確かに完璧すぎたかも?

ビヨンセは本当に「口パク」だったのか

ビヨンセがオバマ大統領の2期目の就任式で披露した米国国歌斉唱の話題が先週、米国のメディアやソーシャルメディアでもちきりだった。

皆さまご存じの通り、国歌斉唱が事前録音していたリップシンク(口パク)ではないかという疑惑が持ち上がったからだ。

この疑惑だが、本当に歌ったにせよ、事前録音にせよ、ビヨンセ本人が歌ったことに間違いはないようで、その点で20世紀末にあったミリ・ヴァニリのようなケースとは明らかに異なる。だから「そんなに大騒ぎしなくても……」と、ビヨンセファンの私などは感じるのだが、誰もが「一言いいたくなる」というネタであるせいか、大手テレビ局のニュース番組やら格調高い文芸誌までを巻き込んでの大騒ぎである。


実はことの真相自体は不明な部分も多い。ABCNewsの記事によると、伴奏した米海兵隊ブラスバンドの広報担当者は「だれでもビヨンセがきちんと歌えることは知っている。海兵隊のブラスバンドがきちんと演奏できることもみんな知っている。ただし、ビヨンセが直前になって、事前に録音しておいたものを使うことにした理由はわからない」とコメントしたという。

しかし、ビヨンセ本人や関係者は何もコメントしていないし、ホワイトハウスや海兵隊ブラスバンドの別の広報担当者ですら「何もいう立ち場にない」として発言を差し控えている。

ビヨンセを擁護する人にもリップシンクの前歴が

一方、この話を聞いて「ソウル界の大御所、アレサ・フランクリンが大爆笑」という話が出たことをすでに見聞きされた方もいるだろう。

このMTV JAPANの記事でも言及されているABCNewsの記事をみると、アレサはビヨンセの歌いっぷりについて「とてもいいパフォーマンスだった」「あんな寒さのなかで立派な歌を披露するのは、たいていの歌手にとってかなり難しいこと」、さらに「私も次は同じこと(事前録音の利用)をしてみようかしら」といった趣旨のコメントをしたようだ。

なお、当日の気温は4度前後、しかも強風で体感温度はさらに低かった可能性もあるという。

前回の就任式で零下2~5度ともいわれる寒さを自ら体験、すっかり冷え切った身体とノドで歌ってみせたアレサだけに、発言の重みが違う。MTV JAPANの記事では省略されているが、ABCNewsの記事には「30分か45分もずっと寒いなかにいて、それで歌うというのだから、とても大変だったのよ」「会場に着いたら、そのまますぐに歌うというのが理想的。それなら声への(寒さの)影響もあまりなかったでしょうに」というコメントもある。

リップシンク自体についても、「それも選択肢のひとつ。実際にやるかどうかは本人次第」と大御所ならではの鷹揚さ。そして「2009年の時には、自分は全部ナマでいきたいと思っていたから、リップシンクをやるなんて考えはまったく浮かばなかったけれど、零下2度とか5度という状況に直面したことのある身としては、ビヨンセが事前録音を使ったと聞いても驚かない」「自分が納得のゆくパフォーマンスを披露したいと思ったビヨンセは、ナマではそれがむずかしいと考えて事前に歌を録音しておいた。そのほうが、きちんと歌えない場合のリスクよりもいいと判断したのだろう」と、同じアーティストとしての見方を披露してもいる。

ABCNewsは記事のオマケとして「むしろリップシンクしたほうがよかったと思える国歌斉唱」のビデオも紹介している。

たしかにスティーヴン・タイラー(エアロスミス)の「絶叫ぶり」などをみると、そういわれても仕方がないようにも思える(というか、笑える)。

また、2011年のスーパーボウルで国歌斉唱したクリスティーナ・アギレラが歌詞の一部を間違えた、そしてそのことを一部で問題視されたのだろう、「言い訳の声明をわざわざ発表していた」などというアナウンサーの話を聞くと、それだけ国歌斉唱というのは重大な役回りであり、「失敗が許されない任務なんだな」という感じも伝わってくる。



(こちらの動画は「エレンの部屋」で釈明するアギレラ)

この話題に触れたHollywood Report(THR)の記事には、有名な過去のリップシンクの例が挙げられている。

それによると、ジェニファー・ハドソンが2009年のNFLスーパーボウルで、また故ホイットニー・ヒューストンもやはり1991年のスーパーボウルで、それぞれ「リップシンクで国歌斉唱していた」とある。また、前述のABCNewsの記事には、今回ビヨンセの擁護にまわったアレサご当人も「1994年のNBAファイナル第5戦でリップシンクしていたことを認めた」などと書かれている。





余談になるが、このスーパーボウルでのホイットニーの国歌斉唱は、いまでもよく覚えている(もっとも、リップシンクだったことは知らなかったが)。第一次湾岸戦争の最中で、ちょうど米国がイラクに対する反撃「砂漠の嵐」作戦を開始した直後のことだったためだ。「砂漠の嵐」作戦は、Wikipediaによると「1991年1月17日開始」とある。不思議な高揚感があった印象があったのだろう、歌の終わりのすぐ後に上空を飛んだジェット戦闘機の姿が妙に生々しかったようにも記憶している。

アレサ以外の同業者の反応も、だいたいが「ビヨンセ擁護」という印象。「許せない」と本当に思っている人は、わざわざ表に出てきたりしないのかもしれないが。

まず、アリシア・キーズは「ビヨンセが立派にうたえるのは間違いなこと」とコメント。



シンディ・ローパーは「そんなこと(リップシンクかどうか)は気にしない。それよりも私がよくわからないのは、そんなに寒いなか、なぜわざわざ外で式典をやるのかということ」とそもそもの舞台設定に疑問を呈する。



ジェニファー・ロペスも「(リップシンクは)ときどきあること」と説明。



スティーヴン・タイラーに至っては「ビヨンセくらいホットなら何だって可能」だそうである。



さて。

オンラインマガジンのSlateには、自称「プロのミュージシャン」が書いた「ビヨンセは口パクしてないぜ」というコラムが掲載されていた。

「オレは自分でもたくさんリップシンクしてきたから、見れば一発で区別がつく」と言うこの筆者は、「ビヨンセは実際にナマで歌っていた」「ただし、彼女がモニター用イヤホンを通して耳にしていた伴奏は録音したものだった」「ケリー・クラークソンも同じように録音した演奏にあわせて歌っていた」との考えを主張。

「リップシンクしてると、たいていはごくわずかな、けれどもはっきりそれとわかる時間差ができてしまう」というのがその根拠だ。

「ビヨンセの国歌斉唱にそういうものは見られなかったとオレは思う」「もしあれがリップシンクだったら、彼女は人類史上最高のリップシンカー」「マイム(あてぶり)のノーベル賞をあげてもいいくらい上手だった」などと記してもいる。ただし、この自称プロミュージシャンの身元はよくわからない。

それでも野外ステージ上に立ったときに強風が与える影響や、歌い手のマイクさばき(声の強弱の変化と、マイクと口の距離)、それに合わせて調整するサウンドミキサーの動き、さらにモニター用イヤホンの絶対的な重要性など、それこそ微に入り細をうがったその解説ぶりは、私のような自分で演奏しない者には説得力のあるものだと思える。自分で演奏したり歌ったりする人の意見を聞いてみたいところだ。

「就任式そのものをフェイクにしてしまった」という厳しい論調も

話を戻そう。この騒動には米国を代表する老舗文芸誌のThe New Yorkerまで便乗している

内容はというと、「国家・社会として理想に立ち返る就任式で"ごまかし"があったというと、私たちはどうも落ち着かない気持ちになってしまう」「けれども、よく考えると私たちの日常は、本物と作り物の区別がますますつきにくくなっている。テレビのリアリティ番組、ソフトウェアでいくらでも加工できるようになった写真など、そうした例を挙げればきりがない」「また、そもそも就任式自体がよくできたつくりものであり、だれも生身の(不完全な)人間がつまづいたり、宣誓の途中で(言葉を)噛んだりするのを目にしたくはないだろう」などとあって、結論としては「ビヨンセに落ち度があったとすれば、そういう現実——就任式が作り物であることを世間にさらしてしまったこと」「われわれを怒らせるのは、ビヨンセのあのパフォーマンスではなく、われわれの政治指導者たちが詐欺師で、現実とは乖離した理想を語っているのではないか、という怖れのせい」などとしている。

その一方で、別の記事には、少なくともこの件を口実にして「オバマ大統領の辞任を求める」声明を発表した共和党議員が少なくとも1人はいたとあるから、米国の社会とはつくづく不思議なものという感じもしてしまう。

追記:米国国歌斉唱とNBA

ついでだからYouTubeで観られる米国国家「Star Spangled Banner」の斉唱で「勝手に選んだベスト3」を記しておきたい。

ナンバー3:デスティニーズ・チャイルド、2006年NBAオールスター



ナンバー2:マーク・アンソニー、2011年NBAファイナル



ナンバー1:マービン・ゲイ、1983年NBAオールスター

(観客のノリがいまとまったく違う)