B型の傾向を示す資料には、必ずと言っていいほど「飽き性」と「凝り性」がダブルでランクインしている。これらは一見、真逆の性質と思われるかもしれないが、僕にはよく理解できる。要は熱しやすく冷めやすいということなのだろう。

それについて我が身を振り返ってみると、真っ先に思い出されるのが肉体改造についてである。とにかく僕は今まで肉体改造に着手した回数だけは人一倍多いのだ。

いつのまにか30代になり、お腹の脂肪がゆるゆるした"たれパンダ体型"になっった現在でも、いまだに心のどこかでスリムで引き締まったボクサー体型への憧れを捨てきれない。竹原慎二プロデュースのサウナスーツも所有しているし、アブトロニクスも押入れに眠っている。なぜか美顔器やモザイク除去装置も実家にある。肉体改造の準備は万端なのだ。モザイク除去装置は関係ないけど。

そもそも最初に肉体改造に凝りだしたのは中学生の頃だ。

大体、少年という生き物は誰でも一度ぐらいは強さへの憧れを抱くものである。映画などで強靭な逆三角形の筋肉美スターを見ると、自らの華奢で平べったい肉体が情けなく感じ、無性に大人の体を意識し始めるわけだ。

時期にしてちょうどチン毛の黎明期ぐらい。少年にとって陰毛の芽生えと強さへの憧れは密接な関係にあるのだ。

かくいう僕もチン毛が生え始めるや否や、急激に大人の真似に取り組みだし、タバコを吸ってみるわ酒を飲んでみるわ奈良漬をうまいと言ってみるわ、とにかく自己改革に乗り出した。日曜の昼間にゴルフ中継をぼんやり観るだけという苦行にチャレンジしたこともあったが、10分でチャンネルを変えた。つまんなかったからだ。

そして、いよいよ肉体改造である。

僕は母の財布からパクった金で近所のジャスコに走り、鉄アレイやブルワーカーを購入。帰宅するなり、いきなり激しい筋トレを始め、腕の筋肉がプルプルするまで自らの肉体を苛め抜くという苦行を三日間繰り返した。

もちろん、三日目でやめた。しんどかったからだ。

なお、拳ダコに憧れ、家の壁に素手でパンチを百発打ち込むという馬鹿な思いつきにチャレンジした時は一発目で限界を悟った。痛いのは嫌なのだ、痛いのは。

ちなみに少年期の友人って毎日誰か一人は必ず、なぜか膝や肘から血を流していた記憶がある。何が原因で怪我したのかは覚えていないが、とにかく男子だけで遊んでいると絶対一人は流血していた。人生であんなに血を見たのは少年期だけである。

話を戻す。

このように僕は確かに凝り性かもしれないが、「つまんない」と「しんどい」という二大敵対勢力に襲われると、あっさり白旗をあげてしまうほどの飽き性でもある。

しかし、それ以後、まったく肉体改造に手を出していないと言えば嘘になる。20歳を超えてからも2年に一度ぐらいは新たに趣向を変えた馬鹿苦行(重さ2キロのリストバンドを常時つけたり)に凝った時期があったものの、いまだに1カ月以上続いたことがない。肉体改造の歴史を振り返ると、つくづく自分はB型なんだろうなと思えてならないのだ。

ただし、断わっておくが、すべてにおいて飽き性というわけでもない。タバコは最初に吸った時から同じ銘柄だし、財布や名刺入れなんか10年以上も同じものを使っている。もしかすると飽き性というのはあくまでも人間の余剰部分に当てはまる言葉であって、日常的本質を示す言葉ではないんじゃないか。日常生活で必要なものほど飽き性とは無縁なのだ。何を日常とするかは個人のプライオリティの問題だけど。

だから、僕は生涯を共にする女性もそういう人であって欲しいと、まだ来ぬ出会いに思いを馳せる。普遍的な恋愛は「凝りすぎる余暇」ではなく、「凝らない日常」である。それは「空気みたいな存在」という意味ではなく、自分にとってのファーストプライオリティの一つってことだ。良い意味で凝りすぎことがなければ、その女性に飽きることは絶対にないのだ。

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