとか、相手の女性に罵られたというわけではない。正直、気持ちも良かったし、実感なのか錯覚なのか、大人になった気にもなった。しかし、である。

当時、日本の人口が約1億人。女性は半分の5,000万人。そこから15歳以下と40歳以上(当時はやはり母親の年齢が女性をオンナとして見るときの基準であって、さすがに17歳の少年が母親の年齢以上の女性との性交渉など想像だにできなかったものだ) を差し引けば、ざっと2,000万人といったところか。では、ボクはその2,000万人とSEXのできる可能性がどれだけあるのか? そう考えると、いやはやたった一人と事に及んだボクの下半身は、みるみる萎え、縮んだのである。

もっとも1人1分で事を終えたとして、2,000万人とし終えるのに2,000万分、時間にして約333,333時間、日数にして約13,889日、年数にして約38年もの歳月を要することになる。

ここで書いていて気がついたのだが、この数字はちょうどボクの初体験から今日までの、まさにその歳月である。38年間、2,000万人と1分間にわたって格闘していた人間がいたとしたらそれもすごいが、初体験からこんなことを38年にもわたって考え続けたボクも、ある意味ではすごいのではないか? もっとも当時のボクには、目の前の女性と巡りあい結ばれた「ありがたさ」を考える余裕などなく、2,000万人と戯れる「ありえない」ことを夢想する愚か者だった。その年月が18歳の少女を、56歳のおばさんに変える事実にすら気がつかずに……。

そんなことはどうでもいい。ボクも酒の勢いを使っては、若い連中をつかまえて「昔はモテた」といった類の、どうでもいい自慢話をする。しかし、これまで見てきたようにモテたの実態はこの程度だ。これが初体験が13歳だの、100人斬りだ、1,000人斬りだの、そんな自慢が果たしてどれだけの意味と価値があるのだろう。アインシュタインの「我々が知っていることなど、これっぽっちだ」の名言に倣えば、我々が知っている女のことなど、「これっぽっち」でしかない、のである。

だから女は奥が深い、などという気などさらさらない。女をもっと知れ、などと説教するつもりも毛頭ない。しかし男は歳をとれば、病気や昔は悪かったと自慢するように、必ず「昔はモテた」と自慢する動物なのである。それも、モテもしなかったのに。ただし、本当にまったく女性と付き合ったことがなければ、こんな自慢すらできない。リアリティもなければ、自慢よりも罪悪感が大きく、それに苛まれるからである。

恋愛で悩んでいる若者がいよう。恋愛ができないと嘆いている子羊もいよう。だが、安心せよ。ボクのような50歳台になれば、君たちのほとんどが「昔はモテた」と自慢するのだ。いまの悩みや嘆きなど、あと20年先、30年先の自慢のネタくらいに、軽く考えるべきである。

であれば、街に出よ。声をかけよ、ナンパせよ。あわよく喰えれば、それもまた良し!

本文: 大羽賢二
イラスト: 田渕正敏