平成は短かったようで結構長い。

国産アニメの歴史は1917年に始まり、現在までにおよそ100年が経過している。そして、国産初のカラー長編アニメーション『白蛇伝』の公開が1958年(昭和33年)。同作は、アニメがメジャー流通(TV・映画等)にのって大量生産されるようになる原点というべき作品で、その公開から平成の終わりまでが61年。

つまり平成は、国産アニメの歴史の3割を占める時期であり、戦後のアニメ史に限るならその半分を占めるほどの存在感を持っているのである。

この連載は、平成のアニメ作品を取り上げ、遠くから探ったり(望遠鏡)、細部に拘ったり(虫眼鏡)しながら、平成という時代を振り返っていく予定だ。連載初回となる今回は、平成の間にアニメを取り巻く状況がどれほど大きく変わったかについて簡単におさらいをしておこうと思う。

▼TV、映画、レンタルショップが複雑に入り乱れる平成初期

平成の30年間はアニメにとって激動の時期だった。何をどう作って、どういう流通経路で誰に見てもらうのか。そのすべてが大きく変わったのだ。

まず「どう作る」。アニメの制作工程は1990年代後半(平成8年ごろ)からデジタル化が進行した。まず仕上げ・撮影がコンピューター上への作業に移行し、2000年代後半(平成20年ごろ)までには背景美術もデジタル化への転換がかなり進んだ。現在は最後に残った絵コンテ、作画の領域でデジタル化が普及しつつある。2010年代(平成22年以降)になるとキャラクターまで3DCGで描いた作品も登場し、現在ではひとつの表現手段としてしてファンに受け入れられている。

次に「どういう流通経路で」。平成の始まったころアニメはTVと映画、そしてビデオショップで販売レンタルされるOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)という3つがメジャーな流通経路だった。平成になるとこの3つの領域が複雑に入り乱れていることになる。

OVAは、マニアックな層に深く刺さる題材を扱っていた。やがて1990年代前半(平成5年頃)ぐらいからビデオメーカーが主導で、OVAと同じ発想でTVアニメを作ろうとする取り組みが始まった。やがてこうした企画は、1990年代後半(平成10年ごろ)になると深夜枠を開拓し、そこで多数のアニメが放送されるようになった。現在、放送されているアニメの半分以上(放送時間ベース)が深夜アニメである。

深夜アニメは、番組を収録したビデオグラム(DVDやBlue-ray)を販売して資金を回収するビジネスモデルだ。つまり深夜アニメは「ファーストウィンドウをTVに選んだOVA」と考えることができる。

これと似たようなことが映画でも起きた。2010年代(平成22年以降)になると、映画館でイベント上映をする作品が増えた。イベント上映に厳密な定義はないが、60分ほどの、短めの尺の作品で2週間程度の短い興行を行い、ビデオグラムもすぐに発売するというビジネスモデルだ。これもまた「ファーストウィンドウを映画館に選んだOVA」と考えることができる。

だが世界的にみて映像ソフトの市場は衰退のトレンドの中にある。それにかわる流通路として配信市場の伸長が望まれており、今後はTVと配信、映画と配信といった組み合わせに、コレクターズアイテムとしてのビデオグラムを加えて、どのようなシナジーを組み立てていくかを考えていく時代となるだろう。

▼平成アニメはビジネス的にどう変化していった?

この「どういう流通経路で」の変化は、作品の題材、つまり「何を」の部分と大きく連動している。1990年代後半(平成8年ごろ)から夕方枠や19時台のアニメの視聴率はじわじわと低落傾向にあり、それが深夜枠の開拓にも繋がっていた。結果、マニアックな題材を扱った作品が増加することになった。

たとえば、そこでひとつのジャンルとして成立したのが、女子高生などの他愛のない日常にフォーカスしたタイプの作品だった。俗に「日常系」などとくくられるこれら一群の作品は、しかし「日常生活を丁寧に描くことでキャラクターに存在感を与える」という『アルプスの少女ハイジ』(1974年・昭和49年)以来のアプローチと融合して独特の深化をみせることになった。

ではそうしたアニメは「誰が見る」のか。もちろん国内のファンは見るだろう。同時に平成は、昭和の時代に輸出されたアニメの記憶を土台にした上で、世界でもANIMEの存在感が増した時期だった。

たとえば1996年(平成8年)には『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』がビルボード誌のビデオ週間売り上げで1位になり、1999年(平成11年)には『Pokemon: The First Movie』(『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』)がアメリカで大ヒットを記録。1990年代後半から2000年代前半までは、北米市場で日本製アニメのDVDがかなり売れることになった(ただしこの市場は海賊版と景気の変動で2000年代後半には縮小する)。

受賞歴に目を転じれば、2002年(平成14年)には『千と千尋の神隠し』がベルリン映画祭の金熊賞、アカデミー賞のアカデミー長編アニメ映画賞を受賞している。世界最大のアニメーション映画祭、アヌシー国際アニメーション映画祭では、1993年(平成5年)に『紅の豚』、1995年(平成7年)に『平成狸合戦ぽんぽこ』、2017年(平成29年)には『夜明け告げるルーのうた』がそれぞれ最高賞であるクリスタル賞に輝いている。

現在は世界各地で配信サービスが立ち上がり、それによって日本製アニメのニーズが増している状況だ。さらにNetflix、amazonプライムといった外資系の定額見放題サービスもアニメに力を入れている。

ビジネス的にもクリエイティブ的にもひとつの完成形を達成していた「昭和のアニメ」が終わり、時代に対応するためにさまざまに模索を重ねていたのが平成の30年間なのだ。

藤津亮太(ふじつ・りょうた)。1968年、静岡県生まれ。2000年よりフリー。Blue-rayブックレット、各種雑誌、WEB媒体などで執筆する。著書に『チャンネルはいつもアニメ』(NTT出版)、『声優語』(一迅社)、『新聞に載った アニメレビュー』(Kindle同人誌)などがある。WEB連載は『アニメの門V』(アニメ!アニメ!)、『イマコレ!』’(ニジスタ)。毎月第3土曜には朝日カルチャーセンター新宿教室にて講座「アニメを読む」を実施中。