細野晴臣のような音楽家はこの世界にいない──過去を受け継ぎ未来へつなぐ、80歳目前の現在地

細野晴臣が、本日9月11日(金)に通算23枚目となるニューアルバム『Yours Sincerely』を全世界リリース。Rolling Stone Italiaによるイタリア独占インタビューを翻訳してお届けする。

細野晴臣が、サイケデリック・バンド、エイプリル・フールのベーシストとして初めてアルバムを発表したのは1969年のこと。それから60年近くが経ち、80歳を目前にした今、この日本人アーティストも、そろそろ日本文化に根付く謙虚さを脇に置き、音楽の世界に自分と並ぶ存在はいないと認めてもいいのかもしれない。日本の音楽史を変えたイエロー・マジック・オーケストラから、近年のSKETCH SHOWまで10を超える共同プロジェクトに参加し、約20枚のソロアルバム、7作のサウンドトラックを発表。コンピレーションやライブアルバムにも数多く参加してきた。しかも、その歩みを通じて一貫してきたのは、常に革新を求め、音楽を自分だけの自由で唯一無二の言語にしようとする姿勢だ。未来を書こうとするときも、過去を読み直そうとするときも、それは変わらない。本人が語るように、コンピューターやシンセサイザーを駆使したデジタル・ミュージックの先駆者として知られる一方で、細野はカバーにも大きな力があると考えている。過去の音楽を新たな形で奏でることは、歴史の一部を次の世代へと伝えていくことでもあるのだ。

YMOの圧倒的なディスコグラフィだけでも、その「巨匠」ぶりは十分に伝わるだろう(もっとも、本人はそう呼ばれるのをまったく好まないのだが)。さらに、その足跡をたどるなら、音楽史に残るソロ作品の数々にもあらためて耳を傾けてほしい。「Sports Men」を収録し、「Funiculì funiculà」の奇抜なカバーまで収めた『Philharmony』。エキゾチカを独自の解釈で更新した『Tropical Dandy』。アーケードゲームで知られるナムコとのコラボレーション『Video Game Music』。無印良品との共同制作から生まれ、バックグラウンド・ミュージックや日本的な環境音楽という発想を広めた『Muji Original BGM』と『Watering A Flower』。さらに、高橋幸宏とのプロジェクト、SKETCH SHOWでは、盟友の坂本龍一や、日本のオルタナティブ/革新的なシーンを代表するコーネリアスとも共演している。挙げればきりがないが、1973年のソロデビュー作『Hosono House』──ハリー・スタイルズをはじめ多くのアーティストに愛され、たびたび言及されてきた金字塔──や、鈴木茂、山下達郎とのインストゥルメンタル・アルバム『Pacific』も外すことはできない。

9月11日には、7年ぶりとなるソロ最新作『Yours Sincerely』がリリースされた。もっとも、この7年間もコンサートやツアー、サウンドトラック、コラボレーション・アルバムの制作など、細野が実際に立ち止まっていたわけではない。本作の出発点となったのは、パンデミックを経て数年にわたり抱いてきたある思いだった。細野は当時、「無力感や孤立感の中から、これまでとは違う生き方が芽生えつつあるのを感じた。まるで、深く眠っていた本能──思いやりや母性的な慈悲といった、日常生活ではなかなか実践することのない感情──が目覚め始めたようだった」と振り返っている。そこから再び作曲とアレンジに取りかかり、数カ月でアルバムを完成させた。ソロキャリア23作目。自らを「怠け者の性格」と語るアーティストの歩みを思えば、どこか微笑ましくも感じられる数字だ。

ミラノと東京を結んだ今回のインタビューで、細野はそんな思いを語ってくれた。イタリアで唯一実現した単独インタビューだ。通訳を介しながら、日本が生んだ最も偉大なアーティストの一人とじっくり言葉を交わした。

自分の中に二つの世界がある

―『Yours Sincerely』は23作目のアルバムですね。もちろん、これはソロ作品だけを数えた場合ですが。80歳を目前にし、キャリアも60年近くになります。それでも新しい音楽を作り続ける原動力となっている好奇心や刺激は何ですか?

細野:簡単に言えば、ほかにやることがないから音楽を続けているんです(笑)。今回のアルバムは、また音楽を作りたいという気持ちがあって、もう何年か前から考えていました。それで、ようやくスタジオに戻って制作を始めたんです。今年の3月頃だったかな。新しい曲に手をつけるのはかなり久しぶりでした。楽しいプロセスで、すっかり没頭しましたね。これから自分が何を作れるのかということにも、これまで自分が作ってきたものにも興味があります。まるで自分の中に二つの世界があるような感じですね。

―では、これまでの作品の中で、特に思い入れのあるアルバムを挙げるとしたら? その理由も教えてください。

細野:過去の作品なら『S-F-X』(1984年のイエロー・マジック・オーケストラ散開後、最初の作品)でしょうか。もう少し最近なら『Heavenly Music』(2013年)ですね。この2枚は聴くのが好きで、聴くと嬉しくなる曲が入っています。でも正直、なぜなのかは自分でもよくわからない。ただ、聴くこと自体が楽しいんです。

―音楽は、聴くのと作るのではどちらが好きですか?

細野:聴くほうですね。

―これまでのキャリアでは、実にさまざまなジャンルに触れ、取り入れ、ときには自ら生み出し、広めてきました。今回のアルバムにも多様な音楽が入っています。音楽のどんなところに好奇心をかき立てられるのでしょう?

細野:僕が聴いていて好きなのは、親しみを感じるのに、同時にどこか変で、ちょっと奇妙な音楽なんです。50年代や60年代には、そういう音楽がたくさんありました。すごく身近に感じるのに、同時に「これはいったい何なんだ?」と思わせるような音楽。それは脳の働きとも関係しているんでしょうね。脳は馴染みのあるものを認識しながら、その一方で馴染みのない部分に刺激を受ける。音楽でも同じことが起きますし、僕自身もそういう音楽を作るのが好きなんです。

―あなたはエキゾチカ、アンビエント、環境音楽、渋谷系、ビデオゲーム・ミュージックなど、さまざまなジャンルの形成や普及に貢献してきました。そうした音楽の先駆者として、また世に広める存在としての自分の役割を意識していたのでしょうか?

細野:自分が書いた音楽をほかの人がどう思っているのか、ずっと知りませんでしたし、考えたこともありませんでした。つい最近まで、それがいい音楽なのか悪い音楽なのかさえ、自分ではわからなかったんです。今になって少しずつわかるようになってきて、「音楽にはいろいろな聴き方がある」と人から言われたことは、僕にとって新しい発見でした。でも、それがすべていいことだとも思わないんです。それを知らなかった頃は、完全に自由に仕事ができていましたから。

―ただ、そこにエゴはあまり感じられません。これまでバンドやサイドプロジェクト、コレクティブなど、多くの人と活動し、そのたびにプロジェクト名を掲げ、自分の名前がジャケットに出ないこともありました。音楽において、自分のエゴにはあまり執着していないのでしょうか?

細野:当時、仕事をしているときは、エゴについてそれほど考えていませんでしたね。今振り返ると、過去に自分が築いてきたものが、今もこうして音楽を続けていられる力になっています。だから今では、これだけいろいろなことをやってきた僕みたいな音楽家はほかにいない、なんて少し皮肉を込めて言ったりもします。堂々と言っていますけど、ちょっと冗談めかしてね。

―これまで一緒に仕事をしてきた多くの人たちの中で、最も多くを学んだのは誰ですか?

細野:特定の誰かということはないですね。本当にたくさんのプロジェクトでベースを弾いてきましたし、いろいろな人から音楽的な影響を受けてきました。言えるのは、一緒に仕事をしてきた人たちはみんなとても才能があって、それぞれ人に与えられるものをたくさん持っている、ということですね。

―では逆に、今ではご自身を「巨匠」だと感じますか? 後に続く世代に何かを教えてきたという実感はありますか?

細野:そう呼ぶ人がいることには、少しずつ気づき始めています。でも、僕は「巨匠」とは呼ばれたくないんです。何か決まった形で定義されたくない。自由でいたいし、ただ自分自身でいたいんです。

音楽の歴史を次の世代へ

―アルバムのオープニング曲「Note of Mothership」では、〈we are mothers〉というフレーズが繰り返されます。あなたにとって「母」とは、どのような存在なのでしょう?

細野:人間は昔から、何かを生み出すものすべてに大きな敬意を払ってきました。この世界だって、女性がいなければ何ひとつ存在していません。そして、もしかすると僕たちの銀河全体も、母性に根ざしたある根本的な法則によって成り立っているのかもしれない。このアルバムを作りながら僕が感謝を捧げたかったのは、まさにその力、何かに命を与える力なんです。

―ジャンルだけでなく、これまで言語でもよく遊んできましたよね。今回もさまざまな言語が使われていますが、「Figlio perduto」ではイタリア語も登場します。

細野:「Figlio perduto」は、僕より前にも多くの人が手がけてきた曲なんです。もともとはシンフォニックな音楽として生まれたものですが、後に作られたバージョンの中には、その音楽の上に歌を重ねたものもある。僕もそのやり方にならいました。それから、歌っているのはほとんどの場合、女性の声だということにも気づきました。僕も同じ選択をしたんです。

―今回のように、すでに存在する音楽を取り上げることもこれまでよくありました。なぜ、すでにあるものに立ち返るのでしょう? 過去の音楽とはどのような関係を築いていますか?

細野:音楽の本質というものを、次の世代へ受け継いでいくべきだと感じています。過去に目を向けるなかで、自分はその歴史を伝えていく側でありたいと思うようになりました。これほど豊かな音楽の歴史を、失わせるわけにはいきませんから。

―過去との関係という話で言えば、今の欧米では、当時ヨーロッパやアメリカでは発売されなかった70年代、80年代の日本音楽があらためて注目されています。そうした作品の発掘に取り組むレーベルもたくさんあります。この流れが生まれた理由について、何か思い当たることはありますか?

細野:つい最近まで、そんなことが起きていること自体知らなかったんです。僕はずっと、自分のリスナーは主に日本人だと思って仕事をしてきました。聴いている人自身が音楽家ならまた別かもしれませんけど、一般の人たちが僕の音楽を聴いているなんて、実際にはあまり考えたことがなかった。それに、ヒットチャートに入るような音楽を作ろうとしたこともないので、そもそもそういう観点で考えていなかったんです。ただ、あの時代の日本の音楽、日本で「ニューミュージック」と呼ばれていたものは、本当に多くの人に愛されていました。素晴らしいレコードもたくさん作られた。それが今ではインターネットによって、誰でもアクセスできるようになった。おそらく、それが今になって多くの人に届いている理由なんでしょうね。

YMO、坂本龍一、そして未来

―とはいえ、イエロー・マジック・オーケストラは日本国外でも大きな成功を収めました。当時をどのように記憶していますか?

細野:今でも印象に残っている出来事があります。当時、ローマでやった僕らのコンサートでのことです。おそらく、イタリアでは初めてのライブだったと思います。前のほうの客席に、互いに議論している人たちがいたんです。みんな哲学者みたいに見えましたね。ライブの最中にも議論していた。それを見て、自分は異質な存在、よそ者なんだと感じました。そして実際、その頃の僕らはそういう存在だったんです。受け入れられて喝采を浴びるというより、異物だった。異星人、と言ってもいいでしょうね。そこで、僕らの音楽が理解されるまでには、もっと時間がかかるんだろうなと思いました。

―私の父はDJだったんです。北イタリアの地方のクラブで、あなたたちのレコード──たしか「Firecracker」や「Rydeen」だったと思います──をかけていたと話していました。みんなそれで踊っていたそうです。そこまで知られていなかったわけでもなかったんですね……。

細野:それは信じられないですね。もう、お父さんに感謝するしかありません。

―イタリアと坂本龍一さんの結びつきはとても深いですよね。坂本さんとの思い出を一つ聞かせていただけますか?

細野:僕と幸宏は、グループの中で音楽の専門教育を受けていなかった二人でした。龍一だけは大学に行って、音楽理論を学び、きちんとピアノの教育も受けていた。だから、いちばん頼りになるメンバーで、僕らが頼りにしていた存在でしたね。もちろん、性格的にはときどきぶつかることもありました。でも、それもまた、僕ら全員にとって刺激になる要素だったんです。

―あなたはコンピューターやシンセサイザーの先駆的な使い手として知られる一方で、キャリアを通じてデジタルな楽器や未来的なサウンドと、よりフォーキーで生楽器を主体とした音を行き来してきました。今、アナログとデジタルについてどのように考えていますか?

細野:自分一人で音楽を作ることが多いので、電子機器を使うのはどうしても避けられませんし、今回のアルバムでもアプローチは同じでした。でも、そろそろ限界に来ている気もするんです。いっそ電子的なものを何も使わず、全部を生楽器でやってみたい気持ちもあります。あるいは、スタジオにある機材を全部入れ替えてしまうとか。でも僕はちょっと怠け者なので、たぶんこのままでいくと思います。

From Rolling Stone Italia

細野晴臣

『Yours Sincerely』

発売中

再生・購入:https://haruomihosono.lnk.to/0911_YoursSincerely_PKG