「作りたいな、打席に立ちたいなというのは、ずっと思っていたんです」――今年1月末で22年在籍したフジテレビを退社した日置祐貴氏は、その決断の根底にあった思いをこう明かす。

『めちゃ×2イケてるッ!』『IPPONグランプリ』『人志松本のすべらない話』『ダウンタウンなう』『酒のツマミになる話』『THE SECOND~漫才トーナメント~』『THE CONTE』『ドラフトコント』など、数々のお笑い・バラエティ番組に携わってきた日置氏。現在はフリーのディレクターとしてテレビの番組制作にとどまらない仕事に取り組む一方、ABEMAのゼネラルプロデューサーに就任し、3日スタートのバラエティ『裏垢ウララカ』(毎週土曜23:00~)では総合演出を務める。

テレビ局の管理職としてキャリアを重ねる道もある中、なぜ45歳で外へ出ることを選んだのか。そこには、数年前から膨らんでいた“一クリエイター”としての思いがあった――。

  • 日置祐貴氏

    日置祐貴氏

「やりたくてもやれない環境」を実感

フジテレビを離れることを意識し始めたのは、約3年前。総合演出として番組をまとめる中で、フリーのディレクターと仕事をする機会が増えたことが一つのきっかけだった。

そこで「地上波以外にもネットや配信がある中で、なぜフジテレビにこだわっているの?」「フジテレビだけで番組をやるのはもったいないんじゃないの?」と言われ、それまで考えてもいなかった“会社の外”を初めて意識するようになった。

さらに、企画を考える中で感じたのが、テレビ局のタイムテーブルとの関係だった。局内にはすでに様々なジャンルの番組が並んでいるため、どれだけ面白い企画でも既存の番組と近ければ通りづらいケースがある。

そのことに気づいた日置氏は、「つまり、これは他局に出したら通っていた可能性もある企画だったのかな」と考えるようになり、次第に「企画書をフジテレビにしか出せないのは、機会損失なんじゃないか」という思いが芽生えていったという。

もう一つ大きかったのが、自身の立場の変化だ。退社時の日置氏の役職は「企画担当部長」で、いわば管理職。企画自体は通っても、本人があまりに忙しいため、労務管理や法律上の観点から「今の日置にはやらせられない」と判断されたこともあった。そこで、「やりたくてもやれない環境に今、自分はいるんだ」と実感したことも、決断を後押ししたという。

退社を1年遅らせたフジテレビの激震

日置氏にとって、45歳という年齢にも大きな意味があった。40歳頃から、テレビ局員として管理職へ進むのか、クリエイターとして生きるのか、“最後の分岐点”が45歳あたりに来ると考えていたという。「45歳までに決められなかったら、僕はフジテレビに一生いる。決めるんだったら飛び出す」と、自分の中で一つの期限を設定していた。

クリエイターの世界では、若い才能や新しいアイデアが評価される。自身について「45歳は全然若くはない」としながらも、「50歳はさすがに扱いづらいだろうなって(笑)。45歳ならギリギリごまかせないかなという気持ちはありました」と笑う。

「作りたいな、打席に立ちたいなというのはずっと思っていた」というが、実際に退社することへの迷いは「めちゃめちゃありました」と葛藤。特に、25年1月に表面化した人権問題を受け、フジテレビが再生への道を歩み始めた時期に会社を離れることには抵抗があった。一緒に苦しい時期を過ごした仲間がいる中で、「僕だけ抜けます」とは、簡単には言えなかったといい、退社を1年遅らせることにした。

退社後に改めて「会社員っていいんだな」と感じる部分もある。「病気にもなれないですし」とフリーの厳しさも実感しており、振り返れば、外に出る決心をするまでの3~4年間は「辞める勇気をつける期間」でもあった。

それでも最終的には、自分が制作現場を離れるタイミングを人事によって決められることへの思いが勝った。

フジテレビでは、尊敬する優秀な先輩たちが40代頃から人事異動でさまざまな部署へ移り、制作を離れていく姿も見てきた。「自分がもう作りたくない、自分には面白いものを作れないと思って辞めるならいい。でも、他人にそれを決められるのはちょっと悲しい」と考えたことも、退社理由の一つだった。