
前編では初開催のル・マン・クラシック・レジェンドを「日本」という糸でたどった。中編からはその糸をいったん手放し、パドックとヴィレッジを気の向くままに歩いて出会ったものを並べていく。ヒストリックイベントの醍醐味は、公式プログラムの外側にこそ転がっている。仕切りの少ないパドック、手の届く距離の名車、そして機械を生かし続ける人々の手つき。順路はない。僕が歩いた順でもない。ただ、心に残った順である。
【画像】ランチア・ベータ、マクラーレンF1 GTR、ポルシェ935など、ル・マン・クラシック・レジェンドで遭遇した名車たち(写真20点)
1. 原点と回答が同じ場所に
まず、ガレージの奥で出会った現代のハイパーカーから。ヒストリックイベントの記事を新型車で始めるのは邪道かもしれないが、この車に限っては筋が通っている。
ピットガレージで準備が進むキメラK39パイクスピーク仕様。5月のコンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステで発表されたばかりの新型で、ランチア・ベータ・モンテカルロ・ターボが体現した70年代末のマルティニ・レーシングのシルエットフォーミュラを現代に再解釈したハイパーカーだ。ケーニグセグが専用開発した5リッターツインターボV8は約1000馬力を発生し、車重は1100kg程度。7速マニュアルと後輪駆動という構成も潔い。巨大なスプリッターと湾曲したスワンネックのリアウイングはパイクスピーク参戦用のエアロパッケージで、脱着式のため公道走行の適合性も保たれる。創業者ルカ・ベッティ自身は本物のベータ・モンテカルロ・ターボGr.5でグリッド6にエントリーしており、本歌とオマージュが同じサーキットに揃うのは今回のル・マン・クラシック・レジェンドならではの光景である。
そしてその「原点」は、同じ日に本物がコースを走っていた。
アクセルを閉じた瞬間、排気炎を吐くランチア・ベータ・モンテカルロ・ターボ、ゼッケン40。ピニンファリーナの手になる市販ミッドシップクーペを核に、アバルトが1.4リッター直4ターボで武装させたグループ5のシルエットマシンで、小排気量ながら400馬力台後半を絞り出した。1980年に世界メーカー選手権の2リッター未満部門を、1981年には同選手権のタイトルそのものを獲得し、パトレーゼやアルボレートら若き才能の登竜門にもなった名車である。ステアリングを握るのはキメラ・アウトモビリ創業者のルカ・ベッティ。ヴィレッジに展示された同社のK39はまさにこの車をオマージュした現代のハイパーカーであり、原点と回答が同じ週末に同じコースへ持ち込まれた格好だ。過給機時代の減速音に混じるこの炎こそ、当時のサーキットの匂いを呼び戻す句読点である。
45年前の実戦マシンと、それに捧げられた現代の回答。両者が同じ敷地に居合わせる偶然は、実はこのイベントの必然でもある。過去を保存するのではなく、過去と現在を対話させる。レジェンドという新しい祭典の性格が、この2台に集約されていた。
2. ゴードン・マレーの宇宙
ヴィレッジ中央の芝生には、今回の特別展示としてゴードン・マレーの作品群が並んでいた。
ヴィレッジ中央のゴードン・マレー特別展示に並ぶ2台のマクラーレンF1 GTR。手前の42号車はシャシー05R、1995年のル・マン24時間にBBAコンペティシオンから出走した通称「セザール・アートカー」だ。アートカーの発案者として知られるエルヴェ・プーランが自身のトロフィーを圧縮した彫刻を彫刻家セザール・バルダッチーニに依頼し、その意匠を車体全体に描き込んだもので、ボンネットには1878年のアメデ・ボレー「ラ・マンセル」など、ル・マンの土地にちなむモチーフが金属彫刻風のトロンプルイユで表現されている。プーラン、ジャン・リュック・モーリー・ラリビエール、マルク・スールの3名で完走を果たし、総合13位。奥の38号車は翌1996年にBMWモータースポーツの支援を受けるチーム・ビガッツィからFINAカラーで出走した個体である。マクラーレンF1がGTRとして初参戦初優勝を遂げたのが1995年。マレーの設計哲学が頂点に達した時代の2台が、30年を経て芝の上に肩を並べた。
ゴードン・マレー展示のもう一つの柱はフォーミュラ1だ。手前はマールボロカラーのマクラーレン・ホンダ、その先にはパルマラット時代のブラバム、さらにコクピットに「CARLOS」の名が入るマルティニカラーのブラバムが続く。ブラバムで頭角を現し、マクラーレンで黄金期を築いたマレーのキャリアを一望できる配置である。背後にはメインスタンドと「LE MANS CLASSIC Legend」のゲート。人工芝の展示エリアは終日人波が絶えず、柵越しに写真を撮る来場者の姿が続いた。
3. リジェ、40年の呼応
グループ5の935も忘れてはいけない。今大会のキービジュアルに選ばれたのは黒い935だった。その本家がコースを行く。
「Möbel-Franz」のロゴも鮮やかに駆け抜けるポルシェ935、ゼッケン51。エントリー上は1977年型で、ドライバーはスイスのドミニク・グエナである。ロードカーの面影を残す911のシルエットから、グループ5規定が許す限りの拡幅と空力を与えられた935は、3リッター水平対向6気筒ターボで600馬力級を発生し、1970年代後半のGTカテゴリーを完全に支配した。1979年にはクレマーK3が総合優勝まで成し遂げている。今回のル・マン・クラシック・レジェンドがキービジュアルに選んだのも黒い935だった。つまりこの車こそ、新しい祭典の顔となった時代の主役である。
そしてフランスの誇り、リジェ。前編で紹介したJS P2の40年前の姿が、ここにある。
ジタンブルーの車体に踊り子のシルエットを載せて走るリジェJS2、ゼッケン80。1975年のル・マン24時間でアンリ・ペスカロロとフランソワ・ミゴーが駆った6号車のカラーを再現した1台で、現在のドライバーはオリヴィエ・ブレットマイエである。JSの車名は1968年に散った盟友ジョー・シュレッセールの頭文字。この年のワークスJS2はマセラティV6に代えてコスワースDFVを積み、姉妹車の5号車がミラージュGR8にわずか1周差の総合2位という、リジェ耐久史上最良の戦績を残した。ペスカロロたちの6号車はタイヤのバンクチャーに泣いたが、翌1976年、マトラの施設を引き継いだギ・リジェはF1へと歩を進める。フランスのモータースポーツ史が転回する、その直前の記憶をまとった車である。
ピットに戻ったリジェJS2。間近に立つと、ジタンブルーの塗装に浴びた虫の跡や路面の汚れがそのまま残り、走る道具としての現役ぶりが伝わってくる。ノーズに残るナンバープレートの末尾「03」はアリエ県、すなわちヴィシー近郊に工場を構えたリジェのお膝元の登録である。公道登録を持つグループ相当の競技車という成り立ちは、GTカテゴリーの本来の姿でもある。ドア脇には1975年当時のドライバー、ペスカロロとミゴーの名。背後のグランドスタンドとAXAの看板が示す通り、ここは現代の24時間と同じピットレーンであり、半世紀前の6号車の記憶が同じ舞台に重ねられている。
赤い車体に「Schmid machines」のロゴを載せて疾走するローラT296、1976年型。エリック・ブロードレイ率いる英ローラが量産した2リッタークラスのグループ6プロトタイプで、T290系として続いた系譜の後期型にあたる。コスワースやROCの4気筒を積むこの種の小排気量プロトは、欧州2リッタースポーツカー選手権を主戦場にしながらル・マンにも数多く参戦し、大排気量勢の間を縫って総合上位を狙う存在だった。車重600kg級の軽量な車体がもたらす俊敏さは、パワー全盛の時代にあってひとつの見識である。グリッド6にはT286からT298まで各年式のローラが揃い、プライベーター耐久の裾野を支えたこのコンストラクターの層の厚さを確かめられる。
4. NASCAR、50年目の里帰り
今回の目玉のひとつが、欧州初開催となるHSR NASCAR Classic by Goodyearである。1976年、建国200年のアメリカから2台のストックカーがル・マンに乗り込んでから、ちょうど50年。その記念すべき里帰りだ。
ペティブルーにゼッケン43。NASCARを知る者なら誰もが「キング」リチャード・ペティを思い浮かべる出で立ちの1966年型プリマス・ベルヴェデアが、サルトのコースを駆ける。ペティは1966年のデイトナ500をベルヴェデアで制し、翌1967年には年間27勝という不滅の記録を打ち立てた。その象徴である水色と43番の組み合わせは、アメリカンモータースポーツで最も有名なカラーリングのひとつである。今回のHSR NASCAR Classic by Goodyearはエントリー最古参のこの車から2020年型カマロまで半世紀分のストックカーを揃え、欧州で初めて開催されるプラトーとなった。1976年、ル・マン24時間に初めてNASCARマシンが出走してからちょうど50年。V8の轟音が再びこの地に響いた金曜の予選走行である。
ピットレーンで整備を受けるダッジ・チャージャー、ゼッケン4。白と金の車体に走る「It's the Water」の筆記体は、オリンピアビールを掲げて1976年のル・マン24時間に挑んだハーシェル・マグリフのチャージャーを今に伝えるものだ。この年、ビセンテニアル(建国200年)のアメリカから2台のNASCARマシンが海を渡り、サルトの観客はビッグバンパーのストックカーがユノディエールを驀進する光景を初めて目にした。マグリフ親子のチャージャーはエンジントラブルで早々に姿を消したが、その強烈な印象は半世紀を経ても語り草である。今回のHSR NASCAR Classic by Goodyearはまさにその50周年を記念する里帰りで、エントラントはフランスのクリストフ・シュワルツ。タイヤ交換の手を止めて見入る観客との距離の近さも、この祭典らしい。
観客の人垣に囲まれたシボレー・シルバラード、ゼッケン4。セダン風のシルエットではなくピックアップトラックそのものの姿は、NASCARの第3のナショナルシリーズとして1995年に発足したトラックシリーズの競技車両である。パイプフレームにV8という文法はカップカーと共通ながら、荷台を持つ箱型の空力は別物で、接近戦の多さから本国では熱狂的な人気を誇る。モービル1のカラーをまとうこの車体にはネメチェック・モータースポーツのステッカーが並ぶ。エントリーリストに名を連ねるベテラン、ジョー・ネメチェックの陣営が持ち込んだ1台と見られ、ルーフにはDOLFIのドライバー名が入る。ストックカーどころかレーシングトラックまでサルトに現れる。これがNASCAR欧州初上陸の週末の風景である。
アメリカン・パイプフレームの文法は、グリッド8にも顔を出していた。
「MUSTANG」の文字が入るフロントウィンドウ越しに覗くマスタング・コブラTAの内側。ガラスの向こうにはダッシュボードの代わりに赤い鋼管が交差し、ブレーキのリザーバータンクや配線類がむき出しのまま整然と収まる。カウルにはNASCARのフォード陣営を支えるエンジンビルダー、ラウシュ・イェーツのステッカー。ピラー脇に残る2022年のル・マン・クラシック参加ステッカーが、この車が本場を離れてサルトに通う常連であることを物語る。市販車の面影はシルエットだけという潔さこそ、アメリカン・レーシングの流儀だ。
リアまで貫く鋼管フレームの中に、フォードのプッシュロッドV8が低く収まる。大径のエアクリーナーが示す通り燃料供給はキャブレターで、点火はMSD。電子制御が支配する現代にあって、NASCARと地続きのアメリカン・ロードレース技術の文法をそのまま保存した機械である。グリッド8に混じるこのマスタング・コブラTA(1998年)は米トランザム・シリーズの出自で、当時のル・マン出走歴を持たないため主催者が別枠クラスとして扱う1台だ。
ルーフに刻まれたスイス人ドライバー、アラン・リューデの名。内装という概念のないコクピットには赤いロールケージが縦横に走り、カーボンパネルにアナログメーターが並ぶ。装飾を削ぎ落とした機能一辺倒の空間はNASCARのそれと同じ思想で、欧州のGTマシンとの文化の違いがひと目で伝わる。データロガーだけが現代の道具だ。
5. 二輪の聖地でもあるということ
ヴィレッジの一角には二輪の特別展示があった。ル・マンはブガッティ・サーキットで開催される二輪の24時間耐久を擁する、二輪の聖地でもある。
ヴィレッジの一角に設けられた二輪の特別展示。ル・マンは四輪の24時間だけでなく、ブガッティ・サーキットで開催されるル・マン24時間耐久ロードレースを擁する二輪の聖地でもあり、その文脈を汲んだコーナーである。テントの下には1960年代の小排気量ロードレーサーからサイドカー、近年のマシンまで数十台がゼッケンを付けたまま隙間なく並び、来場者は手を伸ばせば届く距離で各時代の造形を見比べることができる。マルボロカラーのヤマハ、アプリリアのワークスカラーなど、グランプリの記憶を呼び起こす車体も少なくない。四輪のイベントでありながら二輪の展示に人だかりが絶えないあたり、モータースポーツの土地としてのル・マンの懐の深さを感じさせる光景だ。
二輪展示で目を引いた英仏の2台。手前のゼッケン114はトライアンフ・トライデントの750cc空冷3気筒をフランスの工房SPBが自製フレームに搭載したスペシャルで、スピード競技やヒルクライムを戦った。奥の白いタンクの1台は、46歳で早世した天才エンジニア、クロード・フィオールが手がけたジェダムXS1100。ヤマハの空冷4気筒を独自設計のフレームに積み、四輪用のウェーバーキャブレターで武装して1979年のル・マン24時間耐久ロードレースを総合8位で走り切った。後にフィオールの代名詞となる独創的なフロントフォークが初めて与えられた記念碑的な車体でもある。量産車のエンジンを核に職人が己の理想を形にする文化は、この時代の耐久レースの豊かさそのものだ。
カワサキ初期の海外挑戦を象徴する500 H1R、1971年型。市販車マッハIII(H1)の空冷2ストローク3気筒をベースにしたプロダクションレーサーで、乾燥重量135kgの車体に70馬力を積み、最高速は250km/hに達した。1970年に35台、1971年に約130台が生産されて世界中のプライベーターに供給され、アゴスティーニとMVアグスタが君臨するGP500に挑む数少ない現実的な選択肢となった。1971年にはデイブ・シモンズがスペインGPを制し、カワサキに500ccクラス初優勝をもたらしている。フランスでもルージュリーやクリスチャン・レオンら多くのライダーがこの型で腕を磨いた。後方に見える黄色いソノート・ヤマハとともに、70年代の仏国内レース界の熱気を伝える展示である。
マルボロカラーをまとうフィオール500-4、1989年型。スイス人ライダー、マルコ・ジェンティーレがGP500を戦った実車で、現存する唯一の1台である。製作者は先のジェダムXS1100と同じクロード・フィオール。ノガロを拠点にした彼の独創はここで完成度を高め、テレスコピックフォークを排した上下2枚の三角アームによる前輪懸架と、エンジンを応力部材とする車体構成を採る。搭載されるのはヤマハTZ500系に由来し、競技用サイドカー向けにJPXが製造していた2ストローク4気筒だ。ホンダ、ヤマハ、スズキのワークスが支配した時代に、個人のエンジニアが独自思想でグランプリの頂点クラスへ挑んだ最後の世代の記録として、この車体の存在価値は大きい。
二輪展示の現代側を締めくくるのは、2015年のスズキSERT GSX-R1000。SERT(スズキ・エンデュランス・レーシング・チーム)は耐久世界選手権で最多タイトルを誇るフランスの名門で、このブガッティ・サーキットで開催されるル・マン24時間耐久ロードレースを主戦場に数々の勝利を重ねてきた。展示車は世界チャンピオンの栄冠を獲得した年の実戦機。市販のGSX-R1000をベースにFIM規定の範囲で耐久仕様へと磨き上げたマシンで、クイックリリース式の車体各部や大容量タンクに24時間を戦うための思想が凝縮されている。四輪の祭典の中に置かれてなお、ル・マンという土地の二輪の記憶を静かに主張する存在だ。
結び
歩けば歩くほど、この祭典が単なる「名車の同窓会」ではないことが分かってくる。現代のハイパーカーが原点に頭を垂れ、海の向こうのストックカーが半世紀ぶりの里帰りを果たし、二輪までもが歴史の証人として並ぶ。後編では、いよいよこの祭典の主役たちへ。トップカテゴリーの陰で耐久レースを支えた職人たちの車と、それを直し、走らせ続ける人々の物語である。
・・・【後編】へ続く。
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI