この構図に、ギリシア悲劇の古典的テーマが重なる。「父殺し」だ。
「父殺し」とは、文字通りの殺害を指すのではない。「父が体現する権威・価値観・世界を、その子が打ち倒す」という構図のことだ。最も有名な例が、ソポクレスの『オイディプス王』。呪われた運命のもとに生まれたオイディプスは、知らぬまま実の父を殺し、父の玉座を奪う。旧い権力が新しい世代によって打倒される――人類が何千年も繰り返し物語に求めてきたドラマだ。
茉莉の場合、さらに一捻りある。彼女は父・鷹臣から「悪のノウハウ」を受け継いだ上で、その武器を父自身に突きつけようとしている。オイディプスが知らずして父を殺したのに対し、茉莉は目を開けたまま、意志を持って父に向かっていく。その分だけ、この戦いはより苦く、より人間的だ。
茉莉が鷹臣を倒そうとするとき、彼女は同時に、自分の中に宿った「父の教え」そのものとも戦わなければならないのだから。
『ワンピース』の夢と、『七人の侍』の怒り
五十嵐に続き、今度は蛍が合流した。この「仲間集め」の見せ方が、本作の巧さの一つだ。
一見すると『ワンピース』的だ。ルフィが「海賊王になる」という夢を掲げ、個性豊かな仲間を一人ずつ船に乗せていく、あの高揚感。「あかりを都知事にする」という一見無謀な夢に向かって仲間が集まるさまは、確かにその系譜にある。
だが本質はもう一つのパターンに近い。黒澤明の『七人の侍』だ。あの侍たちは全員が「負け組」だった。社会の外に弾き出された者たちが、共通の敵に立ち向かうために一人ずつ集まってくる。彼らを束ねるのは夢ではなく、「怒り」と「失った誇り」だ。
茉莉も、五十嵐も、蛍も――全員が鷹臣によって政界を追われた。蛍の心を最後に動かしたのも、夢への憧れではなく「ぶっ飛ばせ」という怒りだった。『ワンピース』の「引力」と、『七人の侍』の「共鳴」。その両方を燃料にしているからこそ、チームあかりの結集シーンはこれほど熱い。
だが、不気味なのは鷹臣の動きだ。娘が反旗を翻したとき、父は何を仕掛けてくるのか。「父殺し」の物語は、返り血を浴びることなく完遂できるほど甘くはない。第6話が、楽しみだ。





