悩み多きビジネスパーソン。それぞれの悩みに効くビジネス書を、「書評執筆本数日本一」に認定された、作家・書評家の印南敦史さんに選書していただきます。今回は、「交渉力」を高めたい人へのビジネス書です。

■今回のお悩み
「交渉力を高めたい」(29歳男性/営業関連)


仕事において、ましてやそれが営業のような業種であれば、相手を納得させる能力は欠かせません。したがって、「交渉力」を高めることがとても重要であるわけです。

とはいえ、それが決して簡単なことではないのも事実。まず聞こえてきそうなのが、「口下手なので、交渉なんかできない」というような意見。たしかに相手を納得させ、自分も納得するためには、それなりの話術や高度なテクニックが求められそうな気がします。

でも、本当にそうなのでしょうか? もちろん話術はあったほうが楽かもしれませんが、口が達者だからといって交渉がうまくいくとは限りません。むしろ、上部の部分よりも人の心を奥底からつかむ"なにか"が求められるような気もします。

では、その"なにか"とは? そして、それをどう活用すれば交渉はうまくいくのでしょうか? 今回はその答えを、3冊のビジネス書のなかから探してみたいと思います。

大切なのは日ごろの信頼関係

タイトルからわかるとおり、『キャリア官僚の交渉術』(久保田 崇 著、アスコム)の著者は、霞ヶ関の官僚として数々の交渉を経験してきた人物。国会議員、財務省(各省庁)、上司または部下と交渉の相手はそのつど異なるものの、官僚としての仕事はその大半が「交渉に始まり交渉に終わる」といっても過言ではないそうです。

  • 『キャリア官僚の交渉術』(久保田 崇 著、アスコム)

ただし現実問題として、交渉ごとはうまくいかないことのほうが多いもの。官僚の仕事のみならず、一般のビジネスの場面においても、一筋縄ではいかない局面に向き合わなければならないことはたくさんあります。

そこで著者は本書を通じ、国会議員や財務省など、 "うるさい大口顧客や取引先"に相当する相手とのハードな交渉場面を数多くこなすなかで培った交渉力を伝えようとしているのです。

「交渉」というと、かしこまった専用の部屋の中で、論理的なやりとりをしながら、お互いの利害を主張するというイメージがあります。(中略)しかし、外交官や弁護士など、特定の専門的な職種の方だけでなく、一般の企業人や公務員も、日常的な上司・部下との会話、取引先・顧客とのやりとり、人間関係や人脈などのすべてを動員して、合意形成や利害調整を行っているのです。(「はじめに」より)

交渉において求められるのは、テクニックによって得た短期的な勝ち負けではないと著者は断言しています。重要なのは、長期的な関係構築の観点から、相手をよく観察して興味をさぐり、話をよく聞き、相手が望む話題を提供するなどの本質的なコミュニケーション術だということです。

ところで交渉と聞いたとき、多くの方は、相手がぐぅの音も出ないほどに論旨明快で胸のすくことばを発する場面を思い浮かべるかもしれません。たしかに映画やドラマではそういう場面がよく出てきますが、著者の経験上、そういったケースは稀だそう。ましてや、それでうまくいくようなケースはもっと少ないといいます。

なぜなら交渉の場では、「要求事項を勝ち取る」可能性がある一方、それと同じくらいに「決裂する」可能性も充分にあるから。

もちろん、決裂しても問題ないような案件ならばそれでもよいかもしれません。しかし官僚の仕事では、「絶対にこの法律を通す」「多少は削られても仕方がないが、この予算は絶対に獲得する」というように、シビアな結果を求められることがあるのだそうです(当然、一般企業でもそういうことは少なくないでしょう)。

また、明らかにこちらに正当性があり、確実に説き伏せることができる場合だったとしても、胸のすくようなセリフを口にしたりせず、おとなしい表現にとどめることも重要。

なぜなら相手方にも「立場」がある以上、面目をつぶさないようにしておくことが、長期的な関係構築のうえでは大きな意味を持つからです。

したがって、相手と対立事項が生じないように事前に利害調整や根回しによる意見調整を行ったり、常日頃から話をよく聞くなどして何でも相談できる関係を作ったりしておくことが大切です。そもそも交渉せずに了解を得られるよう準備することが上策であり、結果がどちらに転ぶかわからないような交渉というのは(見ている側にとっては面白いかもしれませんが)可能な限り避けるべきなのです。(43ページより)。

交渉には「負けられない一発勝負」というイメージがあるかもしれませんが、なにより大切にするべきは日ごろの信頼関係だということです。

効果的なファーストコンタクトとは?

さて、交渉についてその道のプロ、すなわち弁護士はどう考えているのでしょうか? そのことを探るために、次は『弁護士に学ぶ!交渉のゴールデンルール』(奥山倫行 著、民事法研究会)を見てみたいと思います。

  • 『弁護士に学ぶ!交渉のゴールデンルール』(奥山倫行 著、民事法研究会)

「弁護士が書いた交渉術の本」と聞くといかにも硬そうですが、本書の魅力は一般の人にも理解しやすい実践的な内容になっている点。「交渉前」「交渉の場面」「クローズの場面」とシチュエーションごとに対応策が紹介されているので、抵抗感なく読めるのです。

たとえば印象的なのは、会話を始めようとするときには、まず“最初のひとこと”で「ラポール」を築いたほうがいいという考え方。

基本的な姿勢としては下手に出るように心がけるべきで、大切なのはこちらから挨拶をすることだというのです。つまり、こちらが話し合いの切っ先を制するという発想。ていねいにはっきり挨拶するということにより、こちらの抜け目なさと自信ありげな雰囲気を伝えることができるのです。

次に大切なのは、「○○さん」と名前を呼ぶこと。人は、自分自身を「個」として認識してくれている相手には親近感を抱くものなので、名前を呼ばれて不愉快になる人はいないわけです。

たしかに感謝のことばをかけられるとき、ただ「ありがとう」といわれるよりも、「○○さん、ありがとう」といわれたほうがうれしさも増すのではないでしょうか?

交渉の場面で相手の名前を呼ぶことによって、ラポールを築くことが期待できます。ラポールは、心理学の用語です。人と人の間の和やかな心の通い合った状態をいいます。名前を呼ぶことでなごみを生じさせるのです。(94ページより)

些細なことではありますが、たしかに名前を呼ばれれば、それだけで相手との間に流れていた緊張状態は緩和できそうです。いずれにしても、状況と相手に応じて、もっとも効果的なファーストコンタクトを心がけるべきだということ。

どのようにファーストコンタクトを行うかによって、自分で考えている以上に交渉の雲行きは変わっていくものだというのです。

「ゴネる人」になる

最後は、『「ムリ!」を「うん…まあ(笑)」に変える ゴネる技術』(前垣和義 著、ダイヤモンド社)という書籍をご紹介したいと思います。が、そもそも「ゴネる」というアプローチにはあまりいいイメージがないかもしれません。

  • 『「ムリ!」を「うん…まあ(笑)」に変える ゴネる技術』(前垣和義 著、ダイヤモンド社)

しかしそれでも、著者は「"ゴネる人"になっていただきたい」との思いで本書を書いたのだそうです。とはいえもちろん、「悪のススメ」ではありません。

マイナスの反対側に位置するゴネるは、じぶんの価値を高める技術であり、それを知らしめる交渉力、コミュニケーションスキルでもある。
それは、相手を思いやる心や、ほめる、叱るといった愛情を抜きにはかなわず、じぶん勝手とは逆の立ち位置にある。
だからこそ、この能力に長けた人は、じぶんはもとより、他人の、企業の、そして、社会の「タメ」になる「ゴネる」として評価もされる。(「まえがき 『ゴネる』技術のススメ」より)

では、そのための具体的な「ゴネ方」とはどのようなものなのでしょうか? その"基本"として著者は、「横から」アプローチという手段を紹介しています。

正しいゴネをマスターするのには、人とフレンドリーな関係を築くことが重要である。「タメゴネ」ができる人は、常に相手の存在を視野に入れて行動する。それは、上下関係で成り立つ縦型よりも、横型の人間関係の重視を意味する。
横型の関係は、少しなれなれしいと映る場面もある。が、親密なリレーションをもつと、思いは伝えやすく、通じやすい。(100ページより)

興味深いのは、こうした点において「日本の中で大阪のおばちゃんの右に出る人はいないのではなかろうか」と著者が指摘している点。大阪のおばちゃんは、人との関わりでは筋金入りの「思想」を持っているというのです。

買い物で商品やお釣りを受け取るとき、おばちゃんの多くは「ありがとう」を口にする。(中略)「ありがとう」で、嫌な気分になる人はいない。むしろ、温かい気持ちになれる。言われた人ばかりか、言った人もそうで、こうして「幸せ」を共有する。「ありがとう」を受けて相手がニコリとすれば、言ったおばちゃんも笑顔になる。「幸せ度」はさらにアップする。かくして、一円のお金も使うことなく、「ありがとう」のワンフレーズで、人の心をぎゅっとつかみとるのだ。(100〜101ページより)

もちろんビジネスのシーンにおいては、こうした横の関係が成り立たないケースもあるでしょう。そればかりか、横の関係にこだわりすぎたら話が終わってしまうこともあるかもしれません。そういう意味では、相手にもよるといえそうです。

しかしそれでも、横の関係が成り立ち、それを取り入れることによって関係が良好になるという確信を持てる相手であれば、これもまた活用の価値がある手段かもしれません。