
続いては、イソ・グリフォとマセラティ・ギブリ、デ・トマゾ・マングスタという素晴らしい”御三家”である。グリフォはジウジアーロがベルトーネ在籍中の作品であり、それはいわば意に反してフェラーリを辞めざるを得なかったジオット・ビッザリーニの意趣返しとも言えるプロジェクトだった。1966年のギブリ、および1967年のマングスタはギア在籍中の作品である。
【画像】ジウジアーロの傑作その2:イソ・グリフォ(写真4点)
1967年イソ・グリフォ
グリフォは、フェラーリ250GTOが風洞実験ではなく、ジウジアーロがデザインしたらこうなったはず、という形をしている。一部の人が言うようにエレガントとは言えないが、窓から出した手で路面を触れるほど低い車高を特徴としていた。地を這うようなボディには、ライバルのようにイタリアンV8やV12エンジンではなく、騒々しいアメリカンV8を積んでいた。1963年のサロン・オート・トリノにベルトーネはグリフォA3/Lプロトタイプを出展、いっぽうイソは無塗装のコンペティションバージョン「A3/C」を展示した。ロードカーは報道関係者の評判が高く、レースカーもフェラーリよりずっと少ない予算にもかかわらず、期待通りの活躍を見せた。野獣のようなグリフォはまた別の品種であり、その音に相応しい形をしている。
ジウジアーロは白紙からグリフォをデザインすることを認められていたが、彼自身はコンセプトカーに留まるものと考えていたらしい。しかしながら、1966年に『AUTOCAR』が市販モデルをテストした際に記録した260km/h(161mph)の最高速は、同誌がテストした市販車で最速だった。ひと言でいえば、野性的だが富裕層のためのスーパーGTだったのである。
グリフォとは対照的に、多くの人が言うようにギブリはほぼ完璧である。だが私にとってはこの三つ子の中のベストはマングスタだ。ミドエンジンとして最高の形ではないかとさえ思う。リベットと溶接によらないその豪勢なスタイルは、直線と面の巧妙な構成で作り上げられている。センターヒンジのエンジンフードだけが目新しく、重量配分も理想的ではないという人も多いが、ミドエンジン化は美しさのための些細な犠牲と言うべきだろう。
オーナーの声:Rob Burdett(ロブ・バーデット)
ロブは子供のころにグリフォの1/43のスケールモデルを持っていた。いや今も持っている。それだけでなく今は本物も持っている。彼の車はシャシーNo. 138で1967年に英国にデリバーされたものだ。オーナーのロイ・ウッドフォードは、グリマルディ家の公式カメラマンに任命された時に、モンテカルロにこのグリフォを運転して行ったという。
その後ブレントフォードFC会長のマーティン・ラングに売却され、後に彼の息子のマシューがレストアした後に、2014年のグッドウッド・フェスティバルでのボナムス・オークションに出品された。その頃には元々のホワイトではなくグリジオ・フェッロ(ガンメタ)に塗り直されていたという。
ラングが所有している間に、パワーグライド2段ATはTH350型3段ATに換装、ブレーキとラジエターがアップグレードされ、電動ファンも取り付けられた。この非常にめずらしい右ハンドル仕様(15台以下という)は数年後に再び売りに出されたところをレイゲート在住の投資マネジャーであるロブが見つけた。マセラティのGTが好きで、オースチンA40ファリーナでレースにも参加する彼は、実車を見ずに決めたのだという。
「何かいい車がないかと探していたんだ。まさにこれだと直感的に悟り、休日にもかかわらず手付金を払った。買った時に付いていたミウラ用のホイールをワイヤホイールに交換したが、90点と言えるぐらいの状態じゃないかな。クラシックカーは乗らないとすねて調子が悪くなるから、規則的に乗っているよ。何度かスコットランドにも遠出した。いつかモナコに旅したいと考えている」
彼が手に入れてからトラブルフリーだったわけではない。「リビルト品のシェビーエンジンは調子が悪かった。他にブループリントのオリジナル・ファクトリー・エンジンも持っているのだが、普段用に1960年代スペックの交換用ユニットを積んでいる。それが2000ポンドで手に入るのだから驚きだ。他のエキゾチックなGTではこうはいかないだろう?
グリフォは奇妙な混血児のように言われることもあるが、私のような車バカにとっては大好物だ。何しろジウジアーロ・デザインで、ビッザリーニ開発、それにアメリカンV8エンジンだ。ビッザリーニはランボルギーニのV12を設計したが、自分の車にはシェビーV8を選んだ。ちゃんと分かっていたということさ」
編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA
Words:Stephen Bayley Photography: Charlie Magee