漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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「カレー沢さんて食べることに執着がないですよね」

そう言われてびっくりしたし、内臓もバッチリ破裂した。

私は「食べることしか楽しみがない」と言い続けて四半世紀。

すでに「食べることしか楽しみがないと言うためだけの人生」というネクストステージに突入した生粋の精神的百貫デブだと思っていた。

そのアイデンティティを否定されたら私は消滅するしかないし、その後には一かけらの牛脂が残るのみである。

実際、食べることは一日の大きな楽しみである。

しかし言われてみれば、一日の楽しみである「食」をより良くするために、手間をかけるということは一切しないのである。

つまり、一日の最大の楽しみであろう「食事」を一切惜しむことなく35秒ぐらいで完食してしまうおドッグ様寄りの「食べるのが好き」なのである。

つまり食に対して人間如きより高尚な精神を持っているということだ。

具体的に言うと、美味い物を食べるために手間をかけて料理をしようという発想はなく、料理は味よりも時間がかからないことが第一であり、餃子の皮とタネを渡されたら、そのまま食って胃の中で餃子を完成させるタイプなのだ。

作るのが面倒なら、外に美味い物を食いに行くのが好きか、というと何度も言うように「外出が地雷」なため、外食も自ずと爆心地に入ることになってしまう。

外に出るのがまず面倒くさいが、料理が出てくるまで待つのも面倒だし、他人が目から見て大丈夫な姿勢でこぼさないように気をつけて食べなければならないのも面倒くさいのだ。

そのような万難を乗り越えるぐらいなら、食に興味がない人間のみが正気で食べることができる伝説の食物「焼いてない食パン」を食べることを選ぶ。

焼いていない食パンは一部の好事家に愛されているとも聞くが、当然私はその上に位置する「冷凍してある食パン」も食う。解凍も焼くのも面倒だからだ。

もちろん超熟などという生ぬるいものではなく、6枚切りで78円ぐらいのやつだ。

昔読んだ半エッセイ漫画に「すごく気が合うし良い人だが『食べることに興味がない』という一点のみが許せず別れた」という話があった。

当時は私も「わかる、食うことに興味がない奴とはつきあえない」と思っていたが、私も一食一食熟考して少しでも美味いものを食べようとしている人からすれば万死に値する「食べることに興味がない人間」なのだと思う。

食に対する姿勢というのは、まず食べるのが好きで、美味しいもの、いろんなものを食べてみようとする人と、食べること自体に興味がなく多少食べなくても平気な人、そして食べることのみに執着し何を食うかはどうでもいい餓鬼である。

そうなるともはや「食べるのが楽しい」のかすら疑問だ。

つまり私の「食べることしか楽しみがない」というアイデンティティは崩壊し、後には食パンの袋を止めるプラスチックのアレだけが残るということである。

そんなわけで今回のテーマは「レストラン」である。

食に対する興味の度合いは外食する際の店選びにも出ると思う。

本当に食べるのが好きな人は、行ったことがない店、もしくは今まで行った中でおいしかった店に入ろうとすると思うが、そうでない人間は「近くてすぐ入れる店」に入ろうとする。食うために長距離移動したり、まして「並ぶ」などという発想はないのだ。

食べることが好きな人間にとって食事というのは「チャンス」であり、そのチャンスの回数は、1日3食で100年生きたとしてもたったの10万回程度しかないのだ。

そんな貴重なチャンスに対し「なんでもいいっすよ」などという態度を取る奴は「人生投げている」としか思えないのである。

そう言う意味では私は「人生終わっている人」だと思う。

外食するにしても、近くで待たない店を選ぶのはもちろんだが、その中でも「チェーン店」を選びたがるのだ。

待つのも嫌だが「イレギュラーな自体」が起こるのも嫌なのだ。

孤独のグルメの記念すべき第一話で、今まで入ったことのない店に飛び入りで入り「聞き返されるのは面倒だ」と出来るだけ堂々と注文し、結局聞き返されるという名シーンがある。

はじめて入る店というのは作法がわからないので、注文も及び腰になりがちだし「え?」などと店員に聞き返されたり「ここはそういう感じじゃないんですよ」みたいな態度を取られたら面倒だし、なにより心が折れる。

こちらは店員との会話は1往復でも短い方が良いのだ。

よってどの店に行ってもシステムも店員の対応も大して変わらないチェーン店の方が落ち着く。客と店員の距離が近い、隠れ家的個人店など、どれだけ料理が美味くても精神的に腐葉土の味しかしないと思う。

つまり私は、何を食べるかより、自室で一人おドッグ様のように飯を食うという「行為」に執着があるだけなのである。

よって、私は、食べるのが好きな人が一食でも美味しい物を食べようとするように、一食でも多く、自室で一人片手でPCをいじりながら片膝を立てて食うように努めたいと思う。