広いようで狭い地元

都心まで遠くない東京都世田谷区の実家で生まれ育ち、現在も住み続けている森田裕子さん(仮名、23歳)。中学受験をして中高一貫の女子校に通い、女子大を卒業してからは都心の会社で営業職として夜遅くまで働いている。公立小学校時代の友だちは皆無で、地元への愛着は極めて薄い。

「学生時代に地元の飲食店でアルバイトしていたときは、沿線に住む友だちがいました。フリーターも学生も地元出身の人が多かったです。地元だと洋服も化粧も適当でOKなので楽ですね。あの頃、初めて地元で遊ぶ楽さを学んだ気がします。渋谷とか新宿で女子会をやったりすると、みんなが武装するから気を抜けないんです。ヒラヒラの服を着て、髪を巻いて、ヒールのある靴を履いて……」

森田さんの認識する「地元」とはどのへんを指すのだろうか。本人によれば、「実家の最寄り駅から数駅の範囲」だという。繁華街は近くても着飾る必要があるので地元ではなく、最寄り駅より数駅先は「出かける用事がない」。広いようで狭い地元である。

地元以上に楽で快適なのは、もちろん実家だ。専業主婦の母親(48歳)がいて、家事をすべてやってくれるという。

「夜に帰るとお風呂が沸いていて、洗濯物はカゴに放り込んでおくだけでアイロンがきちんとかかって戻ってきます。私は日付を超えるまで残業することもあるので、疲れてお風呂に入らずに寝てしまうと、翌朝は早めに起こしてくれて『シャワーだけでも浴びなさい』と言ってくれる。最高です……」

約20万円の給料(手取り金額)のうち、家に入れているのは3万円。残りは貯金と買い物に充てられる。はっきり言って、ボランティアの住込み女中がいるような状況だ。

「社会人になるまでは親が厳しかったんですよ。大学生になってからも門限があったので、飲み会が多いテニスサークルは親にいちいち反発するのが面倒くさくて辞めてしまいました。制限がなくなった今は、逆に家を使ってやろうという気分です。母とも仲が良くなりました。休みの日は一緒に買い物に行くことも多いです。3万円の家賃を入れ忘れていたりすると、少しずつ家事が止められてしまいますけどね」

生まれ育った実家でもいまも暮らす森田さん。部屋には「赤ちゃん時代のアルバム」もある

「私が家を追放される日ですね……」

なんともぬるい状況だが、母親からは「早く自立しなさい。30歳まで家にいられたら困る。何でも欲しいものを買うあなたは贅沢すぎる」と批判されている。母親はバブル世代だが、短大を卒業して一般職として働いてすぐに結婚し、25歳で長女の森田さんを出産した。森田さんには大学生の弟と高校生の妹がいて、現在に至るまで全員が実家に住み続けている。専業主婦としての母親は家事労働に追われ続ける日々だ。仕事は忙しいが家事はまったくせず、お金は自由に使えて、結婚や一人暮らしのそぶりも見せない長女を「ズルい」と感じるのは当然だろう。

「実家には人がいっぱいいて寂しくないし、家事を自分でするのは大変ですよね。やる気になれば私にもできると思いますけれど、たまに料理をすると、鶏肉を入れ忘れた水炊きとかサランラップがドロドロになって溶け込んでしまったグラタンができてしまいます」

森田さんがこのまま独身で働き、母親が元気でいる間は、この楽すぎる実家暮らしが続くのだろうか。一つだけ「不安要素」がある。

「両親はいずれ都内にいる祖父母と住むことを考えていて、そのときは『あなたたち3人のうちで最初に結婚した人にこの家をあげる』なんて言っているんです。共学育ちで『〇〇先輩がカッコいいの~』なんて食卓で平然と口に出す妹が真っ先に結婚する気がします。私が家を追放される日ですね……」

一戸建ての実家に核家族で住み続けながら、近所づきあいはなく、地元には友だちがほとんどいない森田さん。家を追い出されるのは、今までの生活をすべて捨て去ることと同義である。大きすぎる変化で良くも悪くも性格が変わるだろう。劇的なその日はいつか来るのだろうか。

<著者プロフィール>
大宮冬洋(おおみや・とうよう)
フリーライター。1976年埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に就職するがわずか1年で退職。編集プロダクションを経て、2002年よりフリー。愛知県在住。著書に『バブルの遺言』(廣済堂出版)、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました』(ぱる出版)など。食生活ブログをほぼ毎日更新中。毎月第3水曜日に読者交流イベント「スナック大宮」を東京・西荻窪で、第4日曜日には「昼のみスナック大宮」を愛知・蒲郡で開催。

イラスト: 森田トコリ