
2017年、音楽活動から離れ、イングランドの湖水地方にある専門学校で家具作りを学んでいたケイト・ル・ボン(Cate Le Bon)のもとに届いた、一通のメール。そこにはこんな風に記されていた──「ジョン・ケイルがあなたを探しています」。
そのメールをきっかけに、同じウェールズ出身であり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの創設メンバーでもあるジョン・ケイルのコンサートで一緒に歌うことになったケイトは、2019年のアルバム『Reward』でシーンに復帰すると、プロデューサーとしてもディアハンターやウィルコ、デヴェンドラ・バンハートといった人気アーティストたちの作品を次々に手掛け、オファーが絶えない存在になっていく。
そんなケイトが、ジョン・ケイルとのデュエット曲も含む昨年のアルバム『Michelangelo Dying』を携え、まもなく待望の初来日公演を行う[6月9日(火)ビルボードライブ横浜、6月11日(木)ビルボードライブ東京]。そこで今回は、意外な人物にピアノを教わっていた幼少期から、ウェールズのロック・バンドに影響を受けた成長期、多岐に渡るプロデュース・ワーク、そして最新作の制作背景まで、キャリアを俯瞰するインタビューが実現。現代を代表するサウンド・アーキテクトとなった彼女の、これまでの歩みを追ってみた。
「規律に縛られない」恩師たちからの学び
—今はギリシャに滞在しているそうですね。
ケイト:今はイドラ島のスタジオにいるんです。特別な理由があるというより、ただ楽しい時間を過ごしているという感じですね。
—あなたが子供の頃のピアノの先生は、エルトン・ジョンやポール・マッカートニーのアレンジャーとして知られるデル・ニューマンだったそうですね。彼はどんな人でしたか?
ケイト:私は西ウェールズのとても田舎の町というか、村で育ったのですが、そこでデル・ニューマンという素晴らしい人物がピアノを教えているという話は、村中の噂になっていました。誰もが信じられない、という感じだったんです。幸運にも、両親が私と姉を彼の生徒にしてくれました。彼は本当に素晴らしい先生でした。彼の家に行くと、キャット・スティーヴンスやポール・マッカートニーと一緒に写っている写真が壁に飾られているんです。でも彼自身はとても気取らない雰囲気の人でした。曲の覚え方を教えてくれるのですが、こちらも自然と「ちゃんと覚えたい」と思わされるんです。たぶんみんな、練習してこなかったら生徒をやめさせられるんじゃないかと、少し怖がっていたと思います(笑)。でも、いったん曲を覚えると、今度はその曲のことは忘れて、自分が感じるままに弾きなさいと言うんです。それは私にとって、とても大きな学びでした。特にウェールズでは、楽器を学ぶことがどうしても規律や型にはまったものになりがちなんです。私はたぶん、そういうあり方には少し反発があるんですよね。本来あれほど喜びに満ちているものが、停滞したものになってしまうことに対して。だからデルは、私が音楽についてどう考え、どう感じるかという部分において、本当に大きな影響を与えてくれた人でした。
—デル・ニューマンが70年代にプロデュースしたアーシャ・プスリやジュリー・フェリックスといった女性アーティストの作品は今聴いても新鮮ですが、あなた自身が他のアーティストのプロデュースをするようになって、彼の手掛けた作品を聴き直してみたりしましたか?
ケイト:それはしていないですね。誰かのレコードに関わるとき、私にとって大事なのは、自分とそのアーティストやバンドとの間にあるケミストリー、関係性、そして音楽そのものに意識を合わせることなんです。何が起こるべきかを頭で決めるのではなく、実際にそこで起きていることに対して、余白を持って反応し、丁寧に考えることが大切だと思っています。何かを参照し始めると、それが罠のように機能してしまい、そちらに引っ張られてしまいがちになる。だから私はいつも、すべてを新しいものとして捉えるようにしています。その瞬間に、その作品が必要としている道筋や扱い方を見つけていく、という感覚ですね。
—デル・ニューマンはジョン・ケイルの1972年のアルバム『The Academy In Peril』でドラムを叩いていたそうですが、あなたの去年のアルバム『Michelangelo Dying』の「Ride」という曲にも、ジョン・ケイルがボーカルで参加していましたよね? 彼と知り合ったきっかけと、特にあの曲で歌ってもらおうと思った理由について教えてください。
ケイト:たしか2017年だったと思います。その年、私は音楽から1年離れていたんです。その年の終わり頃に、ロンドンのサウスバンク・センターで働いている方からメールが来て、「ジョン・ケイルがあなたを探しています」と言われました。それは私にとって、本当に大きな出来事でした。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドも大好きですが、私はジョン・ケイルのソロ作品が本当に好きなんです。彼の作品群は、新しいものを発表するたびに、私の中でまた意味を変えていくんですよね。彼は、自分の作品群そのものの総体のような人だと思います。しかもそれは決して回顧的ではなく、いつも先へと進んでいる。だから、彼の依頼でサウスバンク・センターに行き、たしか3夜に渡って彼と一緒に歌うことになったのは、私にとって完全に夢が叶ったような出来事でした。
さらにその後、たぶん2年くらい経ってから、彼にパリに来ないかと誘われました。そこで3公演を一緒にやったんです。そのときは私もギターをたくさん弾いて、ほとんどすべての曲で彼と一緒に歌っていました。その前にロサンゼルスで1週間半か2週間ほどリハーサルをしたのですが、彼が自分の過去のカタログに向き合う姿を見るのは、本当に美しい経験でした。時には、曲を自分で壊してしまうような瞬間もありました。彼はそれほどまでに、音楽が流動的であり続けること、動き続けることを求めているのだと思います。彼が作業する様子、バンドに指示を出す様子、自分の過去の曲をあらためて作り変えていく様子を側で見られたことは、本当に興味深い経験でした。それに、ただ彼の近くにいられたことも大きかったです。キッチンで一緒に昼食を食べたり、少しウェールズ語で話したりもしました。そういう時間は、私にとっていつもとても美しく、実りのあるものでした。
そんな経緯もあって、「Ride」という曲には彼の持つ重みが必要だと感じたんです。私にとって彼の声には、時代を超えた歴史のようなものが宿っています。うまく言えないのですが、彼の声は過去であり、現在であり、未来でもあるように聴こえるんです。だから、あの反復するフレーズを彼に歌ってもらうことで、そういう感覚を呼び起こしたかったんです。さらに彼は、曲の歌詞を〈Its My Last Ride〉に変えたんです。それには本当に圧倒されました。
—あなたはジョン・ケイルのコンサートで彼の曲を歌ったり、自分のライブでも彼の曲をカバーしたりしていますが、1970年の1stアルバム『Vintage Violence』の収録曲(「Gideon's Bible」「Big White Cloud」「Amsterdam」「Ghost Story」)を取り上げていることが多いような気がします。あのアルバムのどんなところが好きですか?
ケイト:あれは、ジョンと一緒にコンサートで演奏した曲たちなんです。「Big White Cloud」は、コロナ禍の後に初めて行ったツアーで、自分のバンドともライブで演奏しました。そのとき、あの曲に込められた感情が、当時の空気の中に確かに漂っていたものを捉えているように感じたんです。ただ、やはりジョンは私にとって本当に大切なアーティストなんです。彼の作品には、今も驚かされ続けていますし、彼自身にも、いまだに初心者のような好奇心がある。アーティストとしてそれを持ち続けているというのは、本当に理想的なことだと思います。
「Big White Cloud」をカバーするケイト・ル・ボン
—ところで、あなたにデュラン・デュランのサイモン・ル・ボンに由来する"ケイト・ル・ボン"というステージネームを付けたのは、あなたの作品のアートワークを手掛けているH・ホークラインことヒュー・エヴァンスだったそうですが、どうしてこの名前を選んだのでしょう?
ケイト:さあ、どうだったんでしょう。特に理由があったのかはわからないです。ただ、そうなってしまったという感じですね。冗談が行きすぎて、そのまま定着してしまった、というか。
—デュラン・デュランの大ファンだったとか、何か繋がりがあったわけではないんですか?
ケイト:いいえ。まったく、そういうわけではないです(笑)。
—あなたの本格的なレコーディング・デビューはゴーキーズ・ザイゴティック・マンキのベーシストだったリチャード・ジェイムスのソロ・アルバムだったと思いますし、あなた自身の1stアルバム『Me Oh My』(2009年)にもゴーキーズのメンバーが参加していましたが、彼らやスーパー・ファーリー・アニマルズ、マニック・ストリート・プリーチャーズといったウェールズのロック・バンドからは、どんな影響を受けましたか?
ケイト:私はスーパー・ファーリー・アニマルズとゴーキーズの大ファンでした。マニックスを好きになったのは、もう少し後だったと思います。ウェールズに、ブリット・ポップの周縁にいるようでありながら、同時にかなりアヴァンギャルドな音楽を作っているバンドたちがいたことは、とても大きかったんです。彼らには、ある種のパンク的な姿勢があったと思います。ただ、それはいわゆるパンクとは違う形で包まれていた。とにかく彼らは、周りがどう思うかなんてまったく気にしていなかったんです。ウェールズの田舎で育つ中で、そういうバンドたちが「こういう風にやればいいんだ」と示してくれる存在だったことは、ひとつの世代のミュージシャン全体に影響を与えたと思います。音の面で直接というより、「自分が作らずにはいられない音楽を、ただ自分のやりたいように作ればいい」という姿勢においてですね。だから、本当に大きな影響がありました。(スーパー・ファーリー・アニマルズの)グリフ(・リース)は素晴らしいアーティストですし、とても思慮深く、よく考え抜かれた表現をする人です。(ゴーキーズ・ザイゴティック・マンキ〜ティーンエイジ・ファンクラブの)ユーロス・チャイルズの声にも本当に心を揺さぶられますし、作品の量も信じられないほどです。今も自分のレーベルから年に2枚くらいレコードを出し続けているんですよね。そういうものと一緒に育つことができたのは、本当に刺激的なことでした。
—ちなみに自分が初めてあなたの名前を聴いたのも、 スーパー・ファーリー・アニマルズのグリフ・リースとブーム・ビップのプロジェクト、ネオン・ネオンのアルバムでした。最近10年ぶりに復活したスーパー・ファーリー・アニマルズの再結成ライブには行きましたか?
ケイト:まだ行けていないんです。でも行くつもり。彼らがカーディフで大きな公演をやった時から、私はずっとギリシャにいて。残念ながらその場にはいられなかったのですが、夏のどこかで観に行くつもりです。グリフは、最初に私を引き上げてくれた人でした。カーディフでのスーパー・ファーリー・アニマルズの公演で、私にサポート・アクトをやらないかと声をかけてくれたんです。それは、私にとって本当に初期のライブのひとつでした。だから、すごく大きな出来事でしたね。彼が支えてくれたこともそうですし、彼がどんなふうに仕事をするのか、ライブの現場でどう振る舞うのか、自分の芸術的なヴィジョンをどう守っているのかをそばで見られたことも、本当に貴重な経験でした。
実は何年も前、たしか2008年だったと思うのですが、ネオン・ネオンでフジロックに出演したことがあって、それが日本で演奏した唯一の機会でした。滞在が本当に短かったので、とても残念だったんです。その後も何度か日本に戻ろうとしてきたと思うのですが、スケジュールや予算の問題で、なかなか実現しませんでした。
プロデューサーとしても開花、奇才たちとの共同作業
—2010年代にはロサンゼルスに活動の拠点を移していますが、何がきっかけだったのでしょう?
ケイト:もともとはカリフォルニア、ロサンゼルスでレコードを作りたいと思っていたんです。その頃、ウェールズの天気が1年くらい本当にひどくて、ずっと雨が降っていたような感じでした。当時のパートナーだったヒューと私は、あまりお金もなかったのですが、その頃のロサンゼルスは生活費の面でもまだ少し現実的だったんです。そこでレコードを作るためのビザを取って、向こうに行きました。せっかくならしばらく滞在して、違うシーンの一部になって、違うミュージシャンたちと演奏してみようと思ったんです。結果的に、その経験を通じて今でも本当に大切な友人たちに出会いましたし、とても重要な音楽的コラボレーションもいくつか生まれました。だから私にとっては、すごく大きな意味を持つ移動でした。今でもロサンゼルスとは強い繋がりを感じていますし、よく行っています。ヨーロッパにいる時間のほうがアメリカより長くなったのは、本当に最近のことなんです。アーティストとしての私にとって、あの移住はとても大きな学びになりましたし、今も仕事でかなり頻繁に行っている場所です。
—あなたがプロデューサーとして注目を浴びるきっかけになったのはディアハンターの2019年作『Why Hasn't Everything Already Disappeared?』だったと思うのですが、あのアルバムで共同プロデューサーだったベン・アレンとあなたは、どのように役割を分担したのでしょう? 何か当時のエピソードがあれば教えてください。
ケイト:あのレコードは、とても長いプロセス経て完成しました。最初にテキサス州マーファでいくつかセッションをして、そのあとソニック・ランチ・スタジオに行き、さらにロサンゼルスでもセッションをしました。その後、バンドがレコードをアトランタに持ち帰って、そこで作業を続けて完成させたんです。なので、私はベンとは一緒に作業していないんです。ただ、ブラッドフォード(・コックス:ディアハンターのシンガー兼ギタリスト)は本当に完成されたアーティストで、ものすごく優れた人ですし、物事がどうあるべきかというヴィジョンをはっきり持っている人なんです。正直に言うと、彼は本当は誰かを必要としているわけではないと思います。ただ、他の人がそこにいてほしいと思っている。それはとても素敵なことだと思います。だから、あの経験は非常に有意義なものでした。ブラッドフォードとスタジオで一緒に作業した時間は、私にとって本当に大きな学びになりました。それまでの何年分にも感じられるほど、多くのことを吸収したんです。彼はとにかく圧倒的な人で、アート、音楽、表現に対して徹底的に身を捧げている。軽々しくこの言葉を使いたくはないのですが、彼は本当に天才だと思います。だから、時には本当に混沌とした経験でもありました。下が上で、上が下になるような、何が何だかわからなくなる瞬間もありました。でも、ものすごく刺激的だったんです。自分が本当に特別なものを目撃している、という感覚がありました。
—あなたがプロデュースしたホースガールの昨年のアルバム『Phonetics On and On』は、日本でも話題になりました。アルバムの後にリリースされた「Julie」と「In Twos」のデモを聴いて、アルバムのバージョンと全くアレンジが違うのに驚いたのですが、あのアルバムであなたが果たした役割は、どういったものだったのでしょう?
ケイト:プロデューサーという役割ですかね(笑)。彼女たちの音をよく聴きながら、手を取り合って一緒に進んでいくような作業でした。目指していたのは、あくまで彼女たちらしい音のレコードにすることです。誰かが外側から何かを被せたような作品にはしたくありませんでした。デモは確かに違って聴こえると思います。でも、そこにある感覚や、彼女たちの曲が持っている繊細さは変わっていないんです。だから、曲をスタジオに持ち込んだときに、その中にある感情や誠実さを壊してしまわないようにすることが大事でした。そのうえで、作ろうとしているレコード全体の風景にきちんとなじむように、別の見せ方を探っていく。私の役割は、そういうものだったと思います。
ホースガール「Julie」のアルバム・バージョン(上)とデモ・バージョン(下)
—セイント・ヴィンセントの2024年作『All Born Screaming』でもあなたが数曲を共同プロデュースしていましたし、特にタイトル曲では大きくフィーチャーされていました。あの曲の制作秘話を教えてください。
ケイト:その頃、私はシカゴとロサンゼルスを行き来しながら、ウィルコのレコード(『Cousin』)に取り組んでいたんです。セッションの合間には、数カ月ほどロサンゼルスに滞在していました。(セイント・ヴィンセントこと)アニー(・クラーク)とはとても親しい友人で、音楽仲間としても一緒に時間を過ごしてきたんです。彼女はその時に自分のレコードを作っていて、私に曲を聴かせてくれたりしていました。それで、ごく自然な流れでそうなっていったんだと思います。私たちは本当に親しい友人で、お互いの間に信頼と正直さを育んできたので、気づけば彼女といくつかの曲に取り組んでいた、という感じでした。とても肩の力が抜けたものでしたし、私たちの友情が、一緒に作業するうえでの中心にあったんです。だから、とても実りのあるクリエイティブな関係だと思います。私たちはお互い、正直なコミュニケーションを取るのがとても上手なんです。アニーが私に問いかけてくるような形で、私に問いを投げかけられる人は、そう多くないと思います。そして、それはお互いさまだとも思います。
—おふたりの付き合いは、かなり長いのですか?
ケイト:私にとって初めてのアメリカ・ツアーが、彼女のサポートだったんですよ。たしか2012年か2013年だったと思います。だから、それ以来ずっと友人なんです。当時アニーのバンドでベースを弾いていたトーコ・ヤスダも私の親しい友人で、今回私が日本に行く時にも一緒に演奏してくれます。そういう意味でも、とてもいい繋がりで、素敵なコミュニティができていると思う。
—トーコ・ヤスダさんは、どのような経緯であなたのツアー・バンドのメンバーになったのでしょうか?
ケイト:彼女がアニーのバンドで演奏していたときに、一緒にツアーをしていたんです。音楽を通じて出会って、すごく親しくなって、ミュージシャンとしても深く尊敬するようになると、できるだけ一緒に時間を過ごしたいと思うものですよね。だから、自分のバンドに入ってもらうというのは、一緒にコラボレーションできるだけでなく、もう同じ国に住んでいない相手と時間を共有するための、とてもいい方法でもあるんです(笑)。彼女は人としてもミュージシャンとしても、本当に素晴らしい人です。彼女の中にある忠実さというか、まっすぐさや義理堅さには、ウェールズの人たちと少し通じるものがあるように感じるんです。トーコに感じる率直さや誠実さは、私が育った環境で出会ってきた多くの人たちを思い出させます。だから、彼女は本当に特別な人なんです。
—今年に入ってから、セイント・ヴィンセントをフィーチャーした昨年のアルバムのアウトテイク「Always The Same」がリリースされましたが、この曲はどういった位置づけなのでしょう?
ケイト:あの曲は、アルバムと同じセッションで録音されたものです。アルバムの曲順を組み立てる作業というのは、とても感情的なプロセスなんです。というのも、あのレコードはある意味、時間や特定の結びつきから切り離された状態で書かれていて、やがてアイデンティティからも切り離されていったような作品だったから。とても自動的に出てきたものというか、出てくる必要があったから、自分の中から自然に出てきたような感覚でした。だから、そこにあるすべての曲をあらためて見渡して、ひとつの作品として意味をなすように組み立てようとすると、それはどうしても感情的な作業になっていくんです。直感的に、あの曲にはもう少し余白が必要だと感じました。他の曲たちの中に収めるよりも、ひとつの作品として独立して受け止めてもらうほうがいいと思ったんです。ただ、アルバムとはとても深く結びついている曲と言えますね。
—今回の来日公演にも帯同するスティーヴン・ブラックとユアン・ヒンシェルウッドは、ジョン・グラントやドライ・クリーニングといったあなたのプロデュース作品にもよく参加しています。プロデュース作品や自分の曲のアレンジを考える際にも、彼らの演奏を念頭に置いていたりするのでしょうか?
ケイト:どうでしょうね。ユアンは『Michelangelo Dying』でサックスを吹いてくれたのですが、あれは、私たちがこれまで一緒にやってきたことが、いちばん良い形で表れた場面だったように思います。お互いのことを深く理解できていて、何が起きているのかをいちいち言葉にしなくてもよかったんです。ただ自然に音が生まれていく。互いに反応し合い、応答し合っていて、もし何か方向性を伝えるとしても、とても短く、流れるような会話で済んでいました。もちろん、私はどんな形であれ彼らと一緒に仕事をするのが大好きなので、彼らのことはいつも頭に浮かびます。ただ、特にユアンとの音楽的な関係性に関しては、その集大成が最新作に表れていると思います。他の人のレコードで一緒にやってきたことには、ある種の実用的な役割があった部分もあると思うのですが、『Michelangelo Dying』では、もっと創造的な部分で深く噛み合っていたんです。
最新アルバムが映し出すもの、待望の初来日に向けて
—新作『Michelangelo Dying』の制作と前後してウェールズに戻ったそうですが、きっかけは何だったのでしょう?
ケイト:きっかけは別れでした。それから、家族や親しい友人たちのいる場所に戻りたいという気持ちもありました。アメリカで暮らしていた時間、自分の中でのアメリカでの章が、ごく自然に終わりを迎えたように感じたんです。だから、故郷に帰りたいと思いました。
—アルバムのタイトルは「Love Unrehearsed」の曲中に出てきますが、どんな心境を反映しているのでしょう?
ケイト:「Michelangelo Dying」という言葉には、このレコードのテーマがかなり凝縮されていると思います。テーマそのものというより、あの言葉には、このレコードの中にあるいくつかのテーマがよく表れていると思います。アートを通して愛を経験すること、そして心の痛みという誰もが知っている感情を、アートを通して経験することについて語っているんです。少し大げさで、半分冗談のようなところもあります。私たちの人生にとって愛やアートがどれほど大切なものなのか、そしてアーティストが何かを犠牲にしながら生きていること、その一方でアーティストには身勝手な面もあることを、少し大げさに、ユーモアを交えながら示しているんです。同時に、アーティストが創作に取り憑かれる中で、その陰に追いやられてしまう女性の存在についても触れています。だから、本当はミケランジェロが死んでいく話では全くないんです。あれは私のことなんですよね。
—最新作のサウンドの話も出ましたけど、そもそも自分としてはどういうサウンドをやりたかったのですか?
ケイト:このレコードは、もともと意図して作ろうとしたものではありませんでした。失恋についてのレコードを作りたかったわけではなかったんです。でも、最終的に『Michelangelo Dying』になったその作品を、自分の中から吐き出して、きちんと形にしない限り、私は他のことに進めなかったんだと思います。その制作には、共同プロデュースとエンジニアリングを手掛けてくれたサマー・クージャとの信頼関係が欠かせませんでした。彼とは感性の部分でも深く通じ合っていて、それが大きかったと思います。私たちは本当に多くの時間を一緒に過ごしましたし、彼は私にとって最も近しい友人のひとりでもあります。彼が近くにいてくれたことで、気負わずに、自分の中から出てくるものをそのまま書いていけたんだと思います。時間の感覚や固定されたものから少し切り離されていくような、絶えず変化していく風景の中にいるような制作でした。でも私たちは、その変化に一緒についていくことができたんです。だから、レコードが形になっていく過程で、作品そのものが次に何を必要としているのかを教えてくれるような感覚がありました。何カ月ものあいだ、私たちは本当にそのレコードとともに生活し、その中で呼吸していました。だから、自分たちのほうもだんだん開かれていって、作品が求めているものを受け取れる状態になっていったんです。
—それを表現する上で、参照したアーティストや作品はありましたか? 意図的なものではなかったのはわかっていますし、何かを参照することはあまりないとおっしゃっていましたが……。
ケイト:まあ、そうは言ってもすべては意図的なんです。ただ、その意図がどういう形で姿を現すのかが違うのだと思います。参照したものとしては、コレット・ルミエールというアーティストのインスタレーションがありました。美しい布に覆われた部屋に女性が横たわっている写真で、その空間はまるで子宮のようにも見えるんです。彼女の上には鏡があり、彼女は裸で、ただ休んでいる。そのイメージが、音の参照点になるように感じました。何かを具体的に指示するためのものではなく、私たち二人が感覚として共有できるものだったんです。だから、レコードの地図のようなものがあったとすれば、そこまで具体的だったのはそのイメージくらいでした。
—ディラン・ハドリーとヴァレンティナ・マガレッティというふたりのドラマー/パーカッション奏者は、アルバムのサウンドにどんな貢献をしたと思いますか? また、今回のツアーに帯同するドラマーのアーシュラ・ラッセルについても紹介してください。
ケイト:ヴァレンティナ・マガレッティは、私にとって大好きなミュージシャンのひとりです。彼女がセラミック製のドラム・キットを演奏している映像がオンラインにあるのですが、私はあれに完全に夢中になっていて。本当に、これまで見た中でも特に美しいもののひとつだと思います。だから、彼女とはずっと一緒に仕事をしてみたかったんです。実際に参加してもらったことで、音がまったく別の次元に連れていかれたような感覚がありました。ディランはライブで一緒に演奏してくれていたので、いくつかの曲を試してもらうのは自然な流れでした。そして今は、アーシュラ・ラッセルが加わる新しい段階に入っています。彼女は、本当に素晴らしいんです。これまでの私のレコードでは、ステラ・モズガワがとても大きな役割を果たしてくれていました。だから今回のアルバムでは、彼女がいないことをすごく寂しく感じてもいたんです。でもアーシュラには、ステラに通じるグルーヴがあるんですよね。だから、一緒に演奏していて本当に楽しい。彼女はとても直感的で、知的なプレイヤーです。演奏を”見せる”というより、ちゃんと聴いている人なんです。だからこそ、彼女のプレイには感情が宿っていて、とても美しい。今のライブには本当に合っていると思います。
ヴァレンティナ・マガレッティがセラミック製のドラム・キットを演奏している映像。Moinの一員として6月に来日公演を開催
—2022年作『Pompeii』のツアーで、あなたが鎖帷子のフードを被ったり、Voxのファントム・ギターを使っているのが印象的だったのですが、あれはどういったコンセプトだったのでしょう? 今回のツアーは何かテーマなどありますか?
ケイト:今回は、レコードそのものや、その空気感をライブで再現したいと考えています。観ている人が、このレコードの世界に足を踏み入れたように感じられるようなものにしたいんです。だから、アートワークからの要素もありますし、私たちが一緒に演奏しているときに共有している、ある特定の感情的な空気もあります。それがとても大事なんです。だから、私にとっては、このレコードを誠実に表現するライブになっていると思います。それに、今回のミュージシャンたちは本当に素晴らしいんです。ユアン、スティーヴ、ポール、トーコ、アーシュラ。本当に、かなり特別なものになっていると思います。
2026年の最新ライブ映像(※ドラムのみ来日公演不参加のディラン・ハドリーが担当)
—あなたのソロ作をずっと昔から聴いているので、今回が初来日というのが意外なのですけど、日本に接点や興味などありますか?
ケイト:もちろんありますよ! 私はシティ・ポップの大ファンですし、ススム・ヨコタも大好きです。日本の音楽はたくさん聴いています。今回は公演のあともしばらく日本に残って、友人のトーコと一緒に旅をする予定なんです。それから、友人のステラ・モズガワとコートニー・バーネットが大阪でライブをするので、そこにも合流するつもりです。本当に楽しみにしています。トーコと知り合って以来、いつか一緒に日本で時間を過ごしたいねとずっと話していたんです。それがようやく実現するので、とても嬉しいです。
—先日コートニー・バーネットにインタビューしたのですが、彼女は以前あなたが住んでいたジョシュア・ツリーに住んでいますし、彼女のバンドのドラマーのステラ・モズガワは、以前あなたのバンドのドラマーでもありましたよね。ちょうどあなたの1週間後にコートニーも来日しますが、お互い何か話したりしましたか?
ケイト:ええ、よく話をしています。彼女たちは二人とも、私にとって本当に親しい友人なんです。音楽を通して出会った人たちが大切な友人になって、普段はFaceTimeでよく話している。そうしていたら、たまたま日程が重なって、日本で一緒に時間を過ごせることになったんです。そういうのは本当に素敵なことだと思います。
—ミケランジェロは絵画だけでなく彫刻や建築でも知られていますが、あなたも家具職人の専門学校に通っていた時期があるそうですね。日本の家具に興味はありますか?
ケイト:はい、とても興味があります。家具作りを学んでいたときは、すべて手工具を使う授業で、扱っていたのも日本の継ぎ手や仕口でした。できるだけ多くの日本の木組みを学ぼうとしていましたし、今でも関連する本をたくさん持っています。日本の木工や継ぎ手についての本を眺めるのは、私の好きなことのひとつなんです。本当に美しいと思います。それに、自分で買った日本の鋸があって、それは私にとって大切な持ち物のひとつです。なので、日本に行ったら、日本の木組みを実際に見て回るのをとても楽しみにしています。
—ありがとうございました!来日を楽しみにしています。
ケイト:こちらこそ、どうもありがとう!

ケイト・ル・ボン来日公演
2026年6月9日(火)ビルボードライブ横浜
1st stage open 16:30 start 17:30
2nd stage open 19:30 start 20:30
2026年6月11日(木)ビルボードライブ東京
1st stage open 16:30 start 17:30
2nd stage open 19:30 start 20:30
〈Member〉
Cate Le Bon(Vo,Gt)
Euan Hinshelwood(Gt,Sax,Key)
Stephen Black(Gt,Perc)
Paul Jones(Key)
Toko Yasuda(Ba)
Ursula Russell(Dr)