友だちはUターン組

愛知県田原市で家業である農家を継いでいる青木恭一さん(仮名、38歳)。県外の大学を出て、東京で就職をした後にUターンをした理由は前編を参照いただきたい。後編では、農作業以外の時間は英語や音楽などの趣味にあてているという青木さんの地元生活をさらに聞いていく。

個人的に疑問なのは、地元に友だちがいるのかという点だ。僕の地元は東京都の西北に位置する東村山市で、同世代の大学進学率はおそらく半数以下である。学歴が異なると行動や思考、嗜好の範囲がズレることが多い。高校入学と同時に地元を離れた僕は、いわゆる「マイルドヤンキー」層とは話がかみ合わないこともある。青木さんは大丈夫なのか。

「幼馴染との付き合いもありますが、頻繁に会うのはUターンしてきた後にできた友だちですね。中学校時代はほとんど話したことのない同級生と大人になってから再会し、『話が合う!』と感じたことがあります。彼も県外の大学に行き、今は企業で管理職をしています」

地元で「気の合う人」と知り合う方法

独身者を中心にバンドを結成。「将来の自分たちの結婚式でやる曲を練習しています(笑)」

青木さんの話を聞いて思い出した。僕は2年前に東京から愛知県蒲郡市に移住した際、ある年上の女性から「地元でまったりと暮らしてきた人たちと今さら仲良くなるのは無理。ガイジン仲間を作りなさい」というアドバイスを受けた。「ガイジン」とは、IターンやUターン組だけではなく、地元できちんと住み暮らしながらも常に違和感や孤独感を抱えている人たちのことだ。小中学校時代はヤンキーたちを頂点とするスクールカーストの下位に甘んじてきた文化系男女であることが多く、外界との接触を渇望している。

ネットなどを使って探せば、彼らガイジンたちが集まる場所はどの街にもあり、そこに行けば必ず友だちが見つかるという。アドバイス通りに実践してみたら、確かにぴったりの喫茶店が見つかり、芋づる式に気の合う人たちと知り合うことができた。

ちなみに、蒲郡市から近くはない田原市在住の青木さんと出会ったのは、学生時代の先輩(彼は青木さんと高校時代の同級生)の紹介だった。お互いの中間地点であり、愛知県東三河地方随一の都会である豊橋市の街中が集合地点だ。

「車で1時間ほどで行ける豊橋では、週一で小学生に英語を教えています。でも、いずれは地元の田原市で英語塾を開きたいなと思っています。わざわざ豊橋の学習塾まで通っている子もいるのでなんとかしてあげたい。同時に、職業選びも含めた進路指導もしていくのが夢ですね」

「帰るところがあるって素晴らしい」

農業の他に収入を得るという狙いもある。現在、親子三人で年間3,000万円ほどの売上があるが、資材費や光熱費、繁忙期にパートを雇う人件費を引くと三人分として十分な金額とは言えない。生活には困っていないが、将来のことを考えると新たな食い扶持を模索したい。

「代替わりして僕が主軸になったら、常勤のパートさんを雇って農作業はできるだけお任せすることも考えています」

ただし、農家が家業であり、土地を含めて継承していくことには変わりない。子どももそろそろ欲しい。青木さんは現在、仕事はほどほどにして婚活に力を入れている。

「農業に対して理解がある人がいいのですが、必ずしも一緒にやってくれなくてもかまいません。いまやっている仕事があるのならばしっかり続けてほしいです」

地元に戻って家業を継ぎながら、外にも目を向けることを忘れない青木さん。その視点と能力を活かして、新しい事業にも乗り出そうとしている。進学と就職で外に出たことのある者の強みと同時に、揺るぎない基盤である地元に根を下ろしていることで得られる自由さも感じた。家族と地元に対する義務さえ果たしていれば、あとはやりたい放題なのだ。ここはホームなのだから。

「帰るところがあるって素晴らしいことだと思います」

青木さんの何気ない一言が印象的だった。

<著者プロフィール>
大宮冬洋(おおみや・とうよう)
フリーライター。1976年埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に就職するがわずか1年で退職。編集プロダクションを経て、2002年よりフリー。愛知県在住。著書に『バブルの遺言』(廣済堂出版)、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました』(ぱる出版)など。食生活ブログをほぼ毎日更新中。毎月第3水曜日に読者交流イベント「スナック大宮」を東京・西荻窪で、第4日曜日には「昼のみスナック大宮」を愛知・蒲郡で開催。

イラスト: 森田トコリ