時刻表好きにとって、ちょっと気になる情報がある。出版、ゲームなどの複合企業となったKADOKAWAが、古い時刻表の復刻プロジェクトを立ち上げている。かつてグループ企業が販売した時刻表復刻版をもう一度出版する試みだ。ただし、すぐには買えない。ネット上で購入希望者を募り、200名に達したら販売するという。
対象となる時刻表は、『復刻版 戦中戦後時刻表』だ。昭和18~22年の時刻表の6冊セット。これだけでも興味深いけれど、付録に「満州支那汽車時間表(昭和17年7月号)」があり、南満州鉄道の時刻表が収録されているようだ。伝説の豪華特急「あじあ」号が走った鉄道である。
復刻版時刻表から列車ダイヤを作り、「あじあ号」を再現してみたい。しかし、この時刻表が発売されるかどうかは未定。そこでKADOKAWAに電話。「あのー、プロジェクトを紹介しますから、ちょっとだけ中身を見せてもらえませんか」「どーぞ!」
言ってみるもなんだなあ……というわけで、KADOKAWAにお邪魔して時刻表を拝見。列車ダイヤ作成ツール「OuDia」に入力した。満州国の幹線である。きっとものすごく時間がかかるだろう。何日も通わせてもらえるかなと思ったら、「あじあ」号が走った連京線は意外と運行本数が少なかった。ほっとした。
第二次世界大戦の時代、現在の中国北東部は満州国で、日本との結びつきが強かった。当時の時刻表には下関港から大連港への連絡船が記されていた。満州国の首都は新京で、大連とは約700kmの距離。大連駅と新京駅を結ぶ路線が「連京線」で、最速の列車が超豪華特急列車「あじあ」号だった。
「あじあ」号は1934(昭和9)年11月1日、大連~新京間で運行開始。1935(昭和10)年9月からは京浜線に乗り入れて哈爾浜駅まで走った。しかし1941年、7月から12月まで関東軍の意向で運転を休止。1943年2月に再度運休し、復活しなかった。復刻版時刻表は昭和17年7月号で、1942年だから、最初の運休期間が終わった後のダイヤである。運行区間は大連~新京間に戻っている。
連京線のダイヤ全体を俯瞰してみよう。最上部が大連駅、最下部が新京駅だ。赤線が特別急行列車「あじあ」号だ。青は急行列車で、一部に「ひかり」「はと」「のぞみ」の愛称が付いていた。黒線が普通列車である。上下のほぼ中央が奉天駅で、普通列車の運行系統の別れ目になっている。奉天駅の少し上の蘇家屯駅から急行列車が発着している。北京駅や釜山駅、新京駅を結ぶ国際列車である。
当時の連京線は24時間運行で、夜行の各駅停車も走っていた。急行列車と長距離普通列車の一部には食堂車や寝台車のマークが付いている。また、1等車・2等車・3等車の表記もあった。しかし、「あじあ」号は食堂車マークだけだ。日中の高速列車だから寝台車はなかったとして、専用の客車で1等展望車、2等車、3等車を連結していたはず。代表的な列車だから、わざわざ示すまでもなかったか。
連京線は1934年に複線化されたけれど、1944年に三十里堡~大石橋間が単線化された。戦況の悪化による物資不足で、他の路線に線路設備を譲ったためだ。この時刻表の1942年は全線複線なので、単線のように列車のすれ違いを考慮する必要はない。ただし、線路に余裕があるにもかかわらず、旅客列車の運行本数が少ない。
これは予想だけど、旅客列車と同数かそれ以上の貨物列車があったのではないか? 軍用列車もあったに違いない。そう考えると、夜行の各駅停車の存在も納得できる。日中の旅客列車の輸送量が限界で、夜間も旅客列車を走らせる必要があったと思われる。
さて、「あじあ」号の走りっぷりはどうだったか。ダイヤを見ると、赤線の傾きは急角度だ。青線の急行に比べても速い。大連発新京行は3本の普通列車を追い越し、新京発大連行も3本の普通列車を追い越している。「あじあ」号は蒸気機関車の牽引ながら、最高速度は130km/hもあった。しかし、急行列車を追い越すダイヤにはなっていない。1日1往復のためか、急行列車とは棲み分けができていたようだ。
また、「あじあ」号同士のすれ違いもあることから、超豪華列車「あじあ」号は少なくとも2編成が準備されていたとわかる。大連発はほぼ日中の運行だけど、新京発はちょっと遅い時間帯だ。これも予想だけど、「あじあ」号は大連で船便と接続していたためだろう。復刻版時刻表には日本からの接続も記載されていた。この点をうっかりメモしていなかった。販売されたら確認したい。
列車ダイヤを描いてみると、当時の列車の運行状況から、時代背景を知る手がかりになりそうだ。戦前戦中時刻表が発売されたら、日本国内の列車のダイヤも作ってみたい。