
1月に開催されたダボス会議におけるカナダ首相マーク・カーニーのスピーチは、第二次大戦後の1945年からかろうじて続いてきた国際協調に基づいた世界秩序が遂に終焉したという事実を前提にしたものだった。その後、2月末からのイランによるホルムズ海峡の封鎖を巡る大国の対応が端的に示す通り、もはやかつての国際協調という建前さえ有名無実となった、力だけがすべてを律する時代の本格的な到来だ。政治の時代に、表現は「問いかけ」ではなく「正しい答え」と「政治的態度の表明」が否応なく求められる。だが、そんな時代におけるポップ音楽の本当の役割とは何か?──では、そんな問いに対する明確な返答を提示したチャーリーxcxという作家の話から始めよう。
※この記事は現在発売中の「Rolling Stone Japan vol.35」に掲載されたものです。
天野龍太郎(以下、天野) この連載(「POP RULES THE WORLD」)を1号休んでる間に、気がつけば、2026年も半分が終わってしまいました。
田中宗一郎(以下、田中) じゃあ、この半年間のポップ・シーンに起こったことを駆け足で整理していきましょう。まあ、ごく普通に、つまんなかったよね。激動の世界情勢に比べれば、特に取り立てた事件もなく。
天野 いやいや、4月にはコーチェラだってあったし、5月には予告されていた『ICEMAN』だけでなく、ドレイクが3枚同時にアルバムをリリースしてチャートを席巻したり。今まさにチャーリーxcxとオリヴィア・ロドリゴそれぞれのシングル2枚が世間を騒がせたりしてるわけじゃないですか。
田中 トム・ヨークも髪切って、世間を騒がせてたよね。アイヴァー・ノヴェロ賞の授賞式で。
天野 いや、そこは業界構造を辛辣に批判したスピーチをしたとか、新曲を披露したとか、そういう話でしょ(苦笑)。
チャーリーxcxが揺さぶる”ロック”という記号
田中 じゃあ、直近の話で、かつ文化的なインパクトからすれば、まずはチャーリーxcxの話から?
天野 英国版『Vogue』誌で「クラブ音楽は死んだ。だから私はロック音楽を作る」と発言して物議を醸し、その後にすかさずリリースした曲のタイトルが「Rock Music」だったという(笑)。
田中 例の発言に脊髄反射的に反応した連中の誰もが赤っ恥というね(笑)。で、リリースされると、今度は「これはロック音楽だ」とか、「違う」とか、それなりの騒ぎになり。つまりは、言語にしろ音楽にしろ、記号というものがいかに恣意的なもので、100人の観客がいたらその全員がまったく違う意味を見出すという、ごく忘れられがちなメカニズムをこのたった1曲で顕わにすることに成功した。
天野 実際、彼女の作品や言動を真正面から受け取ってる観客と、アイロニーとして受け取ってる観客と真っ二つに分かれてますよね。
田中 で、もし正解というものがあるとすれば、どちらでもあり、どちらでもないってことなわけじゃない?(笑)。いやあ、愉快だなあ。
天野 まあ、そういう意味じゃ、『Brat』の時から一貫してるんですよね。例の「kamala IS brat」というXでのポストにしても、誰もが彼女自身の真意を知りたがるけども、そこは適当にかわしつつ──。
田中 そうそう。記号がざわめき出し、観客が能動的にならざるを得ない状況を生み出すことを主眼に置いた言動/作品であり、かつ、そこに作家の真意なんてものが存在するか否かという視点に対して揺さぶりをかけている。そういう意味からすれば、ボブ・ディランとか、蓮實重彦とよく似たスタイル(笑)。
天野 音楽的にはどうですか?
田中 超いいじゃ~ん。どちらもエレクトロニクス中心のポップ・ソングなわけだけど、超わけわかんなくて。ファクトリー時代のヴェルヴェッツを初めて聴いた時とか、こんな感じだったんじゃないの?
天野 「Rock Music」のフィドルっぽい音が初期ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代にジョン・ケイルが弾いてたフィドルみたいだって言ってましたもんね。ただ、めっちゃアングラですよね?
田中 売る気ないよね(笑)。だって、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはビバップなわけだから。
天野 は?
田中 ごめん、これはニール・ゲイマンが好きな人限定のボケです。興味のある方はPrime Videoで配信されてて、6月に完結したばかりのTVシリーズ『グッド・オーメンズ』を観て下さい。天国だの地獄だのキリスト再臨といったキリスト教の教義をテーマにしてて、超面白いので。
地獄へ一直線のランウェイを歩いて
天野 2曲目のシングル「SS26」はどうですか?
田中 「我々は地獄へと一直線に続く2026年春夏コレクションのランウェイを歩いてる」って曲。
天野 7月最終週にリリースされるアルバムのタイトルが『Music, Fashion, Film』。アートワークはジョン・ケイル、マーク・ジェイコブス、マーティン・スコセッシの3人が佇んでる写真にもかかわらず、コーラスは「音楽もファッションも映画も我々を救ってくれない」っていう。ギャグなのか、皮肉なのか、よくわかんないですけど。
田中 これもさ、ギャグでも皮肉でも本音でもあるってことなんじゃないの? ホント理想的なリリックだと思うな。観客からすると本気なのか冗談なのか皮肉なのかわからないようなことをずっと意図的に書いたり話してきた身としては、我が意を得たりって感じ(笑)。「このリリックはこういう意味なんですよ~」なんて考察だの解説が一定以上の価値を持ってた、2010年代のもっとも悪しき側面を終わらせにかかってるよね。まあ、終わらないんだけど(笑)。
天野 あと、リリックの中には、有史以来の人類の罪や、ソーシャル・メディアにまつわるアテンション・エコノミー的な潮流、思想やイデオロギーをマーケティングとして利用すること、そうした諸々に自ら加担してきたことに対する自己批判というか、罪の告解もあるわけじゃないですか?
田中 実際それも事実だし、我々全員が今まさに地獄へのドライブの真っ只中なのは間違いない。ただ、そんなの俺たちが生まれる遥か以前からの話でもあるわけじゃん? 今に始まった話じゃない。思い悩んでも仕方がない。でもまあ、着てる服が似合ってりゃ、いいんじゃないの?っていう(笑)。
天野 (笑)。実際、そういうことも歌ってますよね。
田中 気楽に行こうぜってことだよ。ただ自己批判も含めて、現状認識だけは忘れないでおこうぜっていう。ポップ・ソングなんてその程度のもんじゃんか。世界を救うためのものじゃない。でも、どこか本気で世界を救いたいと思ってた心底馬鹿な連中がそれを作ってきて、俺たち観客はそれに夢中になってきたという、どこまでも馬鹿げていて、ただどうにも美しい歴史がある。この曲はそういう歴史に対する祝福だと俺は思ってる。
天野 さあ、これから先も、俺たちみんな一緒に悪魔とドライブだ、と。
田中 いいね、そのスージー・クアトロの引用、ロックっぽくて(笑)。
天野 いや、サンハウスの「地獄へドライブ」の引用だと怒られるかなと思ったんで。映画『Cloud クラウド』の「ここが地獄の入口か」でもいいですよ。ただ、アートワークにおけるジョン・ケイル、マーク・ジェイコブズ、マーティン・スコセッシの3人のセレクトはどう思います? 音楽、ファッション、映画それぞれを代表してるのがこの3人でいいの?っていう。しかも彼女、この3人の顔を他の誰かに差し替えることが出来るジェネレーターまで作ってて。まあ、ユーモアのセンスは一流だな、とは思うんですけど。
田中 これがゴダールだったらマジのステートメントになっちゃうじゃん。ローリング・ストーンズのドキュメンタリー映画を撮って、その中でひたすらミック・ジャガーに怒られ続けてたスコセッシだからこそピッタリっていうか(笑)。あの映画もチャーリーxcxの映画『the moment/ザ・モーメント』もどちらもモキュメンタリーじゃないですか。真実か嘘か冗談か皮肉なのかわからないってところが今のチャーリーxcxの表現の肝なんじゃないかしら。
オリヴィア・ロドリゴが再定義するロック史
天野 この号の〆切に見事に間に合わない6月12日というタイミングでリリースされるオリヴィア・ロドリゴの新作からの先行シングル2枚に話題を移しましょう。やはり一番の興味としては、テイラー・スウィフト・フォロワーとしてこれまでずっとex/元カレに対するアンビバレントな感情を曲として提供してきた彼女がそういったナラティブを更新するのか否か、という部分に尽きる、と思うんですが。
田中 アートワークの写真が最高。
天野 それだけ?
田中 アルバム・タイトル──「恋をしてる女の子のわりには随分と悲しそうじゃない?」が最高。
天野 そのココロは?
田中 どちらも、ある特定の事象/記号には必ず相反する側面がいくつか存在するってことを表象してると思うの。ブランコ遊びにも爽快、子供っぽい、危険、伝統的、大衆的──いろんな側面があるし、何よりも恋愛というのはまさにいろんな感情が渦巻いている。そうでしょ?
天野 それにしても、これまでexに対する恨み・つらみ・失望・悲しみ・怒り・皮肉を歌ってきた彼女が、今度は恋に落ちて、幸せの絶頂にいるような「drop dead」をいきなり書いてきたのはどういうこと?って。それと、「drop dead」の歌詞にはキュアーの代表曲「Just Like Heaven」の引用があるし、2ndシングルのタイトルは「the cure」だし、プロダクションは彼らのフォロワーと言えなくもないスマッシング・パンプキンズの「Tonight, Tonight」まんまだし──。
田中 ゆずも引用してた「Tonight, Tonight」ね(笑)。
天野 そこはキュアー信者の宗さんとしてはどうなんですか?
田中 ロバート・スミスが、恋愛感情の不条理さをいろんな角度から描いてきたラブ・ソングの名手だということを彼女はわかってると思う。「Just Like Heaven」の最初の2つのヴァースって、互いの気持ちを確かめ合う直前の恋人たちが焦燥と興奮のあまり過呼吸を起こして、死にかける歌でもあるわけだし。要は、幸せの絶頂は死に似てるって曲。
天野 自分には理解できないけど、ザ・スミスの「ダブルデッカー・バスに突っ込んでこられても、君のそばで死ねるなら幸せさ」とは違うんですか?(笑)。それはいいとして、ロバート・スミスをステージに呼び込むとか、オリヴィアって現代ロックのミューズやアンバサダーとしてきっちり筋を通してお礼参りをしてるのが律儀ですよね。
田中 彼女はロックやインディの歴史を自分なりに咀嚼して、見事に再定義してると思うな。例の物議を醸し、最近の彼女のスタイリング──膝丈の短すぎるベイビー・ドレスにしても、90年代にコートニー・ラヴが率先してやってた、女性は子供扱いされたかと思えば、娼婦扱いされるという家父長制に対する異議申し立てとしての「キンダーホアー(子供っぽい娼婦)」の伝統に連なってる。同じベイビー・ドレスにしてもサブリナ・カーペンターの場合は男性からの視線やそうした抑圧の構造に対する攻撃的な挑発の側面もあるわけだけど、彼女の場合はもっと「私は着たいものを着てる!」っていう、そうした構造からの解放を感じさせるという点でもっと爽快なんだよね。
オリヴィア・ロドリゴ
激動の世界情勢下におけるコーチェラ
天野 4月のコーチェラ・フェスティバルについてはサブリナ・カーペンター、ジャスティン・ビーバー、カロル・Gとヘッドライナー組が話題を集めつつも、昨年末のこの特集でも「R&B、インディ、ヒップホップというそれぞれのジャンルを代表する作品」を上梓したと話題にしたディジョン、ギース、クリプスも揃い踏み、何だかんだ全体としては充実した内容だった気もします。
田中 ごく一般的には、初日のサブリナ・カーペンターと2日目のジャスティン・ビーバーは好対照なステージだったと言われてもいるわけだけど。
天野 サブリナの場合、古き良きアメリカやハリウッドの斜陽、凋落といったコンテクストをしのばせた豪華絢爛なステージ・セットと1曲ごとの視覚的な演出で壮大なスペクタクルに徹したショーでした。
田中 間違いなく見応えがあったよね。視覚的演出を強調した曲ではレコードの2ミックスに演奏を被せただけなんだけど、歌や演奏を魅せたい曲では生演奏、生歌をしっかり聴かせたり。ただ、身も蓋もないことを言うと、去年のレディー・ガガの時と同じで、情報量過多でちょっと疲れた。
天野 2018年にビヨンセが完璧すぎるヘッドライナー・ショーを務めて以降のビーチェラ症候群というか。本人やスタッフの緊張感が伝わってきちゃうようなところもなくはなくて。
田中 おかげで翌日のストロークスを観てて、ひたすらダラダラしてる巨大企業や政府への嫌味やすべりまくったジャスティン・ビーバーについてのMCや、ただメンバー5人が演奏してるだけとも言える演出にむしろ新鮮味を感じたりもしたかな。
天野 ただ、2週目のステージの最後に彼らがモニターに流した映像はかなり政治的だったじゃないですか? CIAが暗躍し、中東やアフリカ、中南米の政権を転覆させてきた歴史を告発する内容の。
田中 20世紀後半を通してアメリカが世界中の国家に介入してきたことは紛れもない事実だからね。
天野 第2次トランプ政権が”ドンロー主義”なるヤバい拡大路線と実力主義に突き進んでいった結果、ベネズエラのマドゥロを拘束し、イランに攻撃し、さらにこれからはキューバに圧力をかけようとしてる。そんなとんでもない事態になってるのがこの半年なわけですよね。その暴挙を全面的に肯定できる人は、おそらくほとんどいない。でも、マドゥロがいなくなって、ベネズエラの人々は喜んでる。そのことにものすごく複雑な思いがあります。
田中 フィデル・カストロに何かしらの愛着がなくはない人間としては、彼を憎んでやまない在米キューバ移民に対するアピールとしてトランプ政権がキューバ侵攻を仄めかしていることにも同じ思いがあるよ。でもさ、これも今に始まった話じゃないわけだし、一帯一路を掲げる中国にしろ、ユーラシア主義を掲げるロシアにしろ、今まさに大国は地政学的な拡大主義を標榜していて、世界中の経済圏を互いに分割しようと競い合ってる。それを思えば、すごくタイムリーな、しかるべき演出だと思った。
天野 ただ、あの演出は、ちょっとプラカード的すぎるというか、典型的な左派へのアピールに思えて、ノれなかったんですよね……。でも、宗さんの場合も、ストロークスがあの映像を流しながら最後に演奏した「Oblivius」に引っかかったんですよね?
田中 あれって、『Future Present Past』っていう2016年のEPに入ってた曲で、ウォール・ストリートの金融システムに物申した曲でさ。ただ、「お前はどっち側に立つんだ?」っていうコーラスが好きじゃないのよ。政治的な選択を迫るところが。
天野 宗さんらしいな〜。なので、演出っていうポイントからすると、ピンクパンサレスのステージが一番バランスが良かった気がします。クラブを模した演出とか、ダンスとか、魅せることにも工夫はあるんだけど、あくまで音楽を引き立てる程度っていうか。
田中 本人のダンスとかも省エネだし、新しいボーイフレンド──観客の中からロミオを探して、最終的には恋が成就!みたいな、くだらない演出とかも含めて、ずっと楽しむことが出来た。
天野 で、ジャスティンの場合は、ここ最近のYeのステージセットを模したようなシンプルなステージセットとステージ前方に設置した客席を覗き込むようなカメラ。そして、物議を醸した、PCからランダムにYouTube動画を選んで、幼少期からの彼のキャリアを再訪するカラオケ・セット。Instagramのポストを見る限り、宗さんは大絶賛でしたよね?
田中 感動した。『SWAG』の2枚って、ポップ・スターが不特定多数の観客に向けて、大声で何かを訴えかけるレコードじゃなくて、1人の観客にすごく親密な距離感で一対一で語りかけるような密室的なレコードだったわけじゃない?
天野 キーワードとしてはintimate/親密さだって書いてましたよね。つまり、ポップ・アイコンとしての彼がいつの間にか奪われてしまったもの。だからこそ今、彼がやりたいことがまさにああいった観客との親密なコミュニケーションだった?
田中 そう。例えば、今のデヴィッド・バーンのステージとかは、理想的なcommunalな表現だと思うの。不特定多数の観客が音楽を通じた共通の感覚をシェアするっていう。ただそれって、ライブ空間ではそんなに難しいことではなくて。でも、『SWAG』みたいなレコードをステージで演奏しても、上手くいくわけがないと思ってたの。けど、中盤のカラオケ・セットを挟むことで、彼は10万人の観客でごった返すフィールドを、これまで彼の音楽を聴き続けてきた観客1人1人の自宅の部屋に変えたんだよね
天野 だからこそ、盛り上がりに欠けたと思われる可能性さえあった、ラストの「DAISIES」へと至るその後のセットがどこまでも穏やかで、親密で、感動的な空間になったんだ、と。
ギースはインダストリー・プラントか?
田中 あと、ギースも演奏がとにかく下手くそで、それが故の独自のグルーヴがあって良かったな。
天野 ただ、その後に「ギースはインダストリー・プラント(業界が仕掛けたアーティスト)なのか?」という議論が湧き上がったじゃないですか? 2025年のアルバム『Getting Killed』前後から彼らがいきなり「インディ・ロックの救世主」扱いされるようになったのは、Chaotic Good Projectsというデジタル・マーケティング企業が彼らの曲をTikTokやYouTubeのレコメンドで推されるようにインプレッションを操作したからだっていう。で、「これは明らかな不正だ!」と純粋主義的なインディ・キッズは怒り心頭、というわけです。
田中 俺はそういうの馬鹿馬鹿しいと思っちゃうけど。特に俺たちみたいなメディアに関わる人間がそんなことを言い出したら、自分で自分に唾を吐きかけるようなもんだし。すべてはハイプだよ。
天野 実際、現在のショート動画中心のプラットフォームやインプレッション稼ぎの闘争の場と化したソーシャル・メディアにおいて、じゃあインディ・バンドってどうすればいいの?とも思うんですよね。戦略的にマーケティングするのは当然の帰結なんじゃないかなって。
田中 何より大切なのは、オーディエンスの感性や知性に対する信頼だとも思うけどな。
天野 自分もそう思います。あと先日、映画『エレファント6レコーディング・カンパニー』の監督にインタビューしたんですけど、彼が「1990~2000年代のあの頃をノスタルジックに捉えるのも違うと思う。当時も今も創作の根っこにあるのは同じだし、今のほうが恵まれててチャンスは多いかも」というようなことを言ってたのが印象的ですね。
ドレイクとヒップホップ文化と産業と
天野 じゃあ、ドレイクですね。当初アナウンスされてた『ICEMAN』はラップ・アルバム、『MAID OF HONOR』はダンス・ミュージック路線、『HABITI』はR&B路線と、これまで散々アルバムの完成度の低さや統一感のなさについて批判されてきたドレイクがテーマごとに絞って作品をソリッドに構成してきたのは、単純に良い判断だったと思います。
田中 だよね。3枚それぞれに対する所感は?
天野 『ICEMAN』はとにかくビートがどれも上質。音質も最高にハイファイで、スピーカーで流してるとほんとに気持ちよくて延々と聴けちゃいます。
田中 このアルバムのビートが新たなトレンドを産むとは思わないけど、間違いなく王者の風格はあるよね。ただ、これ、俺みたいなヒップホップ門外漢からすると、消化試合みたいなアルバムだって気もするんだよね。
天野 ケンドリック・ラマーとのビーフの落とし前をつけるために致し方なく作ったラップ・アルバム?
田中 そう。俺はいくらカルチャー・ヴァルチャーと揶揄されようとも、ダンスホールやアフロスウィングのビートを取り込んで、新たなポップの形態として押し上げてきたことで、良くも悪くもラップ音楽をストリートから引き剥がしたドレイクに興味があるわけ。
天野 ラッパーとしてのドレイクに興味はない?
田中 誰よりも本人が嫌がるだろうけどね。それに、もはやビーフというヒップホップ特有の文化にアクチュアリティなんてないと思う。
天野 まさにケンドリック vs.ドレイクのビーフで壊滅的に壊れたとも言えますね。ナズ vs.ジェイ・Zの時代とは大きく違う。ただ、ドレイクはラッパーとしてのアイデンティティを証明せんがために全方位に攻撃をしてて、ケンドリックだけでなくエイサップ・ロッキーやらJ・コールやらドクター・ドレーやら11人もディスっています。
田中 でもさ、ディスっつっても、ドレイクは大したことを言ってないのがいいんじゃない?
天野 ケンドリックみたいにスキルとレトリックを駆使して、ディスり倒せない能力とキャラ的な限界が良い方向に働いてると(笑)。
田中 いや(笑)、ディスの対象を明らかにするという最低限のことをやるだけやって、そういうゲームには必要以上に加担しない──それが『ICEMAN』というタイトルの言わんとするところだという解釈も出来ると思うんだよね。
天野 映画『トップガン』で亡くなったヴァル・キルマーが演じてたキャラクターの名前ですよね。
田中 あと、やっぱり2024年の時点で、どんな状況でも感情を表に出さない冷静沈着な性格だってことで、やっぱりそう呼ばれてたF1ドライバー、キミ・ライコネンのことも仄めかしてた。
天野 でも、それって、ドレイクのキャラと違くね?っていう(笑)。
田中 ラッパーとしての矜持を貫くためにはホント苦肉の策だったんだと思うよ。ヒップホップ門外漢の俺からすれば、クソくだらない意地だとしか思わないけど。で、総じて今は政治の時代なわけだよね。右も左も「闘え!」の大合唱の時代にもっとも意味のあるドレイクの役割というのは、ケンドリック・ラマーとのビーフを経て、どれだけチャラくいれるのか?ってことだと思うの。そういう意味からすると、『ICEMAN』よりもむしろ『MAID OF HONOR』や『HABITI』に価値があると思う。
天野 実際、宗さんだけじゃなくて、「One Dance」「Passionfruit」や『Honestly, Nevermind』の流れを汲む4つ打ち系の『MAID OF HONOR』は、批評的な評価も、ほかよりちょっと高いんですね。ただ今回、ドレイクがBillboard Hot 100に42曲もランクインさせた荒業は、むしろヘッズの中では評価を下げてる。ビーフには負けたくせに、また商業的な成功を盾にしようとしてるって。とはいえ「サクセス・イズ・ザ・ベスト・リベンジじゃダメなの?」とも思っちゃうんですよ。それと今回の3枚同時リリースは、「Not Like Us」の件で裏切られたとドレイクが感じてるユニバーサル ミュージック グループに対する攻撃と契約終了が本丸なのでは?とも言われてます。つまりレーベル、レコード会社との闘争。まあ、ドレイクがインディペンデントになったらYeやバッド・バニーを超える世界一巨大なインディペンデント・アーティストが爆誕するわけで。
田中 でも、皆んな、勝った負けたが大好きだよね。俺の願いは今以上に無辜な命が奪われないことだけ。あとは、チャーリーxcxの「SS26」じゃないけど、似合う服が着れさえすればもう十分だよ。
ESSENTIAL SONGS
YouTubeやストリーミング・サービスの普及によってポップ音楽の歴史への
アクセス自体が一気に「民主化」されたと同時に、すべての作品は
「並列化」という暴力的な磁場に放り込まれることとなった。
だが、優れた音楽作家たちはその歴史を自在に操りながら、
今を生み出すことに長けている。今回はそんな2曲を取り上げることにしよう。
Charli XCX
「Rock Music」
ワーナーミュージック・ジャパン
配信中
この曲のコラボレーター、A. G. クックとフィン・キーンが『Britpop』、『Soft Rock』というタイトルの、そのジャンル名とは似ても似つかないエレクトロニクス主体のエクストリームなアルバムを作っていることを知る者からすれば、ごく納得の仕上がり。と同時に、アメリカ西海岸では「愛の夏」が謳歌されていた1967年に、その影の側面と夏の終わりを一手に引き受けていた東海岸アンダーグラウンドの雄、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドへのトリビュートでもあるだろう。ダンス音楽の死は今に始まったことではない。そもそも『Brat』はダンス音楽に対するレクイエムだった。にもかかわらず誰かが延命させようとするなら、誰かが終わらせなければならない。もう一度、ダンス音楽が甦ることを願うのなら。 (田中宗一郎)
Olivia Rodrigo
「drop dead」
ユニバーサル ミュージック
配信中
サッド・バンガーの女神。恨み節の名手。元カレへの負の感情を集積し、歌に昇華させてきたオリヴィア・ロドリゴは、前作の「vampire」ではその刃を産業構造にも向けたわけだが、新作『you seem pretty sad for a girl so in love』からのこの1stシングルでは、なぜだかとても甘美で夢見心地な笑顔を浮かべている。ロックの伝道師として戦略的な活動をしてきた彼女の新曲のプロダクションがシンセポップ風だったことにも意表を突かれた。中でも個人的に最高だと思うラインは〈ある晩、ベッドで退屈していた私は、あなたをネトストしてた〉。ベルサイユ宮殿を”私の寝室”に仕立て上げ、VHSやベータ・カム(!)を駆使したペトラ・コリンズのMVは、まさにその全能感を見事に映像化している。(天野龍太郎)
Edit by Soichiro Tanaka, Ryutaro Amano & Rolling Stone Japan
