
近年、バッド・バニーの躍進によって注目を集めるカリブ海の音楽だが、ジャズの世界においては、古くから重要な要素として存在し続けている。「アフロ・キューバン」と呼ばれるジャズの源流は100年以上前まで遡ることができるし、キューバやプエルトリコからの影響抜きにジャズ史を語ることはできない。また、イギリスのジャズ史であればジャマイカやトリニダード、フランスであればグアドループやマルチニークへの言及が不可欠となる。このようにカリブ海の音楽とジャズは、常に密接な関係にあり続けてきた。
とはいえ、ハイチに関してはこれまで実態が見えづらい部分もあった。ニューオーリンズのクレオール文化とハイチの強い繋がりなどは語られてきたものの、「ハイチの音楽要素を取り入れたジャズ」となると、なかなか見つけることができなかった。
ハイチ人の両親をもつカナダ生まれのマルチ奏者、ジョーイ・オミシル(Jowee Omicil)は、自身のルーツであるハイチの音楽要素を積極的に取り入れている稀有なアーティストだ。ロバート・グラスパーらと同世代の彼は、ロイ・ハーグローヴへのリスペクトを公言し、ヒップホップやR&Bを取り入れたハイブリッドなサウンドを得意としながら、そこにハイチの宗教儀式ヴードゥーに由来する行進音楽ララ(Rara)、1950年代に誕生したダンス音楽コンパ(Konpa)、70年代に伝統的なヴードゥー音楽とロック/ポップスを融合させたラシン(Rasin)など、ハイチ固有の音楽をジャズと融合させている。
ハイチ音楽とジャズの融合を、アフリカ系ディアスポラの文脈で現代的に奏でる彼の姿勢は、世界各地で行われている音楽的試みとも共振するものだ。そんなジョーイ・オミシルに、ハイチの音楽や歴史についてもじっくり話を訊いた。
※ジョーイ・オミシルの初来日公演が決定。9月24日(木)東京・表参道 WALL&WALL、9月27日(日)りんご音楽祭2026(詳細は記事末尾にて)
ジョーイ・オミシルはソプラノ・サックスをメイン楽器としつつ、アルト・サックス、クラリネット、フルートからコルネットまで演奏し、みずから歌も歌う
ハイチ文化の「深くて多様な」DNA
―あなたはカナダ生まれで、両親はハイチからの移民だそうですが、ハイチの文化には子供のころから触れていましたか?
オミシル:もちろん。モントリオールの実家では、常にハイチの文化が身近にあった。今もそうだ。育っていく中でも、人格形成にも、自分のルーツは大きく影響してたと思う。父が毎日のように口にしていたハイチの諺がある。「Si li bon pou ou, w ap wè li(時が経てば、自分にとっていいものは自然にわかる)」。他にもそういう言葉をたくさん覚えている。ハイチは僕のルーツであり、DNAの中にも育ちの中にもあった。だからずっと自分という存在の一部だったんだ。
―家でもハイチの音楽のレコードがかかっていたりしたのですか?
オミシル:いや、父は牧師だったので、家でかかるのはもっぱらブラームスのようなクラシック音楽や、シャルル・アズナブール、セリーヌ・ディオン、ナナ・ムスクーリ、教会の聖歌隊だった。
ハイチのサウンドに出会ったのは、9歳の時。放課後に卓球をしに行っていたスポーツセンターなんだ。そこでかかっていたのがハイチ音楽のイディオムの源であるコンパだった。だから9歳の時から、ヌムール・ジャン=バチストもタブー・コンボもズークもマグナム・バンドもアゾール(Azor)も聴いていた。それが何なのかもわからぬまま、そのサウンドに惹かれていったんだ。アゾールはハイチ出身のルーツパーカッションの第一人者だ。
そうやって家ではポップ・ミュージックやクラシック、ゴスペルを聴き、放課後は卓球をしながら、ルーツであるハイチの文化に浸っていたんだけど、その一方で、街に出れば、バスケットコートではラップやヒップホップがかかっていた。それが僕の育ち方だったわけだ。寒いモントリオールでね。夏はバスケをしたり野球をしたり、テレビで見るのはセリーヌ・ディオン、ナタリー・シマール、ダン・ビグラ(Dan Bigras)、フェリックス・ルクレール(Félix Leclerc)といった人たち。だからスポーツセンターで聴くまで、コンパもラシンも知らなかった。でも聴いたらそれはまさしくハイチのサウンドで、すぐに好きになったんだ。
ハイチのヴードゥー系パーカッション奏者、アゾール(本名レノール・フォルチュネ)の演奏
―ハイチでもフランスでもアメリカでもなく、そうやってモントリオールで育ったことが、あなたに色んな好影響を与えたということですね。
オミシル:それは今だから言えることだね。だって、それが僕の育ち方だったわけだから。覚えておかなきゃならないのは、人生という本にはいくつもの章があるということ。今は『sMiLes』(2025年の最新アルバム)の章にいるが、その前にはたくさんの章があった。2ndアルバムである『Roots & Grooves』(2009年)は、自分のルーツであるハイチともう一度繋がり直した章だ。
でも自分のアイデンティティに出会うには、プロセスが必要だ。それは楽なようで楽ではない道のりだ。流れに任せ、身を委ねるなら、旅はシンプルになる。ここ数十年の間で、そのことに気づいてきた。大切なのは身を委ねること。沈黙にこそ完全なハーモニーがあるように。
だから君が言うことも理解できるし、その通りだと思う。モントリオールで育って、とても良かった。もしフランスだったら、まるで違っていただろう。今住んでいるここフランスでは、若い世代はアフリカのサウンドをよく聴いている。地理的に近いからだ。誰もがアフリカン・ヒップホップやアフリカン・ポップを聴いている。もうフランス文化の一部と言えるほどだ。でもモントリオールでは逆だった。モントリオールにとってのアフリカはハイチなんだ。
最新アルバム『sMiLes』のリード曲、同じくハイチとカナダにルーツをもつ歌手ドミニク・フィルズ・エイメをフィーチャーした「SHouLd I sMiLe?」MV
―あなたの作品にはジャズの巨匠の名前が数多く登場します。特に影響を受けたジャズミュージシャンを3人に絞るとすると誰になりますか?
オミシル:三角形がとても重要なんだ。ハーモニーと同じ。3つの音があれば調和が生まれる。なので、大きなリストを3つの柱に絞ってみたい。
三角形の頂点は、やはりマイルス・デイヴィスだ。それはなぜか。第一には「言うまでもないこと」だから。第二には、マイルスの美学が大きな影響を及ぼしたという事実。第三は、その疑いようのない音楽コンセプトとスタイルだ。スタイルは料理の材料のようなもので、とても重要だ。材料が揃えば、いい料理ができる。マイルスの話をすると、自然と笑顔(smile)になるね。
三角形の左側の頂点は、ジョン・コルトレーンだ。コルトレーンを通して、僕らは精神性の深いところへと踏み込んでいく。彼の肉声インタビューがあるが、そこで語っているように「人はより高い自己に出会う」必要がある。この三角形のピラミッドでは下に位置しているが、コルトレーンも柱の一つ。彼はその精神的な土台、精神的エコシステムを支えているんだ。人が謙虚になり、身を委ね、内なる光を探す上で、それは欠かすことができない柱。
その精神的な旅の末に内なる光を見つけたなら、三角形の右側、三つ目の柱であるオーネット・コールマンへとたどり着く。そこで得るのは自由だ。存在する自由は本来とてもシンプルなんだ。子供たちはそれを反射神経のようにやっている。そして僕らはもう一度そこへ戻ろうとしている。そのためには沈黙のシンプルさや子供の無垢さが必要なんだ。オーネットが与えてくれたのは、そんな子供のような精神性、キリスト的心のあり方だ。沈黙し、ただそこに存在するだけでいいという、完全な自由なんだよ。
―先ほど、コンパの話が出ましたが、ハイチには他にもララやヴードゥー・ドラミング といった様々な固有の音楽があります。それらはどのように学んだんですか?
オミシル:さっき話したスポーツセンターで耳にしたルーツ音楽には、ラシンも含まれていた。それはハイチのストリートの音楽。森の音楽。先住の人たちの音楽だ。祖先から受け継がれてきた情報はララからやって来る。そして僕らはここにいる。アゾールという人の名前を書き留めておいてくれ。そしてアゾールの師、チローロ(Ti Roro)もね。チローロはマックス・ローチの恩師だ。18歳のマックスは夏になると、父親とハイチに行き、チローロに学んでいた。チローロはルーツ音楽の父で、彼のアーカイブにはラシンやララも含まれている。
それは単なるジャンルではなく、文化のDNAだ。ハイチのリズムの秘密がまさにそこにある。ララはもちろん、ナゴ(Nago)、マヒ(Mahi)、ヤンヴァルー(Yanvalou)など、どれもハイチのルーツ音楽の体系に存在するリズムの型だ。さらに掘り下げれば、あと200以上のリズムが存在してる。まるで無限の8、無限に広がる網のようなもの。そこに迷い込み、何かを探す。そこで”癒し”を見つける。君の質問のおかげでそこに行けた。ありがとう。その話をしたいんだ。
ルーツ音楽であるララ音楽を通して、そこに癒しが介在してくる。だからこそシャーマンやグル(Guru)たちはララを街に持ち出した。人はララを路上で、自然の中で演奏する。それはあらゆる病を治す解毒剤だ。音楽そのものが癒しなんだ。君が今話してる音楽もそれ。その話だけでも永遠に語り続けられるよ。
チローロの演奏
―そういうことを教えてくれる人はチローロの他にもいたわけですよね。
オミシル:ああ、チローロはその一人。アゾールもだ。僕は若い頃、アゾールとのセレモニーに何度か参加したことがある。アゾールはララに今日の音楽風景を取り入れた。これはオフィシャルなものとして次世代に受け継がれるだろう。生音であるララとエレクトロニックを融合させたんだ。アゾールこそ、ルーツ音楽のコンパスなんだ。僕らはルーツ音楽をラシンと呼ぶ。ラシンとは木の根っこという意味だ。僕らのルーツ音楽はここから始まったんだ。
もう一人、ララの師と呼べるのがアラル・フォスティン(Aral Faustin)だ。彼は日本でも90年代初めにセレモニーを行い、ラシンやララの音楽を演奏している。彼らが僕の師だ。彼らから僕は学んだんだ。ララ音楽はコンパ音楽とは違う。コンパ音楽はララ音楽から生まれた。ララ音楽は核であり、本質、伝統的な原住のサウンドであり、広がる大地とそこに住む人たちのサウンドだ。だからカーニバルで演奏される。命が誕生する時、結婚する時に演奏される。結婚と言っても、今日のような”どちらの付属になる”のではなく、伝統的な”伴侶としての結びつき”に根ざした結婚だ。またコミュニオン(集団儀礼)でも演奏される。円になって行う儀式だが、今日見かけるものとは違う。現代のものは形が違ってしまっているが、本来の自然の循環されるエネルギーの中で演奏される音楽は欠かせないものだ。
―なるほど。
オミシル:この話は一日だって話せるよ、言語なんだ。(日本語で)「ありがとうございます」「元気です」みたいにね。この言語の列車に乗れば、どこまでも行ける。静岡だって熱海だって六本木だって……!
―そういったこと学んだのは、バークリー音大に行く前ですか?
オミシル:そうだよ! でもそれは継続して続けられる実践なのであって、今もまだ学んでいる最中だね。僕は48歳だけど、12歳なんだ。ラシン音楽という謙虚な遺産を学んでいるところだ。つい最近も新しい音源アーカイブを発見した。それまで聴いたことがない音は、いつだって新しい音になる。つまり未だに僕は何かを学んでる。
実際、初めて卓球しながらタンボール(tambour=太鼓)の音を聴いたのは12歳の時だ。地下階でラシン音楽を演奏してたんだ。ドアが開くたびに、ドラムの音が聞こえてきた。それで「下で何をやってるんだ?」と思ったけど子供はそこに入れてもらえない。特に僕は父が牧師だったので「お前は入るな」と言われていた。でも地下室でセレモニーが行われていたことを知っていた。ようやく初めてこの目でセレモニーを見たのは、33歳の時。セレモニーとはハイチの先住民のヴードゥーの儀式だ。
Photo by Juri Hiensch
―あなたの作品には初期の頃から、先ほどから話してくれたようなハイチ音楽の要素が入っていたと思います。それは意識的に入れていたわけですよね?
オミシル:もちろん。目的を持ってそうしていた。それが自分のアイデンティティだからだ。1枚目の『Lets Do This』(2006年)では先ほど話した僕の先生、アラル・フォスティンが参加している。彼は200近い伝統的なリズムをすべて知っている。その彼が1枚目から加わっていた。ルーツはすでにそこにあったんだ。
同時に、トゥーサン・ルーヴェルチュール(Toussaint Louverture)のことを忘れてはならない。ハイチ人を解放した英雄であり、初代黒人皇帝。彼は「私たちのルーツは深くて多様だ」と言った。だから僕のアルバムには、1枚目から11枚目まで、常にハイチ文化の豊かなスパイスが加わっている。それは死ぬまで続くだろうし、どれだけ月日が経っても尽きることがないから、意味を持ち続けるんだ。
日本の食文化と似ているよ。日本の料理を味わい尽くすことなんてできないじゃないか。それほど種類が多い。甘いものも色々、調理法も色々、寿司に至っては発明品だ! ハイチの芸術も同じ。だから僕のアルバムには、必ずスパイスのどれかが加えられている。
ただ『Roots and Groove』では「これが僕のルーツだ。皆もそれに合わせてグルーヴしてくれ」と告げたんだ。それが『Roots and Groove』の秘密の要素だ。みんなに僕のルーツのリズムで踊ってもらいたかった。だから内ジャケットには木が描かれている。木はハイチのルーツや文化の豊かさの象徴だ。
『Naked』(2014年)ではアゾールの右腕であるTi Wes St-Louisを迎えた。ウェイン・ショーターの「Footprint」でハイチのパーカッションを叩いているのは彼だ。彼が叩いているのはヤンヴァルーのリズムだ。
ハイチ革命という「人類の進化」
―特に気になるのが、ハイチにとって重要な地名をタイトルに配した『"SpiriTuaL HeaLinG Bwa KaYimaN FreeDoM SuiTe" CereMony』(2023年)です。このアルバムのコンセプトを聞かせてください。
オミシル:整理して話そう。カリブ海に浮かぶキスケヤ(Quisqueya) 、これは現在ハイチと呼ばれる島のことだ。そこに暮らす人々の解放が始まったのは1791年。彼らは東、すなわちヨーロッパから来た勢力の攻撃、略奪に晒されていた。そんな彼らが12年間かかって、奴隷制、レイプ、殺害、毒殺から自らを解放するために結束したんだ。
彼らは先祖のルーツを掘り下げる巡礼の旅に出て、ボワ・カイマン(Bwa Kayiman)と呼ばれるハイチ北部の森の奥深くで真実を見つけた。その真実とは「自由」。自由を手に入れるためには武力で戦うしかないという真実に辿り着いた。それは彼らの土地への愛、人々への愛、人類への愛という正当な暴力。この時点では、彼らが先住民だったわけだ。
1791〜1804年までボワ・カイマンでの解放への戦いは続いた。この戦いは「ヴェルティエールの戦い」と呼ばれている。司令官はトゥーサン・ルーヴェルチュールだけでなく、フランソワ・カポワ(Capois-la-Mort)もいて、フランス軍のロシャンボー将軍に立ち向かっていった。彼らは自由のため、独立のため、主権のために一歩も譲らず、戦った。
要約するなら、それが『"SpiriTuaL HeaLinG Bwa KaYimaN FreeDoM SuiTe" CereMony』だ。僕らの祖先が自らを解放するために、単なる理論や準備ではなく、何を実践したか。それを音楽の贈り物、音楽の旅として届ける。『SpiriTuaL HeaLinG』とはそういうことだ。
―今のはいわゆる「ハイチ革命」における重要な場面の話ですよね。ハイチ革命ではヴードゥーの儀式が抵抗のために大きな役割を果たしました。儀式で使われるリズムとかフレーズも、ここでは織り交ぜていますか?
オミシル:もちろん。それは向こうからやってくるんだ。電報やファックスでもやってくる。軽んじて扱うべきものではないし、僕は遊びでやったりしない。まずは自分を空っぽにする。断食をする。自分を空にすることで、受け入れる準備をするんだ。ドン・チェリーもマイルスもコルトレーンもチャーリー・パーカーもモンクも、みんなやって来てくれる。昨夜は坂本(龍一)がやって来てくれた。僕がnakedになって、自分を曝け出して「来てください」と言ったからだ。これは説明できることではなく、静寂のプロセスの中でただ起きる。計算されたものではない。人間には完全に理解できない何かなんだ。
―ボワ・カイマン(Bwa KaYimaN)は、ハイチ革命で抵抗の発端となった場所です。人権という観点では、フランス革命よりもハイチ革命のほうが重要だと語られることもあります。あなたはハイチ革命をどう捉えていますか?(※ハイチ革命は黒人奴隷が自ら解放を勝ち取った史上初の成功例。その後、ハイチは世界初の黒人共和国となった)
オミシル:こういった比較に関して、僕はニュートラルな立場をとるようにしている。革命が起こることで人は影響を受ける。ハイチで起きたことは「revolution」(革命)というよりは、「evolution」(進化)だと言いたい。あの出来事で僕たちは自分たちの存在を考え直すことになった。これまでとは違う視点で自分たちを見るようになった。経験を記憶し、称えることで、過去のタイムラインを遡り、その時の感覚を再び味わうことができる。
それが音楽なんだ。物事を感じ、理解を深め、笑顔になり、どこでするべきではなかったことをしたかに気づく。そうすることで過ちを認め、何を繰り返したくないか、変えたいかがわかる。
フランス革命はハイチ革命のあとに起きた。ハイチ革命がその他すべての革命を触発したんだ。議論の余地はあるにせよ、最初の帝国はハイチだったと考えられる。ハイチの帝国に対して、ギリシャ、コロンビア、モロッコが独立を宣言する際に支援や承認を求めたというアーカイブが残っているんだ。作り話じゃない。実際に起きたことだ。これまで歴史は意図的に隠されてきた。黒白の問題じゃなく、正しく伝えられてこなかった。歴史はブラックアウトしているんだ。でも大丈夫。まだお互いに再生し合うことができる。かつて頼っていたのは祖先の知能(ancestral intelligence)だったが、今は人工知能(artificial intelligence)がある。このおかげで隠蔽されてきた多くのことを発見できるようになった。
ハイチ革命がフランス革命と違うのは、革命のおかげでハイチが国家としても、人としても”進化”を遂げたってことさ。

Photo by Anoush Abrar
―ハイチ革命後、大勢のハイチ人が北アメリカのルイジアナの辺りに移り住んだことは、アメリカ音楽史にとって重要な出来事だったと思います。ジャズミュージシャンのあなたは、ジャズとハイチの関係をどう捉えていますか?
オミシル:正しくは「ジャズミュージシャンでもあるあなた」だよ。だって僕はヒップホップもエレクトロニック音楽も、クラシックもゴスペルもやるからね。でも確かにジャズもやる。
―あ、すいません。
オミシル:そんな僕がどう捉えているかだよね? 一番わかりやすい例は食文化だ。ニューオーリンズの食文化は、ハイチにとても似ているんだ。食べ物だけじゃなく、名前も似ている。ジャン・バティスト・ポイント・デュ・サーブル(Jean-Baptiste-Point Du Sable)はシカゴを創ったハイチ人として知られているが、シカゴだけでなく、ニューオーリンズにはジョン・バティステ(John Batiste)がいるし、ルイ(・アームストロング)がいる。どれも植民地から受け継がれ、ニューオーリンズに持ち込まれたハイチ系の名前だ。名前だけでない。コンゴ・スクエアにはリズムが持ち込まれた。
つい最近、ウィントン・マルサリスのジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラが、ハイチに関する特別なイベントをやったばかりだ。僕の親しい友人であるドラマーのオベド・カルヴェール(Obed Calvaire)の企画だ。あれは”償い”というよりは、”元の状態への回復”だった。つまり、ジャズやビッグバンドのサウンドがどこから来たのかを、今一度きちんとはっきりさせる試みだった。ジャズはハイチというルーツから、ニューオーリンズへと渡った。名前や、リズムや、サウンドと共にね。そしてニューオーリンズの綿花畑の中で、そのルーツのセカンドラインやジャズのサウンドは、ブルースへと形を変えた。そうやって様々なルーツのサウンドの調味料を混ぜ合わせて生まれた音楽がジャズなんだ。
ジャズはもともと、ルーツ音楽を演奏する中から生まれた。労働者を抑圧していた人々は「あのジャズっていうのなんだ?」と言ったわけだ。そうやってジャズは生まれた。そこで演奏されていたのは様々な情報。ブラック・ミュージックは情報なんだ。でも抑圧者たちはわからないから「ジャズってなんだ?」「そのジャズってやつを演奏してくれ」と言うしかない。
ルイ・アームストロングも、ジョン・バティステもそうだが、ニューオーリンズにいるLouis姓やJean-Louis姓の家族の多くはハイチの人間だ。移住が起こったことが、系譜を辿ればわかるんだ。そして僕らは再び一つになった。望むなら、君のルーツだって日本まで遡っていけるってことさ!
最新作『sMiLes』、アンドレ3000やトニー・アレンとの共演
―では、最新作『sMiLes』のコンセプトを教えてください。
オミシル:とてもシンプルに「最大の武器は愛」ということ。それ以上、何がいる? 愛にはお金もかからない。ただ心の奥深くから湧き上がってきて、自分の光を輝かせる。君は今笑えている? それとも笑えていない? 簡単なことさ。誰だって手にできるし、誰もが持っている。問題はそれをどうするかだ。
そこで僕はマイルス・デイヴィスになったつもりで考えた。もしマイルスが2026年に生きていたら、どうしてただろう? どう笑ってただろう? 何のしがらみもなく、何の荷物も重荷もなく、ただ自由に生きられていたら、何をしてただろう? 考え出すと、想像力は何重にもなって湧いてくる。そこに『sMiLes』の意味はある。想像力は尽きることがないんだ。なぜならマイルス自身がそれを僕たちに示したから。彼は多くの素晴らしいミュージシャンを世に送り出した。ケニー・ギャレット、ジョン・スコフィールド、チック・コリア。皆、日本でとても愛されてるよね。それもこれもマイルス・デイヴィスのおかげだ。キース・ジャレット、ジョー・ザヴィヌル、ウェイン・ショーター。皆、Miles Davis Universityの卒業生だ。
だから、自分の旅の中で、11という鏡を通してマイルスがやったこと、マイルスが僕らにくれたことを映し出せたなら、と思った。マリカ・ザラ(Malika Zarra)、マウエナ・コジョヴィ(Mawuena Kodjovi)、ルドヴィック・ルイス(Ludovic Louis)、ジョナサン・ジュリオン(Jonathan Jurion)、ドミニク・フィス・エメ(Dominique Fils-Aime)、ヨアン・ダニエ(Yoann Danier)らミュージシャンたちと一緒に。僕からのささやかな感謝の印。マイルス・デューイ・デイヴィスという天才から授かったものを、音楽と世界に返す。それがあのピラミッドに置く僕なりの一つの石なんだ。以上、君のために『sMiLes』をごく簡単に説明してみたよ。
―このアルバムにはGhana、Marrakech、Haiti、Mali、Cape Verdeなどの地名が出てきます。そして、演奏している音楽はそれらの地域やアメリカの音楽です。これらはアフリカもしくはアフリカ系のディアスポラという共通点があるのかなと思ったのですが、どうですか?
オミシル:ああ。なぜならすべては繋がっているからね。だって(『sMiLes』収録曲「OkaP To MinDeLo」を歌い出す)。ここはハイチ。わかるだろ?(また歌う)すると今度はカーボベルデだ。繋がるんだ。Okap、すなわちハイチ(北部の都市カプ・アイシアン)から、カーボベルデのミンデロへ。どんどんリンクは繋がっていく。今度はガーナへ旅する。(「Trip To GHanA」を歌う)いつしか君はガーナの砂漠にいる。その文化の奥深くへと入っていく。
(「SOeuR FeLiX」歌う)今度はハイチだ。僕と一緒に行こう、と。こうやって曲を書くとき、僕は自分自身を旅させる。そこからタイトルが生まれ、音楽の旅に連れて行かれるんだ。僕にとっては映画的。まさに映画。だからそこにあるのは映画の中の1シーンごと、ということだ。
(「LeTTre Du MALi PouR JonaTHan」を弾く)今のはマリからの手紙だ。僕はピアニストのマイ・ブラザー、ジョナサン・ジュリオンのことを思っていた。するとマリの砂漠の中に自分はいたんだ。それでこれを弾き「マリから、ジョナサンへの手紙」とした。こういった人生のシーンを音楽に乗せる。何のしがらみもない。ただ笑みを浮かべるだけ。だってほんのアイデアに過ぎないんだ。するといつしかアイデアが命を持ち始める。想像のアイデアが僕の周波数を震わせるようになる。そうやって僕は旅をする。
だから僕はガーナにも行った。Shorter Way(近道/ウェイン・ショーター)を通ってマラケシュにも行った。どう感じるかは君次第だけど、僕はあの曲(「SHorTer Way To MarraKecH」)でテナーを吹いている時、まるで自分自身ではないような、ウェイン・ショーターが自分に宿って吹かされているような感覚だった。だから彼の名をクレジットした。それにマリカ・ザラはモロッコ出身。あの曲頭のパーカッシブなグナワ(Gnawa)のスウィング。あれが聞こえたんだ。それでマラケシュに旅しよう。マラケシュに行こうよ、と。タイトルはいつもそんなふうにやってくる。僕が探さなくても、向こうがやってきて、僕を探してくれる。なので、君の質問に答えるなら、イエス。僕たちは旅をしてるんだ。
―話は変わりますが、アンドレ3000やトニー・アレンと過去に共演したことありますよね。それぞれの共演について振り返ってもらえますか。
オミシル:レジェンドから始めよう。アフロビートの構造の半分は、トニー・アレンに由来するものだ。僕はいつも言うのだけど、何かが一人の人間だけで作られることは決してない。必ずチームだ。だからトニー・アレンもアフロビートの創始者のチームの一人なんだ。
共演した時、僕はとても謙虚な気持ちにさせられた。彼は子供のように、何かを学びたがっていた。「ジョーイ、お前ならどうアプローチする?」「『チュニジアの夜』をどう演奏する?」って。「これはこう演奏しろ」と押し付けるのではなく、「君のアプローチから自分もやりたい」と申し出てくれた。そうやって常に新しい自分を求めていたからこそ、長く第一線で活躍し、足跡を残せたのだと思う。トニーと交わした音楽的/人間的な交流のすべてが、とてつもなくパワフルで心を豊かにさせられるものだった。世界中を旅し、幅広い経験を積んできた人だ。そんな彼と何かをする経験を持てたことに感謝してるよ。
アンドレ3000との経験もそれに似ていた。相手はグラミーも取ってるR&B/ヒップホップのスターだ。アウトキャストだぜ。だから会った瞬間、大はしゃぎさ。「嬉しいよ。君と顔が似てるってよく言われるんだ」。すると彼は「こちらこそ、教えにきてくれて本当に嬉しい。学ばせてくれ」と言うんだ。なんて謙虚なんだと驚いた。
人間は誰もが「教え、教えられる」関係だ。今日もこうして君たちと話しながら、僕は学んでいる。そして互いに交換している。教師と生徒の関係は、常に役割が入れ替わるものなんだ。アンドレ3000にもそういう姿勢を感じたよ。彼に「どうしたら、そんなふうに一つの音を保てるのか?」と聞かれ、circular breathing(循環呼吸法)を教えたんだ。すると熱心に練習して、たった20分でマスターしてしまったのには驚いた。僕は習得するのに何週間もかかったのに、彼はすぐにできてしまった。並外れた集中力と献身を見た気がしたね。
アンドレ3000との関係が今も続いているように、トニー・アレンとの関係も続いている。彼は今でも”訪れて”くるよ。今もすぐそこにいる。アンドレ3000はこの間も「ジョーイ、ネイ(Ney Flute:中東から中央アジアで使われる縦笛)の音が出ない!」とメールを送ってきた。それで「少し横に当てて吹いてみて」とアドバイスしたら、すぐに出たらしい。そんなふうにやり取りをしている。
トニー・アレンとの共演映像、ジョーイ・オミシルはサックスを担当
アンドレ3000とジョーイ・オミシルの共演映像
―今日話していて、あなたはハイチのことだけでなく、ディアスポラのこと、植民地主義のことも勉強しているんじゃないかと思いました。例えば、ジャン・プライス=マルス(Jean Price-Mars:ヴードゥーなどのハイチの民衆の文化の評価を促した文化人類学者)やアンテノール・フィルマン(Anténor Firmin:人種の平等を説いたハイチの哲学者で政治家)などの影響はありますか?
オミシル:(アンテノール・フィルマンの本を見せて)これで質問の答えになったかな? ソファの上にいつも置いてあるよ。僕にとってはバイブルだ。素晴らしい人類学者であり、ライター、歴史家。常に僕と共にいる。彼はハイチの北部Okapの出身だ。「OkaP To MinDeLo」で歌ってるOkapだ。さらには、あの自由が実現した地がOkapなんだ。あの最後の戦いが起きたのもOkapだった。
アンテノール・フィルマン以外にも、ダニエル・ラフェリエール(Daniel Laferrière)や……女性にもエドウィージ・ダンティカ(Edwidge Danticat)のような素晴らしい作家/歴史家がいる。その中でも(フィルマンの)この本は人類にとっての基本。だからこの本は常にここにあって、常に僕は学んでいる。僕はアンテノール・フィルマンの生徒だ。
他にもフランケチエンヌ(Frankétienne:ハイチのクレオール文学の先駆的な作家)を知ってるかな。RIP。昨年、100歳近くで亡くなった(実際は88歳没)。彼は常に読者に向かって「自分の内なる高い自己を見つけよ」と呼びかけた。他人に愛を分かち合うには、まず自分自身を愛さなければならないという、ごくシンプルなことをその寓話を通して語っているんだ。
―カリブ海の思想家や哲学者のことも学んでいるんでしょうね。エドゥアール・グリッサン(Édouard Glissant)とか。
オミシル:グリッサンも読んでるよ。(本棚を指さし)エメ・セゼールもあそこにあるし。ほら、ファノンもあるよ(本を見せる)。この作家は知っているかい?(本を見せる)シェイク・アンタ・ディオプの『ネグロ国家と文化』(Cheikh Anta Diop - Nations Negres et Culture)だ。
―あぁ、あなたの音楽がすごく深い理由がわかりました。
オミシル:よかった。最後に、君たちに祈りを捧げるよ。ありがとう。
※編注:オミシルから取材後、「赤とんぼ」をピアノ演奏した音源が送られてきた。

ジョーイ・オミシル
『sMiLes』
発売中
再生・購入:https://modulor.lnk.to/sMiLes

ジョーイ・オミシル来日公演(単独公演)
2026年9月24日 (木)表参道WALL&WALL
開場 18:15 / 開演 19:00
出演:ジョーイ・オミシル(with 松下マサナオ, 岩見継吾, KUMA-CHANG)
THG,HIMI&MANAW
チケット購入:https://wallwall.zaiko.io/ja/item/383707
■ジョーイ・オミシルのバンドには松下マサナオ(Dr)、岩見継吾(Ba)、KUMA-CHANG(Perc)が参加。
■単独公演にはギタリストTHG、シンガーソングライターHIMI、ドラマーであり伝統楽器トンコリも操るMANAW(ASOUND)の3者による即興トリオも出演。

りんご音楽祭2026
2026年9月26日(土)・27日(日)長野・アルプス公園
※ジョーイ・オミシルは9月27日出演
公式サイト:https://ringofes.info/
