
「どうでもよかった」──9.11 米同時多発テロの現場で亡くなった写真家ビル・ビガートのメモリーカードが無事だったと知り、長男はそう感じたという。歴史的な写真が残っても、父は帰らない。なぜ彼は、人々が逃げる方向と逆へ進んだのか。不正義を追い続けた写真家としての信念、父親としての素顔、そして25年後も続く喪失。家族の証言から、その生涯をたどる。
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ビル・ビガートのカメラが妻ウェンディ・ドレマスのもとへ戻ったのは、彼が世界貿易センター北棟の崩落に巻き込まれてから3週間後だった。機材は2つの黒いごみ袋に入っていた。傷だらけで灰に覆われ、デジタルカメラのレンズはもぎ取られていた。
写真家仲間がメモリーカードを取り出した。最初は読み込めなかったが、パソコンを再起動すると、3つのフォルダが現れた。別の2台のカメラからはフィルムも現像された。そこには、現場へ急ぐ消防車、崩れ落ちる南棟、粉塵にまみれた生存者が写っていた。そして、まだ立っていた北棟へ近づいていくビガート自身の足取りも残されていた。
9.11でタワーが崩れた際に亡くなった唯一の写真家、ビガート。25年後の今、メモリーカードが無事だったと知って何を感じたかを長男ウィリアムに尋ねると、答えは短かった。
「どうでもよかった」
写真に価値がないという意味ではない。歴史に残る記録が救われても、父親を失った悲しみは埋められないということだ。
ビガートは1947年、ベルリンに生まれた。アイルランド系カトリックの12人きょうだいの2番目。5歳のとき、自宅の火事で弟2人を亡くした。軍人だった父とはベトナム戦争をめぐって対立し、自身は平和主義者になった。10代でカメラに触れ始め、米国で不当な扱いを受けている人々に心を寄せていった。
若くして結婚し、1969年にウィリアムが生まれたが、数年後、妻はたばこを買いに出たまま戻らなかった。20代前半でシングルファーザーになったビガートは、息子をバーへ連れていき、換気の悪い暗室で仕事をしながら、そばに置いた。夜更けまで一緒にビリヤードをしたが、わざと負けてやることはなかった。「勝たせてやったら、お前は何も覚えないだろう」
愛情と厳しさは切り離せなかった。「父は父なりに、精いっぱいやっていた」とウィリアムは言う。
商業写真で成功しても、ビガートは撮りたい現場へ出かけた。1973年には、先住民とFBIが対峙したサウスダコタ州ウーンデッド・ニーへ。後に商業写真の仕事を畳み、事件や抗議運動の現場を追うようになった。ニューヨークの人種差別や警察暴力、パレスチナの難民キャンプ、北アイルランドの紛争。権力に踏みにじられたと彼が考える人々の側に立った。
「父にとっては、いつも不正義が問題だった」とウィリアムは語る。大切だと思うことがあれば、危険を顧みず近づいていく。それは生涯変わらなかった。
2001年9月11日の朝、ビガートはドレマスと犬の散歩をしていた。世界貿易センターに飛行機が衝突したと聞き、帰宅してカメラ3台とフィルム、記者証を手に取った。
長男はすでに現場近くにいた。職場は世界貿易センターの向かい側だった。避難しながら、「今日は父がセーリングに出ていますように」と願った。それでも、父なら煙を見逃すはずがないとわかっていた。「こっちに来る。わかっていたんだ」
午前9時59分、南棟が崩れた。ビガートは粉塵の雲にのみ込まれながらも生き延び、咳き込む人々や空を見上げる消防士、警官を撮影した。そして、多くの人が逃げるなか、再び建物群へ向かった。
混乱のさなか、妻とは電話で話していた。20分後にスタジオで会おうと告げ、心配しないように言った。
「安全だよ。消防士たちと一緒にいるから」
最後の写真の時刻は午前10時28分24秒。南棟の残骸と、隣接するホテルの無残な姿が写っていた。その直後、まだ立っていた北棟が崩れた。遺体が見つかったのは4日後だった。
なぜ妻との約束を破り、さらに奥へ進んだのか。ウィリアムは父の撮り方を知っていた。「35ミリレンズで接近して、まつ毛にピントを合わせる写真家だった。そのためには、1.5メートル以内に寄らなければならない」。警官や消防士が許す限界まで近づき、そこからさらに踏み込む人だった。
もし帰宅していたら、撮り逃した写真のことを延々と悔やんで「手に負えなかっただろう」と息子は言う。ただし、父を神話にするつもりはない。
「写真家は英雄ではない。英雄的なことをする人々を撮るんだ」
次男ピーターは、父を失ったとき14歳だった。約10年後、大学の卒業時に、ほかの父親が息子たちとビールを使ったゲームに興じる姿を見て思った。「父なら絶対に楽しんだだろうな」。人生の節目は、父の不在をあらためて感じる機会にもなった。
家族に、9.11の写真で大切な一枚があるかと尋ねた。返ってきた答えは似ていた。それ以前の作品には愛着がある。けれど、あの日の写真は違う。「今もほとんど見ません。つらすぎるんです」とドレマスは言う。
家族はビガートの9.11の写真を一度も販売していない。写真に親族を見つけた人には、転売を禁じる条件でプリントを提供している。
世間にとっては、歴史を伝える写真だ。家族にとっては、父であり夫だった人の最期の記録でもある。9.11の追悼が繰り返されるたび、家族はその死を毎年、もう一度経験することになる。