
「空気は安全だ」──9.11 米同時多発テロの直後、米政府が発した言葉の裏で、救助に尽くした人々は何を失ったのか。有害物質による死者は、テロ当日の約3倍に上るとの推計もある。事件から25年、長く伏せられてきた約17万ページの資料が公開された。現場で粉塵を浴び、黒い痰を吐いた記者が、当時の記憶をたどりながら、政府の「安全宣言」を問い直す。
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ニューヨークの9月11日は、毎年不思議なほど天気がいい。澄み切って明るく、過ごしやすい。映画のセットのような青空は、米国史上最も暗い一日の記憶の一部になった。完璧なものと恐ろしいものは、しばしば縫い合わされている。
事件から25年。ゾーラン・マムダニ市長率いるニューヨーク市当局は、長く伏せられてきた大気の質に関する資料、約17万ページを公開した。支援団体「9/11 Health Watch」が起こした訴訟によって、ようやく日の目を見た資料だ。市によれば、昨年、市の事務所で見つかった68箱に収められていたという。
そこから浮かび上がるのは、ツインタワーの崩壊が残した有害物質と、その後につかれた嘘だ。こうした環境被害による死者は、テロそのものによる死者数の約3倍に上るという推計もある。
「空気は安全だ」という虚偽の説明は、事件直後から始まっていた。私は知っている。最初のタワーが崩れる前から翌12日の夜まで、約40時間、ニューヨーク・タイムズの記者として現場とその周辺を取材していたからだ。
当時、私はマンハッタンの刑事裁判を担当する若手記者だった。午前9時少し前、ジムの窓から世界貿易センター北棟の炎を見た。自宅へ戻って編集部に電話すると、応答したのは新任の編集トップ、ハウエル・レインズだった。「現場へ行きましょうか」「行ってくれ」。私は自転車で南へ向かった。
燃える高層ビルは、それ自体が天候をつくり出す。数ブロック離れていても熱が伝わり、近づくほど強まった。無数の書類が舞い、黒煙が日差しを遮っていた。断続的に聞こえた破裂音のような音は、後になって、高層階から飛び降りた人々が歩道に落下する音だったと知った。
北棟の入り口では、濡れたり血を流したりした人々が階段に列をなし、脱出を待っていた。低い不気味な地鳴りが轟音に変わり、南棟が崩れた。金属の滝が空から降ってきた。FBI捜査官の手招きに従って走り、地下鉄の入り口へ飛び込んだ。粉々になった建物が頭上を覆い、生き埋めになると思った。
やがて瓦礫の嵐が弱まり、暗闇が薄れた。刺激の強い粉塵が口や耳を満たし、髪にこびりつき、服を覆っていた。断熱材が敷き詰められたような道を病院まで歩くと、職員が濡らしたペーパータオルを配っていた。粉塵まみれの人々が、そのまま院内へ入るのを防ぐためだった。北棟が崩れると、新たな避難者が押し寄せた。
10ブロック北にある恋人の建築事務所で、髪と背中を洗ってもらい、肌着を借りた。皮膚を刺すような断熱材は、私の体から彼の体へ移っていった。その後、警官や救急車の運転手、ボランティアの消防士に助けられ、私は再び現場に戻った。そこは以後、「グラウンド・ゼロ」と呼ばれることになる。
7階建てほどの高さに積み上がった、くすぶる瓦礫。その巨大さに比べて、消防ホースなどの道具は悲しいほど心もとなかった。壊れたビルの中に設けられた物資の台には、手指消毒剤、目薬、一般的なサージカルマスク。身を守る手段は乏しかった。
翌朝には、ガス管からの漏出や周辺建物の倒壊の危険も伝わっていた。避難の指示は、「あの連中が走ったら、走れ」という程度だった。
そして、空気の問題があった。現場の救助隊員から、EPA(米環境保護庁)が空気は安全だと言っていると聞いた。それは事件のわずか1週間後、EPAの公式見解になる。明らかに誤っていただけではない。2003年のEPA監察総監報告は、そうした包括的な声明を出すための「十分なデータと分析」がなかったことを明らかにした。
12日午後10時半ごろ、私は現場を離れ、歩いて帰宅した。その後、脚にはあざが浮かび、建物が崩れる夢を見た。何週間も、肺から指先まで断熱材の繊維が残っているように感じた。咳は続き、ときに黒っぽい痰が出た。
その後、私はニューヨーク・タイムズやヴァニティ・フェアで、なぜ米国はこれほど無防備だったのかを取材した。しかし、自分自身にもっと近い問いには取り組まなかった。EPAのあの重大な失敗は、なぜ起きたのか。
私は瓦礫の山には戻らなかった。しかし、ニューヨークや各地から集まった何百人もの勇敢な救助隊員は、有害物質を含む瓦礫を何カ月も掘り続けた。犠牲者の遺体を捜し出すために、結果として自らの命を差し出した人々もいる。彼らはその後、肺疾患やがんで亡くなった。
9月8日、資料公開の記者会見でマムダニ市長は述べた。「人々が病気になったのは、信頼していた指導者たちが嘘をつき、有害な空気を吸っても安全だと伝えたからです」。ニューヨーク・タイムズによれば、公開資料は、事件の10カ月後にも現場から約800メートル離れた場所でアスベストが検出されていたことを示している。
市は今後数カ月で、さらに資料を公開すると約束している。瓦礫を掘る作業はとうに終わった。それでも、真実を掘り起こす作業は、25年後の今も続いている。