米住宅バブル崩壊が背景にあった「サブプライム問題」

平成20年(2008年)9月15日、米国の大手証券会社、リーマン・ブラザーズが経営破綻し、世界中がパニックに見舞われました。金融機関同士の資金のやり取りも凍りつくような信用不安が世界中に広がり、世界的な金融危機に発展しました。「100年に一度の経済危機」と言われたリーマン・ショックの勃発です。世界は同時不況に陥りましたが、中でもバブル崩壊以後20年近くにわたって経済低迷が続いていた日本への打撃は大きく、これによって日本経済は最大の危機に直面したのでした。

  • リーマン・ショックは弱っていた日本経済に追い討ちをかけた(写真:マイナビニュース)

まずリーマン・ショックが起きた背景から見てみます。米国では2001年のITバブル崩壊を受けて米国政府が景気対策を実施、FRB(米連邦準備制度理事会)も金融緩和を進めたことによってほどなく景気が回復し、やがて住宅バブルが起きるようになっていました。住宅価格の上昇が加速し、多くの人が値上がりを見込んで多額の住宅ローンを組んで住宅を取得するようになりました。

米国の住宅ローンには、通常のローンの他に、低所得者や過去に返済延滞歴があるといった信用力の低い人向けのサブプライムローンがありました。サブプライムローンは通常のローンより金利が高く設定されますが、当初の3年程度は金利を低く設定して借りやすくするのが一般的でしたので、多くの人がサブプライムローンを利用していました。

ところが2006年頃から住宅価格は下落に転じ始めます。ちょうど金利の低い時期が終わって金利が上がるタイミングと重なり、ローンを返済できない人が増え始めたのです。金融機関や住宅金融会社から見ると焦げ付きが急増していったわけです。

一方、住宅バブルに乗って多くの金融機関はサブプライムローンの債権を証券化して、それら多数の債権を組み合わせて投資用の金融商品として組成し販売していました。これを住宅ローン担保証券とか債務担保証券、あるいは証券化商品などと呼びます。当時は米国が住宅バブルの最中だったため、それらはうまみのある投資商品とみなされ、欧米の金融機関やヘッジファンドなどが積極的に購入していました。        

  • サブプライム問題の構図(イメージ)

    サブプライム問題の構図(イメージ)

しかし、住宅価格の低下とローン焦げ付きが増えるに及んで事態が急変します。証券化商品は多数のローン債権の組み合わせを何重にも行っているため、焦げ付きが発生している個別のローン債権の特定が困難となっていました。このため、証券化商品全体の価格が下落し、それらを保有している金融機関にとって、証券化商品は不良債権と化していったのです。  

米金融システム崩壊の瀬戸際に

すでに2007年には多くの金融機関で損失が発生していることが表面化していましたが、中でもリーマン・ブラザーズがそうした多額の証券化商品を保有し、身動きが取れなくなっていました。それが経営破綻という形で終焉を迎えたわけです。不良債権が金融機関を破綻させたという点では、平成9~10年(1997~98年)に日本で起きた金融危機と似ています。ただ日本の金融危機は日本だけで起きたものでしたが、リーマン・ショックは世界の危機となったのでした。

証券化商品を大量に保有して経営危機に陥っているのはリーマン・ブラザーズだけではありませんでした。ウォール街では「次は○○が危ない」「××も」と実名でうわさが飛び交い、金融市場は半ば機能停止の状態に陥りました。結局、メリルリンチはバンク・オブ・アメリカが買収、モルガン・スタンレーは日本の三菱UFJフィナンシャルグループが出資して傘下に収める形で救済しました。この再編劇はリーマン破綻から1週間のうちに起きています。いかに危機が切迫していたかを示しています。実際、金融システム崩壊の瀬戸際まで至っていたのです。

ここで、救済者として日本の銀行が登場したことは注目です。日本の銀行はバブル崩壊により長年不良債権に苦しんできましたので、証券化商品のようなリスクの高い投資には慎重だったため、傷が少なくてすんでいたのです。リーマンも破綻直前まで支援先を求めていましたが、その中で日本のある大手銀行に救済支援の打診が持ち込まれていたそうです。しかし最終的には米国政府が公的支援を拒否したため、リーマン救済は実現せず破綻に至ったと伝えられています。

リーマン破綻は世界同時株安を招きました。NY市場でダウ平均株価は、2007年10月に1万4,164ドルの高値を付けた後、サブプライム問題の影響でリーマン破綻直前に1万1,421ドルとなっていましたが、リーマン破綻後は鋭角的な下げとなり、約半年後の2009年3月には6,547ドルまで落ち込みました。半年間の下落率は44%、つまり半値近くになったのです。  

  • リーマン・ショック前後の日米株価

    リーマン・ショック前後の日米株価

米国は一気に不況に突入しました。雇用が悪化し、消費は冷え込みました。中でも消費の主役と言える自動車販売の落ち込みが大きかったのが特徴的でした。そのためビッグスリーと言われる自動車大手3社のうちGM(ゼネラル・モーターズ)とクライスラーは経営危機に陥り、政府は両社につなぎ融資を実施するという異例の支援を行いました。しかし翌2009年に両社とも事実上の倒産に追い込まれました。自動車は米国産業の主力中の主力ですし、特にGMは米国の象徴のような存在でしたから、不況の深刻さを示しています。