監督作『長い散歩』は「誰も見たことのない緒形拳」を撮るため
――なるほど。『かくしごと』では児童虐待について描かれますが、奥田さんの監督作『長い散歩』(06年)でも児童虐待が描かれていました。主演の緒形拳さんは、「ぜひ!」と奥田さんがオファーされたそうですね。
百戦錬磨、鍛えに鍛え抜かれた大スターとして君臨していた人です。そんな緒形拳というすごい俳優を「日本の映画界は60歳を過ぎると、なぜ一番ケツ(止め)や、2番手に回してしまうんだ」と憤ってたんです。海外ではアンソニー・ホプキンスとか、みんなまだ主役をやってますよね。それが日本では少ない。この人をいま主役に撮ったらすごいのに! と思っていたら、コーヒーのCMでご一緒する機会がありまして。休憩時間にお話する顔を見ていたら「よし、それなら自分が1本撮ろう」と。11月の明け方4時くらいに千葉の山奥で撮影が終わって、そこから車で帰る3時間で『長い散歩』のストーリーが出来上がったんです。
――ベースに浮かんでいた作品を緒形さんに託したのではなく、そもそも緒形さんありきで生まれた作品なんですね。
「なぜ緒形拳をもっと使わないんだ!」と。「出ずっぱりで主役で使えよ」と。それで誰も撮ったことのない緒形拳を撮ろうと思ったんです。同じ俳優であり後輩である自分が、きちっと尊敬の念をもって立ち向かえば緒形さんもOKしてくれるんじゃないかとオファーしました。
主演映画『洗骨』から新作『かくしごと』へ。
――2019年公開の主演映画『洗骨』は、奥田さんが口説かれた側ですね。あのときは奥田さんは。
5年前だから69歳かな。それまで、求められる役と自分がやりたいような役にはギャップがあった。
――そうなんですか?(苦笑)
説明セリフをベラベラしゃべったり。「もうそういうのはやめて、これからは人生を描けるような役を演じるぞ」と思っていたら『洗骨』の話が来たんです。ゴリちゃんからね(ガレッジセールのゴリ。監督名義は照屋年之)。調べたらショートフィルムなんかを撮っていて、「よし、一発、彼にかけてみよう」と決めました。
――こちらもステキな作品でした。
このときのプロデューサーのひとりだった小西啓介さんが、『かくしごと』のエグゼクティブプロデューサーのひとりなんですよ。
――そうなんですね! 本作は登場シーンから、奥田さんと分からないほどでした。
俳優はね、いつも傲慢不遜でなきゃダメなんです。教えてもらうことが大嫌いなんですよ。だから『千利休』のときも自分から茶道を習いに行った。「やってくれ」だとダメ。今回も脚本を読んで、どう演じたらいいだろうかということを自分で立体的に考えていくわけです。スタートラインの真っ白なところに自分をポンと置く。そこから、まず「この男は学校の先生だったのか」と。そして今は認知症であると。僕は(妻の)安藤(和津)さんのお母さんが認知症になったときに、一緒に面倒を見させていただきました。でも、また別に一度足を踏み入れる必要があるだろうと思って、施設を2カ所ほど紹介してもらって訪ねました。
――今回もご自身で調べて行ったんですね。
そこに入っている人たちと一緒に話したり、もちろん先生にもいろいろ質問したりしましたが、「僕たちも気づきませんでした」といったところまで観察しましたよ。みなさんと仲良くご飯を食べたりして見ていきましたから。そこから自分なりのキャラクターが出来ていくわけです。そういうことから始めないと、この役はできませんでした。1人でそういうことをするのが好きなんですよ。ところで、監督が「よーい、スタート」と言って、「OK!」となったとき、「OK」にもいろんな言い方がありますよね。同じ人なのに。たとえば「はい、OK」(あまり感情をこめず)、これは何点だと思いますか?
――70点くらいでしょうか。
100点。OKはすべて100点なんです。
――なるほど。
でも監督が思っている以上のことをやらなきゃいけないのが役者だから、七転八倒するわけです。「もう1回お願いします」と言っても監督がOKと言ったら、「俺が言ってるんだから」となる。
――奥田さんも「もう1度やりたい」と言ったりしますか?
ほとんど言ってませんね。やりたいことがあればその前に話し合いますし、どうしてももう1度やりたいと思ったときは、わざとNGを出すんです。
――(笑)
「ああ、すみません」と噛みながら、わざとNGを出す。それくらい根性なかったらダメですよ。とにかく監督のOKは100点。99点だとか、40点の赤点だとか、そういうのはないんです。
――少し逸れますが、奥田さんは有言実行、不言実行どちらのタイプですか?
めちゃくちゃ言葉に出します。有言実行。人はちゃんと思って考えなきゃダメだし、それを僕は口に出します。子どもの頃から。父親には「お前は口ばっかりでダメだ」と言われましたけど、「今に見ておけ」と思ってました。
――それくらいの気持ちがないといけませんね。
“気持ち”じゃないの。もっとすごいもの。今だと死語になっちゃうけど、ど根性の決意。そういう決意をもって「故郷を捨てます!」と言ったのが高校3年生の時。捨てるってことは命がけです。そうじゃなかったら、いまここに座っていません。
■奥田瑛二
1950年3月18日生まれ、愛知県出身。1976年に俳優デビュー。79年『もっとしなやかに もっとしたたかに』で認められる。初の単独主演作となった熊井啓監督の『海と毒薬』(86)で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。『千利休 本覚坊遺文』(89)で日本アカデミー主演男優賞受賞。2001年には初の映画監督を務める。長編3作目となる『長い散歩』(06)でモントリオール世界映画祭グランプリを受賞。多岐にわたって活躍を続ける。近年の主な出演作・映画に連続テレビ小説『らんまん』(23)、『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』(21)、『アキラとあきら』(22)、『花腐し』(23)など。