
中日ドラゴンズの大野雄大投手が30日、京セラドーム大阪で行われるオリックス・バファローズ戦に先発登板する。今季プロ16年目、37歳のベテラン左腕は、ここまで5勝1敗、防御率1.56と圧巻のパフォーマンスを見せており、順位、チーム防御率ともにリーグ最下位に喘ぐチームでひとり気を吐いている。
長年にわたり中日投手陣を支えてきたエース左腕を、球団はなぜ競合なしで指名できたのか。その裏には、他球団やメディアの“思い込み”を巧みに利用したドラフト戦略があった。
当時のドラフト指名の舞台裏を、長谷川国利氏、中田宗男氏の著書から全2回に分けて紹介する。後編は中田宗男氏の著書『星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録』(カンゼン刊)より、中日ドラゴンズ目線でお届けする。
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ドラゴンズSide
《2010年 心中覚悟、大野ありきのドラフト戦略》
■系列紙も欺いた1位指名
[caption id="attachment_262200" align="alignnone" width="1200"] 佛教大時代の大野雄大【写真:産経新聞社】[/caption]
担当スカウトの米村から「来年の候補選手ですから見てくださいよ」と言われて見たのが、
佛教大3年の大野雄大だった。それまでにも何度か見たことはあったが、このときのピッチングが素晴らしかった。
「もう来年は大野やな」と決めた。前年も左腕が欲しくて高校生左腕2人を上位で獲ったが、戦力になるにはまだ時間がかかる。やはり即戦力の左腕も欲しかった。
翌春のスカウト会議でも「大野でいこう」と正式に決まった。6月の大学選手権でも好投を見せた大野はドラフト注目ピッチャーの1人となった。だが、夏になって肩を故障し、それ以降投げられない状態が続いた。
米村が調べたところでは「手術するような状態ではない」ということだったが、「もしかしたら阪神が2位で指名するために本人に怪我だと言わせているかもしれない」と我々は疑っていた。だから大野の指名から降りるつもりはなかった。私は米村に言った。
「大野1位でいくぞ。単独でいけるか?」
「ずっと投げていませんから間違いなく単独でいけると思います」
「間違いないか?」
「間違いないです!」
米村も言い切った。
「中日は中央大・澤村拓一を1位」という報道もあったがこれは完全に間違い。我々は大野でいくことを隠していたから誰を狙っているのかスポーツ紙もわかりかねていた。巨人入りを熱望する澤村は半ば逆指名する形で他球団をけん制していた。そういったことがあったからスポーツ紙が「中日が澤村を指名して横やりを入れるようだ」と憶測で書いただけ。だが、結果的にこれが良いカムフラージュとなって我々には好都合だった。
大野の1位はトップシークレットだった。なぜなら中日が大野でいくことがわかってしまえば、他球団に「なんだ、大野の肩は大丈夫なのか! 」と気付かれてしまい指名が競合する恐れがあったからだ。秘密は徹底され、中日新聞の系列スポーツ紙でさえ、ドラフト当日に『中日は澤村1位』と書いたほどだった。
「来年1年は棒に振るかもしれませんが、間違いなくモノはいいので大野でいきたいと思っています。手術する必要はないのでプロで鍛えれば1年目の最後のほうには投げられるかもしれません」
そんな報告をすると、落合さんも了承してくれた。
実際、大野の肩は悪かった。だが全く投げられないほどの状態ではなかった。リハビリをして春先から体を作っていっていけば夏頃には投球ができるという見立てだった。米村が徹底的に調べてくれていた。
■「指名してくれるなら中日さんだと思っていました! 」
[caption id="attachment_262200" align="alignnone" width="1200"] 中日に指名された大野雄大【写真:産経新聞社】[/caption]
大野は単独でいけるという自信があったからこそ指名した。米村には何度も、「絶対に単独でいけるんだな? 」と確認をした。「いけると思います」という曖昧な返事をしようものなら「『思います』じゃアカンねん! 」と厳しく一喝した。米村には今でもそのときのことを「あのときの脅しにはドキドキしましたよ」と言われるが(笑)。だから大野が競合した場合の外れ1位など全く考えなかった。大野ありきのドラフト戦略。大野と心中する覚悟だった。
そこまでして指名したのだから米村にも大野に対する思い入れが人一倍あった。入団後、2年目のキャンプだっただろうか。ブルペンで腕を振れずに怖々投げている大野を見て、
「目一杯投げろ! そんなに腕を振るのが怖いなら辞めてしまえ! 」
「お前が大学時代に投げていたボールはそんなもんじゃないだろう! 」
そんな厳しい口調で大野を叱咤していた。「大野の肩は大丈夫です」と言って獲った手前、米村にもなんとか大野を一人前にしないといけないというプレッシャーが相当あったと思う。入団後もよく大野の面倒を見てくれた。
無事単独で指名した後、大野のもとへ指名挨拶に出向いたときのことは今も忘れられない。大野は「ありがとうございます‼ 指名してくれるなら中日さんだと思っていました! 」と言ってくれた。理由を尋ねると「米村さんがうちの監督や部長のもとへ何度も訪ねてこられて、肩の状態とか、僕のことを根掘り葉掘り聞いていたそうですので」と言う。
「こんな僕をよくぞ1位で指名してくれました! 」と本人は大喜び。気持ちの良い指名挨拶になった。
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『星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録』中田宗男 著
「星野さんは人を残し、落合さんは結果を残した」
スカウト歴38年 闘将とオレ竜に仕え、球団の栄枯盛衰を見てきた男が明かす
ドラフト舞台裏
14年間で四度のリーグ優勝と53年ぶりの日本一
それでも願わくば、もう一度強い中日を見せたかった
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