幼少期から熱血ドラマオタクというエッセイスト、編集者の小林久乃が、テレビドラマでキラッと光る"脇役=バイプレイヤー"にフィーチャーしていく連載『バイプレイヤーの泉』。
第116回はタレントの及川光博(おいかわ・みつひろ)さんについて。途絶えることなく様々な作品に出演、歌手としても活躍、バラエティー番組ではきっちりと笑いをキャッチ。芸能界における貴重なエンタメ成分であろう、及川さん。改めて感嘆するとともに、なぜ彼が"おじさん扱い"を受けることなく、ミッチーでいられるのだろうか。
難あり、癖ありの役ならお手のもの
最近、及川さんとのマッチングぶりに舌を巻いた作品がある。それが『御手洗家、炎上する』(Netflix)だ。まずはそのあらすじを。
村田杏子(永野芽郁)は代々、病院を経営する、御手洗家で家政婦として働いている。ここでの名前は山内しずか。なぜ偽名を使っているのかというと、かつて杏子は御手洗家の長女として、不自由のない生活を送っていた。が、母の過失だという自宅の火災によって、一家は離散。独り身となった父と再婚したのは、母の友人だった渡真希子(鈴木京香)。セレブリティとしてもてはやされ、傲慢にふるまって生活をする真希子。杏子は彼女こそが放火犯だと確信を持ち、真相を解明するために家政婦として、乗り込んだのだ。果たして真相を暴くことはできるのか?
配信後、夢中になって一気に観てしまった。物語のテンポ、真希子役の鈴木京香の狂気に満ちた演技。全体のバランスがとても良くて、脳へスポンジのように物語が吸い込まれてきたようだった。Netflix配信ということで、日本だけではなく世界からの人気も高い。先日、仕事で一緒になった海外で活躍をする脚本家がこう言っていた。
「ハリウッドのプロデューサーから『御手洗家、炎上する』について質問をされました。すごく人気があるらしいが、どんな作品なのか? と」
これは私の考察だ。アメリカのドラマ特有の大胆なストーリー、張り巡らされた伏線の数々……というのは、時折、視聴者側にも飽きがくる。時にはファミリードラマや純粋なラブストーリーが観たい。そんなときにたまたま『御手洗家、炎上する』が配信されたのではないかと。実際、一時期はNetflixのメンバーランキングで上位に食い込んでいた。これがしばらくすると、いかにもハリウッドらしい、壮大なスケールの作品がまた求められるようになる。その繰り返しだと思っている。
そしてこの作品で及川さんが演じているのは、御手洗治役。すでに真希子との夫婦仲は崩れ出していて、自宅には滅多に戻っていない。代々の医者家系である親戚一同にも頭が上がらず、結局は前妻をかばうこともなかった。温厚そうな性格だと周囲には思われながら、実は主体性がない。そんな男だ。こうして治の性格を並べると、いかに及川さんにフィットしているのか、分かってもらえると思う。
ファンネームのパイオニアこそ、及川光博「ベイベー」
私が彼をすごいなあ、と思うのはまず歌手活動との並行である。
歌手といっても菅田将暉や北村匠海のように、熱く歌い上げるような方向性ではない。私も実際に見たことはないけれど、かき集めた情報によると、華やかな衣装に身を包んだ、王子様スタイルらしい。今でこそ、アイドルたちは自分たちのファンの愛称をつけて呼んでいるけれど、元祖こそ彼だ。ファンを数十年前から「ベイベー」と呼び、自らを「ミッチー」と称する。推しから「ベイベー」と何度も呼ばれたら、客席のファンも相好を崩すことだろう。つまり、及川光博というのは、単に曲を聴かせるだけではない、視覚にも、触覚にも刺激をするザッツ・エンターテイナーなのだ。
さらに演技について。年齢を重ねるごとに適した役を演じていることは、周知の通り。そのブランディングに一点の曇りもないと思う。切れ長の目に、メガネスタイルはもうお茶の間の定番だ。小学生に例えるとスネ夫タイプで、闇と癖のある役はお手のもの。
番宣でバラエティー番組に出演すると、途端にミッチースイッチがON。出演者との距離感もあからさまに縮めている、コミュニケーションの鬼と化す。おそらく現場のスタッフも「あ~、及川さんいるから大丈夫」と救われているはずだ。演じて、歌えて、面白い。この三拍子を兼ね備えて、しかも売れ続けているタレント・及川光博は、日本における貴重なエンタメ成分なのである。どこまでもミッチー、それが彼の不退転だ。
実は私の友人から「ミッチーのファンで昔からライブに行っている」と、数年前に聞いたときから、気になっていた。「え、なぜミッチー……?」という疑問が湧いた。
彼女は他にもさまざまなアイドルを掛け持ちで応援して、降りて、また新しい推しを見つけて……と繰り返している。でもミッチーだけは、どうも違う。少なくとも20年近くは飽きずに、彼を追いかけている。そんな彼女を思い出しながら、この原稿を書いていると、結果、ミッチーの沼は底なしなのだろうと納得。最初に疑問を感じた自分を恥じたい。と、これにて終了。