シック・オブ・イット・オールのルー・コラーを偲んで NYハードコアの精神を世界に伝えた兄貴分

シック・オブ・イット・オール(Sick of It All)のボーカリスト、ルー・コラーが遺したものとは何だったのか。観客とマイクを分かち合い、モッシュピットでは互いを気遣うよう呼びかけながら、友情と連帯の精神を世界へ伝え続けたNYハードコアの兄貴分。その歩みと人柄を、米Rolling Stoneのライターが自身の記憶とともに振り返る追悼文。

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「俺たちにもマイクはある。でも、これはみんなのマイクだ」

ニューヨークへ移り住む数年前の2001年、デンバーでシック・オブ・イット・オールのライブを観たときのことだ。オグデン・シアターのステージには、観客が自由に上がって一緒に歌い、そのまま再びモッシュピットへ飛び込めるよう、一本のマイクが置かれていた。

プロのバンドがそんなことをするという事実は、当時の私には驚きだった。フロントマンは、モッシュピットでは互いに気を配るよう観客に呼びかけてもいた。私は大学に入って数年のメタルヘッズで、ニューヨーク・ハードコアについてはまだほとんど何も知らなかった。メタル・バンドは、そんなことをしなかったからだ。

だが後になって知った。あの一体感こそが、その時点ですでに数十年にわたり、ニューヨークのハードコア・ショーを支えてきた伝統だったのだ。

その日の会場には、バンドの傑作デビュー作『Blood, Sweat, and No Tears』に収録された、仲間との結束を歌う47秒間の激烈なナンバー「Rat Pack」を何度もリクエストしている男がいた。フロントマンのルー・コラーが観客用のマイクを渡すと、彼は歌詞を完全に忘れてしまった。

コラーは笑いながら、こんなことを言った。

「おいおい、ちょっと待て。やるなら歌詞を覚えてなきゃダメだろ」

そして、すべてを許すように、あのいたずらっぽい笑顔を浮かべた。人前で恥をかいたとしても、彼はその人を仲間外れにはしなかった。ここにいていいのだと伝えていた。

シック・オブ・イット・オールは、ニューヨーク・ハードコアを代表する、もっとも開かれた伝道師だった。そして、その声を担っていたのが、7月24日に死去が発表されたルー・コラーだ。

生まれ持った力強い咆哮を武器に、コラーは「Scratch the Surface」の耳をつんざくようなコーラスを歌い上げながら、有意義な人生を求めて生きるという曲のメッセージを、明確に届けることができた。

ステージ上の彼は、ほかのヘヴィ・ミュージックのフロントマンとは違っていた。どこか不器用で、気取ったところがなかった。どんな場所であろうと、彼はすべてのライブをCBGBの昼公演のように扱った。誰もが歓迎される場所にすること。それこそが、何よりも重要だったのだ。

「俺たちは、自分たちが愛しているものを世界に見せたかった」

2018年、コラーは『Kerrang!』にそう語っている。

「だからハードコア・バンドとだけ一緒に演奏していたわけじゃない。1988年に初めて東海岸を回ったときは、Exodusが5公演のオープニングに誘ってくれた。俺たちがステージに出ると、観客は衝撃を受けていたよ。”短髪のキッズが出てきたぞ!”ってね。人気が出てくると、”ニューヨーク・ハードコアの王者”と呼ぶ人もいた。でも俺たちは、いつもこう言っていた。”違う、違う。俺たちはアンバサダーなんだ”って」

1986年、ニューヨークのクイーンズで、ギタリストである兄弟のピート・コラーとシック・オブ・イット・オールを結成して以来、彼らの最高の曲は、いつも人と人との結びつきを歌っていた。

今年、米Rolling Stoneの「史上最高のパンク・アルバム」ランキングに向けて『Blood, Sweat, and No Tears』について執筆した際、私は気づいた。コラーが一貫して伝えてきたのは、「俺たちは一緒にいる」というメッセージだったのだ。

「Pushed Too Far」は、弱い者をいたぶる人間に立ち向かう曲だった。「Friends Like You」も同じだ。次作の「Just Look Around」では、裕福な政治家たちが利益を得る一方で、人種差別が社会を分断していくことに警鐘を鳴らした。40年近くが経った現在も、そのメッセージはまったく色あせていない。

彼らは、ただ一日をなんとか乗り切ろうと懸命に働く人々のためのバンドだった。

少なくとも、Agnostic FrontやCro-Magsが1980年代初頭に築いたイメージに従うなら、ニューヨーク・ハードコアとは、胸を張った屈強な男たちが怒りを叫ぶ音楽だった。

シック・オブ・イット・オールは、その固定観念を覆した。

私が初めて彼らを観たのは1999年。当時の編成は、ベースのクレイグ・”アヘッド”・セタリと、ドラムのアーマンド・マジディを含むものだった。圧倒されたのは、彼らのむき出しのエネルギーと、誰をも受け入れる姿勢だった。

その日はSlayerとMeshuggahの間に出演していた。私は以前から公言している通り、筋金入りのSlayerファンだ。それでも、もっとも強い印象を残したのはシック・オブ・イット・オールだった。

ピートはギターを肩越しに回しながら、転がり込むようにステージへ現れた。そして、その日のほかのバンドのフロントマンとは違い、ルーは笑っていた。

彼らは、ごく普通の人々のためのバンドだった。

「俺たちはみんな、はみ出し者だ。それを自分でもわかっている」

2000年の「Hello Pricks」で、ルーはそう歌った。それこそが、彼らを特別な存在にしていた。

シック・オブ・イット・オールがAgnostic Front、Gorilla Biscuitsとともにリッツで演奏した映像を収めたVHS作品『Live in NYC 91』のインタビューで、コラーはこう話している。

「俺たちの音楽は、観客全員が参加することを前提に作られている。俺たち自身、そうやって育ったからだ。初期のハードコアは、観客が完全に参加するものだった。みんなで押し寄せて、一緒に歌う。そういうこと全部だよ。それが感情を吐き出す場所になる。ステージと観客の間に2メートル近いバリケードがあったら、エネルギーが削がれてしまうんだ」

シック・オブ・イット・オールを好きになった私は、ニューヨーク・ハードコアをさらに掘り下げ、同じ精神を持つバンドを探すようになった。それでも数年間、私が知るシーンは、コロラドまでツアーに来てくれるバンドに限られていた。2000年代初頭、そうしたバンドは決して多くなかった。

幸運にも、頻繁にコロラドを訪れていたのがIndecisionとMost Precious Bloodだった。両バンドには、同じギタリスト、ジャスティン・ブラナンが在籍していた。

ブラナンは後にニューヨーク市議会議員となり、ニューヨーク・ハードコアの理念を政治の世界へ持ち込んだ。8月1日、彼はコラーに宛てたSNSの投稿で、その功績を的確に表現している。

「ほかのバンドなら決して足を踏み入れようとしない場所へ、あなたは希望とポジティブな力を届けた。世界中の居場所を失った子どもたちに、自分の存在が見えている、受け入れられている、ひとりではないと思わせてくれた。音楽と友情、そしてあなたが示した生き方に感謝します。特に、ここ数年の姿には心を動かされました。あなたが残した影響は、これからも生き続けます」

私は2003年にニューヨークへ移り、シック・オブ・イット・オールを地元で何度も観た。そのなかには、2004年にCBGBで行われた貴重なライブもある。

湿気と臭気のこもる、イースト・ヴィレッジの悪名高い小汚い箱に、誰もが身を寄せ合い、一緒に楽しい時間を過ごしていた。その光景を見て、私は初めて、このバンドを突き動かしてきた共同体意識を理解した。

モッシュピットで誰かが倒れられるほどのスペースさえ、ほとんどなかった。それでも、もし誰かが転んでいたら、必ず別の誰かが手を差し伸べていただろう。

シック・オブ・イット・オールが、これと同じ精神をコロラドや世界各地のステージへ持ち込んだことは、奇跡に近い。

彼らは、どんな観客を前にしても演奏した。フェスティバルでWu-Tang Clanの直前に出演したことさえある。2019年の時点でも、年間100本を超えるライブを世界各地で行っていた。

昨日、友人からコラーが亡くなったというメッセージを受け取ったとき、真っ先に頭に浮かんだのは、1997年の4作目『Built to Last』に収録された「Good Lookin Out」だった。

「お前はひとりで抱えているわけじゃない

周りを見れば、きっとわかる

答えは目の前にある

俺はお前のために、お前は俺のためにいる」

そしてコーラスの最後で、コラーはこう歌う。

「本当の友達は、いつだってそばにいる」

2024年、コラーががんと闘っていることを公表し、GoFundMeで支援を募ると、大勢の仲間たちが駆けつけた。Dropkick Murphys、Rancid、AFI、Hot Water Musicは、いち早く寄付したバンドの一部だった。

それは、ルー・コラーがニューヨーク・ハードコアの兄貴分だったからだ。

モッシュピットで互いを気遣うよう観客に呼びかけることを、彼が発明したわけではない。それでも、ニューヨーク・ハードコアが掲げる団結の精神を世界中で説き続けた、そのやり方は唯一無二だった。

シック・オブ・イット・オールに影響を受けた数多くのバンドが、これからも世界各地のライブで彼の精神を受け継いでいく。その限り、ルー・コラーの思いは生き続ける。

彼が歌い続けた友情と連帯の精神は、いまも世界中のフロアに息づいている。周りを見渡せば、その証はきっと見つかるはずだ。

from Rolling Stone US