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掃除をしたら「赤ちゃん用のガラガラ」が落ちてきた
今まで何回の引っ越しをして来ただろう。今年で38歳の僕は通算10回におよぶ。本連載の定義では「地元」は小中学校の学区内を指すのだが、小学生のときに実家が埼玉県所沢市から東京都東村山市に引っ越したので、地元は2カ所になった。といっても、現在は愛知県に住み、所沢と東村山には戻るつもりが全くない「非インテリヤンキー」の僕には関係がない。
生まれ育った実家から一度も出ることなく、大学卒業後の今も実家から会社まで通っている女性がいる。メディア関連企業で営業職を務める森田裕子さん(仮名、23歳)だ。
「今まで一度も引っ越しをしたことがありません。ベイビーの頃から実家で暮らしてきたので……。昔の写真を見ても、『ああ、家のこの場所だな』とすぐにわかります。こないだ自室の棚から(赤ちゃん用の)ガラガラが落ちてきました。私が使っていたものみたいです。いつか引っ越しをするのが怖いですね。モノが多すぎるし、家をどうやって選ぶのがわからない。引っ越しっていくらぐらいかかるんですか? どんな手続きが必要なんですか?」
家出したい高校生のような質問をしている森田さんだが、実家の場所を聞くと「ずっといるのも仕方ないか」という気がしてくる。東京都世田谷区の中でも高級住宅街と知られる地域に実家があるのだ。都心の繁華街まで電車で30分以内という驚きの立地である。
「買い物には意外と不便なんですよ。最寄りの駅周辺には文房具屋すらありません。沿線の街も栄えていて買い物もできる(東急)東横線にちょっと憧れがあります。通勤には会社の沿線の方が便利ですけど、実家が世田谷にあるのにどうして千葉県とかに住まなければならないんでしょうか」
江東・江戸川区民と千葉県民にケンカを売るような発言をする森田さんだが、 中央線沿線に10年近く住んでいた僕は、東京の西部地域に住むことにこだわる気持ちは少しわかる。あの「近所でも見知らぬ他人はいないも同然。親切も干渉もしない」という雰囲気が楽なのだ。
下町と言われる東部地域は濃密な東京原住民たち(リアルなヤンキー層も多い)の街であるのに対し、新宿・中野・杉区・世田谷・品川・目黒・渋谷・港の8区には上記の雰囲気が漂う。若い人が多く、住民の所得や学歴は高めで、地域のつながりは希薄だ。
女子校には「いろんな人に居場所があります」
「父は飲食店を経営しています。土日も仕事なので、子どもの頃から家で父を見ることは少なかったです。母は専業主婦ですが、地域密着度はゼロに近いですね。ご近所の人とも道で会えば挨拶を交わす程度で、右隣の家に住んでいる人は顔と名前が一致しません」
森田さんは小学校までは地元の小学校に通っていたが、中学校は当然のように都心の女子校を受験した。なんと学年の半数は「受験組」だったという。
「公立の中学校は『あまり勉強ができない人たちが行くところ』というイメージです。親も心配して受験を勧めました。中学受験では朝6時から夜遅くまで死んじゃうぐらい勉強したな……」
小学校時代の後半を捧げてまで受験に没頭したのは、進学意欲というよりも「共学ナイズされた地元女子と同じ中学校に行きたくない」という思いが強かったようだ。
「小学校は肌に合わなかったですね。スクールカーストがきっちりしていて、女同士のマウンティング(相手より自分が上だとアピールすること)が激しいので……。モー娘の加護ちゃんや辻ちゃんが着ていた『エンジェルブルー』(ナルミヤ・インターナショナルの子供服ブランド)の服を持っているかどうかだけで格付けされたり。そういうのって面倒くさいです。女子校には、話が面白いとか運動が得意とか見た目がカッコいいとか、いろんな人に居場所があります」
猛勉強の甲斐があり、森田さんは中高一貫の女子校に合格。運動部に入り、部活漬けの10代を楽しく過ごした。成人式も地元の会場には行かず、母校が都内のホテルで開いてくれた式に参加したという。
ただし、大学生になってから地元の「ラクさ」も発見した。それについては後編でお届けする。
(後編は9月18日の掲載予定です)
<著者プロフィール>
大宮冬洋(おおみや・とうよう)
フリーライター。1976年埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に就職するがわずか1年で退職。編集プロダクションを経て、2002年よりフリー。愛知県在住。著書に『バブルの遺言』(廣済堂出版)、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました』(ぱる出版)など。食生活ブログをほぼ毎日更新中。毎月第3水曜日に読者交流イベント「スナック大宮」を東京・西荻窪で、第4日曜日には「昼のみスナック大宮」を愛知・蒲郡で開催。
イラスト: 森田トコリ