
ぜひ今こそ話がしたい──フジロック出演で大きな話題を集めたミツキ(Mitski)側からの打診を受け、Rolling Stone Japan独占インタビューが急遽実現。「自分はどこにも当てはまらない」と感じ続けてきた半生を通じて、彼女はいったい何を見つけたのか。
「世界を旅してわかったことは、私はどこに行っても当てはまらない人なんだな、と。でも、きっとここにいるみなさんの中にもそういう人がいっぱいいるんだと思います。変な人同士、ここにいてくれて、本当にありがとうございます」。7月、フジロックのあとZepp DiverCity(TOKYO)で行われた単独公演で、ミツキは言葉を詰まらせながら日本語でオーディエンスにそう語りかけた。
三重県に生まれ、世界中を転々としながら育ったシンガー・ソングライターのミツキは、幼少期から「居場所がない」と感じてきたという。ニューヨークのパンク・シーンで活動を開始し、2018年にリリースしたアルバム『Be the Cowboy』で一躍インディ・ロックの寵児となるも、自身が”商品”として消費されることへの違和感に魂をすり減らし、2019年に一度ステージから姿を消す。その後、ナッシュヴィルに拠点を移し、自分自身の生き方を見つめ直した彼女は、2022年に活動を再開した。
ミツキにとって音楽は、他者とつながるための唯一の方法であり、死にたくなるような毎日に光を投げかける手段であり、生きていくための理由だ。今年2月に発表されたアルバム『Nothing's About to Happen to Me』は、荒れ果てた古い屋敷にひとり閉じこもる女性を主人公に据え、何世代にもわたって受け継がれてきたトラウマや、孤独、死、恐怖、そして生きることへのかすかな希望を、家を心のメタファーとして描き出している。彼女は歌う。
〈私が死んだら/私が死んだら/雨になって戻ってこられる?/もう一度世界を見たい/再び落ちるために〉(「Lightning」)──愛する人たちとの人間関係や、自らの「居場所」と呼べるようなコミュニティ、そして3匹の猫という家族を得た今も、ミツキの心に開いた”穴”は埋まらない。毎朝、生き続けるための新しい理由を探しているという彼女の手にも、よすがとなるような答えはない。それでも、”死ぬよりはマシ”。ミツキはいずれ訪れる死を見つめながら、暗闇に包まれたこの世界で、光の差すほうを向こうとしている。
Photographs by Lexie Alley
「つながっている」と感じられた
ー前回の来日は2019年、ライブ活動の無期限休止を発表した直後のフジロックでした(同年2月にはアルバム『Be the Cowboy』のワールド・ツアーで単独ライブも開催)。それから7年ぶりの日本でのライブはいかがでしたか?
ミツキ:面白いことに、前回フジロックに出たときとまったく同じ感覚だったんですよね。今回、田舎に行って日本の自然に触れることができたのはすごくよかったです。いつも仕事で来てるから、東京とか大阪ばかりで……。実は、いつか日本の山に登りたいってずっと思ってるんです。日本の山や森の中にいると、古代の日本人があらゆるものに神が宿ると信じるようになった理由がわかるような気がする。私はワーカホリックだから、なかなかそういう時間を取ることを自分に許せないんだけど、いつか登ってみたいですね。
ー今回の滞在でも、何か神秘的な体験をしたんですか?
ミツキ:いや、それが……フジロックのときにすごく素敵な旅館に泊まったんですけど、私の部屋は、絶対幽霊に取り憑かれていたと思います(笑)。ツアー中、他のホテルでそんなふうに感じたことは一度もなかったんだけど、ずっと何かに見られているような気配があって……めちゃくちゃ怖くて全然眠れなかったから、部屋のドアというドアを全部閉めて、テレビを一晩中つけっぱなしにしてました(笑)。
今回はただただ怖かっただけだけど、もっと長い時間、日本の神秘的な自然の中で暮らしていたら、「ここには私の理解を超えた、自分よりも遥かに大きな存在がいる」って感じるようになると思うんです。そうしたら、畏怖の念とともに、そういう不思議なものの存在を受け入れられるようになる気がしていますね。
ーまさか幽霊の気配を感じていたとは……。今回はアルバム『Nothing's About to Happen to Me』を携えたワールド・ツアーの一環として、東京で単独公演も行われました。
ミツキ:はい。3月から始まったツアーの最後のショーが終わって、今は一息ついているところです。ようやく姿を消せそうです(笑)。
ーステージでは日本語で「私は三重県の田舎出身で。子どもの頃から変な人だったので、大変だったんです。田舎を出れば大丈夫かな、都会に出れば、アメリカに行けば、どこかに当てはまるだろうと思ったけど、そうじゃなかった。世界を旅してわかったことは、私はどこに行っても当てはまらない人なんだな、と。でも、きっとここにいるみなさんの中にもそういう人がいっぱいいるんだと思います。変な人同士、ここにいてくれて、本当にありがとうございます(※筆者一部要約)」とMCをされていましたね。
ミツキ:(日本語で)”つながり”をすごく感じましたね。私はあらゆることに意味を求める人間で。目の前にいる他者と、極めて個人的で、感情に根差したところで本当に”つながっている”と感じられると、自分がここにいていい理由を与えてもらえる気がするんです。今回の日本公演では「よし、まだやれるな」と、強く思いました。
Fuji Rock Festival https://t.co/myPPVQ9iRy — mitski (@mitskileaks) July 29, 2026
ーアーティストにインタビューしていると、音楽活動の中でも大規模なワールド・ツアーは、できることなら避けたいという人も少なくありません。ミツキさんは実際に、ライブ活動から遠ざかっていた時期もありましたし、失礼ながら、そういうタイプにも見えるんです。それでもツアーを続けるのは、なぜなんでしょうか?
ミツキ:すごくよくわかります。実際、家にいるのは大好きですし。でも、それ以上にパフォーマンスをすることが好きなんです。ライブを通して観客とつながることが、私に生きる力をくれる。アーティストはそれぞれ、キャリアを築くための自分なりの手段を見つけるものですけど、私が駆け出しの頃は「音楽ブログに載らなきゃダメだ」ってよく言われていました。私もそれに倣って、頼まれてもいないのに何百ものブログにデモを送ったけれど、取り上げてくれたのは一人か二人ぐらいで。だから、自分なりのやり方を見つける必要があったんです。
私にとっては、それがライブでした。最初はお客さんが誰もいないところから始めて、口コミで少しずつ広がって、5人、50人と増えていった。「これが私にとってうまくいく唯一の方法みたいだから、やめちゃいけない」と思って、今に至るって感じです。それに、私には生きる意味も、コミュニティも、家と呼べるような居場所もないと感じていたから、「もういいや、旅をしながら演奏し続けよう」と思うのは自然なことでした。
ー大きな会場になっても、ミツキさんのライブにはいつも、すぐそばで心をさらけ出しているような生々しさがあります。ステージに立つとき、意識していることはありますか?
ミツキ:例えば、今回のツアーでは実はちょっと損をしてるんです。本当はもう少し大きな会場で演奏することもできたんだけど、このアルバムの曲を演奏するうえで、ある種の親密なムードをつくりたかったので、小さめの会場や特別な場所を選んだんです。私にとって最も重要なのは、ライブがリアルな体験になること。ちゃんと生活できるだけの稼ぎがあれば、それ以上は必要ない。
私自身、素晴らしいライブを観て、その夜のパフォーマンスに人生を救われたと思った経験が何度もあって。ある意味で、そのために生きているようなものです。パフォーマンスをするときに意識しているのは、無防備になること。分かち合うこと。その瞬間を存分に味わうことですね。瞬間瞬間を生きられずに、別のことに気を取られていたら、何のためにライブをやっているのかわからなくなっちゃうから。
死ぬよりはマシ
―ミツキさんにとって音楽をつくり、届けることは、他者と”つながる”ことで自らのレゾンデートルを再認識するための行為だと言ってもいいんでしょうか?
ミツキ:子どもの頃から、自分には”つながり”が欠けていたんですよね。だから、今もそれを求め続けているんだと思います。歌い始めたのも、人に自分の存在を認めてもらうためでした。7年生(日本の中学1年生)のとき、入っていたクワイアで短いソロパートのオーディションがあって。全然自信はなかったけど、私も受けてみたんです。ひとりずつ順番に歌っていって、私の番になったら、先生もみんなも「え……?!」って驚いた顔で一斉にこっちを見て。そのとき、「ああ、これが自分にできることなんだ」って気づいたんです。
それからしばらくして、自分で曲を書くようになって。曲を書くことは、自分が他の人と”同じ”であることを実感するための手段だったんです。私はいつも「自分は人とは違うんだ」と疎外感を強く抱いていました。でも、曲を書いて、演奏して、歌って、それを聴いた人から「共感した」と言われたり、聴いた人が感動している姿を見たりしたときに、「私もみんなと同じなんだ、みんなと同じことを感じていたんだ」って思えたんですよね。その想いが今も私を突き動かしています。
―音楽を始めた経緯については、以前ほかのインタビューでも語られていましたね。自分が異質な存在だという感覚は、今もご自身の中に形を変えずに残り続けているのでしょうか?
ミツキ:セラピーに通って、自分でもこのことはかなり深く掘り下げたんですけど……脳がまだ発達している最中の子どもの頃に、家族や自分が属するコミュニティの中で、十分に「愛されている」「大切にされている」と感じることができないと、それが根深いトラウマとして残り続けるらしいんです。そして、その後の脳の働き──ものの考え方や世界の捉え方、毎日の過ごし方にまで影響し続ける。
大人になって、社会でどう振る舞い、生きていけばいいのかを学んで、愛に溢れた自分なりの人間関係や、”居場所”とさえ呼べるコミュニティを築けた今でも、どうしても治らないものがあるんです。今の私の課題は、その原因になった過去を手放すこと。でも、それはすごく難しいことで……。残念ながら、私は死ぬまでずっと孤独を感じ続けるんだと思います。そして、心に開いた”穴”を埋めるために、ずっと”つながり”を求め続けるんでしょう。
―子どもの頃に住む場所を何度も変えざるをえなかった人は、孤独を感じやすいと言われますよね。日本、トルコ、中国、マレーシア、チェコ、コンゴ民主共和国、そしてアメリカと、世界中を転々とした子ども時代の経験も、そのトラウマに影響しているのでしょうか?
ミツキ:うーん、そういう面もあるとは思いますが、前向きに捉えられる部分もあります。いろいろな国で、そこに暮らす人たちの多様な生き方に触れられたのは、すごくよかった。そのおかげで、正しい生き方なんてものはないんだと気づけたから。ある国に行けば、社会のルールやエチケットはこうだと言われるけど、別の国に行けば、正反対のことが正しいとされる。それぞれの国や人々が自分たちなりに文化を育ててきただけで、極論を言えば、唯一無二の正しい生き方なんてないんです。繰り返しになりますが、本当に大切なのは、人と人とのつながりなんです。それを早い時期に知ることができたのは恵まれていたと思います。
―「どこにも当てはまらない」と感じながら生きていくのって、本当に辛いことだと思うんです。救命具もないまま、大海原のど真ん中をひとりで漂っているような感じで。もう全部投げ出したくなる日だってある。そんなとき、人は何にしがみついて生きていけばいいんでしょう? ミツキさん自身はどうですか?
ミツキ:それって私が毎日考えていることなので、逆に答えがわかっているなら教えてほしいです(笑)。毎朝起きては、生き続けるための新しい理由を何か探すんです。でも結局、たどり着くのはいつも同じ答えで──どんなことでも、死ぬよりはマシ。いつか死のほうがいいと思える日が来るかもしれないけれど、今のところはまだ大丈夫。だから、どんなに苦しくても、どんなに困難な状況でも、死ぬよりはマシって思いながら生き続けるしかない。
優しくありたい、光でありたい
―「死ぬよりはマシ」という言葉は、『Nothing's About to Happen to Me』とも響き合っているように感じました。収録曲の「Instead of Here」や「Dead Women」では死に強烈に引き寄せられていく一方で、アルバムの最後を飾る「Lightning」では、死の向こう側にある救いへのはかない祈りが描かれている。そして翻って、そこには死に裏打ちされた、生への執着のようなものも感じられます。
ミツキ:そうですね。私は、いつも死について考えているんです。子どもの頃に何度か死に近づいたことがあり、それ以来、死を強く意識するようになりました。そのときは、死をある種の逃げ道のように考えていたんですけど……今は「自分はいつか死ぬんだ」ということを、常に忘れないようにしたいと思っています。そのほうが、よりよく生きられるから。私たちは、避けようもなく、逃れようもなく、結局いつの日か死ぬ。生きることがどんなに恐ろしくても、永遠には続かないと思い出せば、人生はもっと意味のあるものに感じられると思うんです。
それに、死って、すごく謎めいたものじゃないですか。死から蘇って、その真実を教えてくれた人は誰もいない。向かう先には何もないのかもしれないし、何かが待ち受けているのかもしれない。想像するしかないんですよね。だから、私にとっては、ある意味で究極のテーマなんです。死について書くことは尽きない。永遠の謎だから。
―今作では死や孤独といった、自分が心底恐れているものが、美化されずに描かれていると思うんです。怖いものは、怖いまま。それなのに、恐怖に宿る美しさや滑稽さに、抗いがたく惹きつけられてもいる。その両方が同居しているのが、今作の「恐怖」との向き合い方の特別なところだな、と。
ミツキ:小学生の頃から、怖い話が大好きだったんです。日本の怪談だと、特に「トイレの花子さん」が一番好きでした。子どもにとって、トイレってすごく怖い場所じゃないですか。薄暗い個室に一人きりで、底の見えない穴の上に、無防備にお尻を出して座らなきゃいけないから。便器から手が出てきて引きずり込まれるんじゃないかとか、仕切りの上や下から誰かに覗かれるんじゃないかとか……「花子さん」を読んだ後は、トイレに行くのがすごく怖かった(笑)。あと、あんまり深く分析するのもどうかと思うんですけど、トイレって排泄物というリアルな生と向き合う場所でもありますよね。否が応でも自分の身体を意識させられる。それはつまり、死を意識することでもある。怪談を通して、子どもながらに死や恐怖に出会って、夢中になっていたんだと思います。
―「トイレの花子さん」がお気に入りだったんですね(笑)。
ミツキ:日本の怪談は本当に好きでしたね。あれ、なんて言うんでしたっけ……夏にみんなで怖い話を100話語っていく遊び……。
―百物語ですね。百本の蝋燭を灯して、怪談をひとつ話すごとに一本ずつ消していき、最後の灯りが消えたとき本物の怪異が起きる──という、江戸時代から伝わる遊びです。
ミツキ:そうそう、それです! 最後に本当に怖いことが起きるっていうのが面白いですよね。怪談を話すことで、異界へのポータルみたいなものが開くのかも。ホラーは、人を生と死の境目に立たせるものだと思います。以前、お化け屋敷の人形をつくっている職人さんにインタビューしている日本のテレビ番組を観たことがあるんですけど、その人は、とにかく女性の幽霊の人形を美しく見せることにこだわっていて……。インタビュアーが「なんでそこまで美しさにこだわるんですか?」って聞いたら、「美しくないと、怖くないんですよ」って言ってたんです。それを見て、私は「あっ、それだ!」ってすごく納得したんですよね。「美しいから、怖いんだ」って。
―アルバム『Laurel Hell』をリリースした際のインタビューでも、美と恐怖の関係について話していましたよね。今のミツキさんは「恐怖」をどのように定義していますか?
ミツキ:人が生きていくうえで、自分には理解できないもの、人間よりも大きな不可知の何かに対して畏敬の念を持つことは、すごく大切だと思っていて。そこにたどり着くための、最も手っ取り早い方法のひとつなんです。それは、星を見上げることや、山の頂上に立って雄大な景色を眺めること、自分が死すべき運命を背負ったちっぽけな存在なんだと思い知ることに、どこか似ている。畏敬にも似たその感覚は、私を生と結びつけてくれるんです。生きているとはどういうことか、その意味そのものに。
―今作のテーマは、曲を書き終えて振り返ったときに初めて見えてきたそうですね。自分でも見過ごしていた心の中を、制作を通して再発見したのではないかと思うんです。アルバムをつくり終えて、トラウマや恐れ、死との向き合い方は、何か変わりましたか?
ミツキ:結局のところ、それらと一緒に生きていくしかないんだと思います。日々、過去のトラウマや自分の感情と向き合って、ただただよりよい人間になろうと努力し続けるしかない。でも、正直に言うと……それがときどき、すごく退屈に思えるんです。毎日同じことの繰り返しだから。10代の頃は、何かすごい解決策とか答えのようなものがあると思っていたんですけど、そんなのなかった(笑)。
―それって、めちゃくちゃ疲弊しますよね。やらなきゃいけないことではあるんですけど。
ミツキ:疲れますね。私って、(日本語で)「陰気な」タイプの人間で。気がつくと、物事をネガティブな方向に考えてしまうんです。だから、常に自分に「いいほうを見なさい」って言い聞かせなきゃいけない。何度がっかりさせられても、傷ついても、人を愛して、信じ続けるほうが人生はよくなる。冷笑や悲観に身を委ねてしまったら、人生は生きる価値がないと思うんです。そっちのほうが簡単だし。希望を持ち続けることのほうが、ずっと難しい。
今みたいな時代には、すべてが暗く見えるけれど、自分自身まで光を失ってしまったら、本当に世界全体が暗闇に染まってしまう。周りのすべてが残酷で意地悪なときにこそ、私は優しくありたいし、光でありたい。私が明るいほうを向いて、善くあろうとしている限り、少なくとも私の人生には、少しの光が差す。だから結局、何よりも、自分のために物事のいいほうに目を向け続けることがすごく大事なんだと思います。

心を家に見立てて
―ちょっと話は変わるんですけど、今作のジャケットには2匹の猫が描かれていますよね。アルバムには「Cats」と「That White Cat」という曲も収録されていますし、もう猫アルバムと言っていいんじゃないかと……って、ミツキさん、最高のTシャツ着てますね(『エイリアン』のリプリーが猫のジョーンジーを抱いたエアブラシ調のイラストに、”WORLD'S GREATEST CAT MOM 1986”と書かれている)。
ミツキ:リプリーは、世界一の猫ママですからね。仲間がエイリアンの犠牲になっても、猫だけは救う(笑)。うちの猫も今ここにいるんです。ここに1匹……それから、ここにも1匹(ミツキがカメラを向けると、猫がこちらを覗き込んでくる)。
―うわぁ……めちゃくちゃ可愛い。ちゃんとママが仕事中ってわかってるみたいですね。
ミツキ:この子たちのほかに、最近もう1匹、オスの猫を迎えたんです。うちの近くに野良猫のコロニーがあって、何世代にもわたって外で暮らしてるんですよ。本当は引き取ってあげたいけど、私は家を空けることが多いから、全部の猫を引き取るのは無理で。だから、ときどきごはんや水をあげて見守っているんです。その中に1匹、しょっちゅう私に寄ってきて、撫でてほしがる子がいて。ごはんをあげに行っても、それには目もくれずに「撫でて」って寄ってくる。制作中にふと窓の外を見ると、いつもその子がこっちを覗いていました。「どこにいるの?」って、私を探してるみたいに。
―最初からミツキさんに懐いていたんですね。
ミツキ:そうなんです。とても優しい子で、群れの中の縄張り意識の強いほかのオスに、よくいじめられていて。彼には兄弟が2匹いたんだけど、どちらもコロニーを離れてしまったんです。お母さん猫はどんどん子どもを産むのに、全然子育てをしないから、残された幼い子猫たちの面倒を、その優しいオス猫がかわりに見ていたんです。
―健気ですね……。
ミツキ:「なんていい子なんだろう」と思って。喧嘩に巻き込まれても、いつも戦おうとしないから負けちゃって……。この子は外で暮らすのに向いてないんだろうな、って。だから、彼が世話をしていた子猫たちが独り立ちできるくらい大きくなったところで、捕まえに行ったんです。優しいとはいっても野良猫だし、大ごとになるだろうな……って覚悟していたんだけど……キャリーを置いたら、スッと自分から入っていったんですよ。まるで最初からそうするのが当然だったみたいに。たぶん、彼は見た目よりずっと策略家だったんだと思う(笑)。長期戦で、うちに入り込む計画を練っていたんじゃないかな。だから今、うちには猫が3匹いるんです。
―(笑)。画策していたわけですね。その子が「That White Cat」のモデルですか?
ミツキ:違います、違います(笑)。外にもう1匹、白い猫がいて、曲はその子をもとに書いたんです。あの子は優しくていい子だから、「That White Cat」の白い猫とは全然違うんです。
―優しいオス猫さんに、大変失礼しました。アルバムに話を戻すと、今作はアメリカン・ゴシック小説の大家、シャーリイ・ジャクスンの『ずっとお城で暮らしてる』や『丘の屋敷』、そして上流階級出身の老母と娘の、荒れ果てた屋敷での暮らしを撮ったドキュメンタリー映画『グレイ・ガーデンズ』から影響を受けているそうですね。古い屋敷と、そこに閉じこもる女性たち。こうした作品のどんなところに惹かれたんでしょうか?
ミツキ:シャーリイ・ジャクスンは、本当に素晴らしい作家ですね。彼女の作品で特に好きなのは、人の心の動きに対する洞察がとても鋭いところなんです。呪われた家で怪奇現象が起きるんだけれど、それが実際に起きているのか、それとも人の心の中で起きているのかがはっきりしない。本当に取り憑かれているのは、人のほうなのかもしれない。長い時間をかけてさまざまな呪いを積み重ねてきた家があるように、人も何世代も前のトラウマや歴史を背負っている。それは決して自分たちのせいではないけれど、向き合わなければいけないのは、今を生きている自分たちで。シャーリイ・ジャクスンは、そういう取り憑かれた心を描くのが本当に見事なんです。
『Nothing's About to Happen to Me』でも、家を人の心のメタファーとして描きました。前の世代から受け継いだものでいっぱいの古い家。自分のものじゃないのに、手渡されたもので溢れている家。そこにあるものすべてをどう扱えばいいのかわからない、そんな主人公を設定したんです。自分に手渡されたものすべてと、どう向き合えばいいのか。ガラクタでいっぱいのこの心は、どうすれば片付くのか。そういうテーマを扱った作品になったと思います。
私たちは毎日を生き続けなきゃ
―「どこに行っても当てはまらない」と感じてきたミツキさんが、家を心のメタファーとして描いたのは、興味深いです。家は文字通り、人の居場所になるものですから。居場所と呼べるコミュニティを築いた今でも、心に開いた”穴”は埋まらないと話していましたね。その穴を抱えたまま、ミツキさんはこれからどうやって生きていきたいと思っていますか?
ミツキ:そうですね……。逆にあなたは、どうやって生きていきたいと思っていますか?
―私はクィアなんですけど、今この国で暮らしていると、本当に居場所がないように感じるんですよね。セクシュアリティだけでなく、自分自身の生き方自体が「必要のないもの」「踏みにじってもいいもの」として否定されているように感じるんです。なので、この作品にとても共感したんです。
ミツキ:あなたの気持ちがすごくよくわかります。私もずっと日本には住めないだろうな、と思ってきたんです。あまりにも他の人と違いすぎるし、きっと受け入れてもらえないだろう、って。あなたが送っているのは、外に出るたびに、小さく傷つく毎日ですよね。受け入れられないことと絶えず向き合わされるような。どうやってそれに対処してきたんですか?
―究極的には、他人に期待しないことかもしれません。なるべく希望を失わずに、人には優しく、よい人間であろうとする。でも、それでも大勢の中にいると、傷つくことのほうが多い。だからこそ、愛する人たちのことはとことん大切にして、その限られた関係を守る……ちゃんとできているかどうかはわかりませんが。決して狭く生きようとしているわけではないんですけど、それが自分にとっては理にかなった生存戦略なんです。
ミツキ:すごく共感します。ある意味で「邪魔にならないように生きている」ってことですよね。それって……とにかく疲れますよね。毎日、勇気を出さなきゃいけないのは本当に疲れる。
―そうですね。
ミツキ:私の場合は、やっぱり「私はいつか死ぬ」ってことを思い出すことなんです。「来年死ぬとしたら、今何をしなきゃいけないか」とか、「5年後に死ぬとしたら、人生を楽しむために何ができるか」とか、そういうことを考える。どうせ死ぬんだから、生きている間にしかできないことに集中するんです。
大げさかもしれないけど、私には自分を奮い立たせるために、何か壮大なものの力が必要なんです。だから、死について考える。雄大な自然のことを考える。宇宙がいかに謎に満ちているかを考える。人間が今ここに存在していること自体が奇跡なんだと思い出して、人ってなんて素晴らしいんだろうって考えるようにするんです。毎日を生きていくには、それくらい大きな美しさがいる。人生が苦しくなる理由って、実は本当にくだらないことばかりなんですよね。人間がバカみたいな問題を勝手につくって、人間が……。
―苦しんでいる。誰かを苦しめている。
ミツキ:そう、まさに。だから私は、生きていることの奇跡と魔法に目を向けるようにしてるんです……それでも、難しいときはもちろんあるんですけどね。でも、いい? 私たちみんなのためにも、あなたは生きていかなきゃダメだよ。私は無理かもしれないけど、あなたならできるかもしれないんだから。
―ミツキさんも同じですよ。どうか生き続けてください。
ミツキ:うん、わかってる。そうだね、私たちはとにかく毎日を生き続けなきゃね。諦めてしまいたくなっても、諦めずに。


ミツキ
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