ツイッターでは大喜利と同様に、「#フォロワーが体験した事が無さそうな体験」など、自らの体験を語るタグがバズることがある。

基本的にツイッターというのは自分語りツールなのだが、タグがあることで「聞かれたなら答えるしかあるまい」と、より堂々と自分語りをブチかませる上にタグがついているため、注目も集めやすい。

割と気軽に自己承認欲求風呂を満杯にでき、見る方も面白い体験談が読めるなど、ツイッターの中でも比較的良い文化である。ちなみに一番良い文化は言うまでもないが「他人のおキャット様を見られる」という点だ。

どれだけ、ツイッターが「今流行っているらしいSNSの表面0.02mmだけ舐めておこう」みたいな新機能をつけても、ツイッターを見限る気になれないのは、猫含有量が一番高いからとしか言いようがない。

逆に言うとおキャット様に見限られた瞬間ツイッターは終わるし、人間も滅ぶ。

私も昔「#金のかかったブス」という、今出したら炎上しかねないタグを作ってバズったことがある。これは「高価な化粧品で新種のカビの培養に成功した」など、無駄な美容投資をした経験を語るタグである。

己というドブに豪快に金を捨てていく様が楽しめる、読み応えのあるタグになっているので気になった方はググってみてほしい。

このように、体験語りタグは、苦い思い出を笑いに変えることで成仏させることもできるのである。

ツイッターで「成仏」する苦い体験

最近「#実際に言われたクレーム晒す」というタグがバズっていたそうだ。いかにも、笑うに笑えないが、もはや笑う以外に打つ手のない体験談が出て来そうなタグである。接客業の方やかつて接客業をされていた方は、古傷が観音開きになる恐れがあるので心して見てほしい。

中には「(三越ではない店で)三越の包装紙で包んでくれ」「お客様に金を払わせる気か」「去勢手術したらオスネコに乳首があった、だからうちの猫じゃない」など、もはや「秀逸」と言っていいレベルのものもあった。

しかし、実際対応した人は大変だっただろうし、クレームの大半は「ネタにもならない」ものばかりだろうから、接客業というのはつくづく大変である。

だが、世の中全体が不寛容になり、クレーマーが急激に増えたかというとそういうわけではなく、昔から無茶なことをいう客はいたと思う。それが、ネットやSNSの普及でより可視化されやすくなったのだろう。

確かに自分も、一念発起して行った美容院で「美容院に迷い込んできたゴリラ」扱いされた、もしくはそういう被害妄想を抱いてしまった場合、家に帰ってまずやることは「ツイッターに書く」である。

別にそれで、その美容室を燃やしてやろうというわけではなく、書くことで成仏を図っているのだ。それと同じように、ちょっと厄介なお客様に当たったことをSNSに愚痴って解消している人も多いのではないだろうか。

しかし、もはや誰も覚えてないと思うが「イキリパス太郎」の件もある。お客様の悪口をSNSに細かく書きすぎると、いとも容易く特定されて店ごと燃える可能性もあるので、現役接客業の人は注意が必要である。

誰でもなりうる「クレイジークレイマー」化の防ぎ方

  • 目立ちやすさに個体差はあるようですが、オスのおキャット様にも乳首はあります

    目立ちやすさに個体差はあるようですが、オスのおキャット様にも乳首はあります

そして、自分自身がクレイジークレイマーにならないようにしなければいけない。自分がクレーマーであることは重々承知で、客という立場を利用してストレス解消をしているタイプは論外だが、無意識のうちにクレーマーになることは誰でもある。

「#実際に言われたクレーム晒す」タグを見ていると、クレーマーにも種類がある。

まず「(三越ではない店で)三越の包装紙で包んでくれ」は「異世界転生型クレーマー」である。常識が違う世界からやってきているため、自分が非常識なことを言っているという自覚もないのだ。この手のクレーマーにならないためには、常に自分の常識を疑う必要がある。

次に、「お客様に金を払わせる気か」は「お客様は神様型クレーマー」だ。これは神様かどうか以前に、金を払ってないのでお客様ですらないという上位互換なのだが、神様系クレーマーは多い。自分のことを神様だと思い込んでいると、店員が土下座で自分を出迎えなかった時点でムカついてしまうのだ。

つまり、どんなサービスを受けても満足できなくなり、己にとってもマイナスでしかない。「自分は馬糞」ぐらいに思っていた方が「突然店内に乱入してきた馬糞に敬語で接してくれるなんて何て良い店だ」と思うことができる。過剰に自分の方が上の存在と思わない方が良い。

最後に「去勢手術したらオスネコに乳首があった、だからうちの猫じゃない」は「無知型クレーマー」である。オスおキャット様にも乳首があると知らないから、乳首がある=自分のおキャット様ではない、という何重にも間違った方程式が誕生してしまうのだ。

よって、店員が意味不明なことを言って来た時は「ふざけるな」と言う前に、「自分が知らないだけ」「自分の知識が間違っている」可能性を考えた方が良い。

私も、担当に文句を言う時は、メールを何度も確認し、確実にこちらが正しいという確証を得てから、「この時を待っていた」と、鉄パイプで殴りに行くようにしている。

そもそも、「クレームを入れる」という行為そのものは悪いことではない。自分の権利や正当性は主張すべきだ。

しかし、苦言を呈するときほど冷静に、何度も自分が正しいことを確かめてからにしないと「厄介なクレーマー」として、ネットで一笑いされるだけの存在になってしまうのだ。