【鎌倉 観光スポットレポ】手広稲荷神社&三十番神宮 - 地元民も知ら…

住宅街のど真ん中に鎮座しているのに、地元の人でもその存在を知らない方が多い…… そんな不思議な神社が、鎌倉市にありました。

その名も手広稲荷神社(てびろ いなりじんじゃ)。人呼んで番神様(ばんしんさま)あるいは三十番神宮(さんじゅうばんしんぐう)とも。

今回は、こちらの謎多き手広稲荷神社への行き方や歴史、見どころなどを徹底解説します。実に趣深い神社なので、神社好きさんにはぜひ参拝していただきたいです!

手広稲荷神社への行き方

住宅街のど真ん中にある秘境の神社…… 何だか矛盾しているようですが、この手広稲荷神社には、まさにそんな形容詞が当てはまるでしょう。

それでは江ノ電「手広」バス停を起点に、手広稲荷神社までの道順を紹介します。

手広バス停から藤沢方面へ歩く

 

「鎌倉市手広三丁目13」と書かれた電柱を左折

右手に公園(手広児童遊園)を見ながら道なりに進む

公園を過ぎ、白いフェンスに沿って細い道を右折すると……!

奥に小さく鳥居が見えますでしょうか。この先へ進むと、ようやく手広稲荷神社に到着です。実際に歩くと、バス停から3分もかかりません。

「こんな所に神社があるの?」と驚く方も多いかもしれません。筆者は初めて知り、なんとかたどり着けました。できればぜひとも、案内板を出してほしいと思います。

手広稲荷神社の歴史

手広稲荷神社の始まりは意外と最近らしく、1968年(昭和43年)2月に氏子たちの手で創建されました。ここまで聞いて、実際に参拝された方の中には、違和感を覚える方もいるのではないでしょうか。

「そもそも社額には『三十番神宮』とあるのに、どうして手広『稲荷神社』なの?」

この謎について、どういうことなのか神奈川県神社庁に問い合わせました。するとこんな回答が。

「社殿に祀られている三十番神(さんじゅうばんしん)は仏教の神様ですから、神道の神様を専門に取り扱う神社庁の管轄ではありません。神社庁としては、あくまで倉稲魂命(うかのみたまのみこと)をお祀りする境内社のみ認識しています(※要約)」

なるほど。手広稲荷神社とは真正面の大きな社殿ではなく、社殿に向かって右手に鎮座する石造のお社を指すようです。こういうケースもあるのだなぁ、と新鮮な驚きでした。

三十番神宮の歴史

それでは真正面の大きな社殿、三十番神宮の歴史はどうなっているのでしょうか。社伝によると、戦国時代に玉縄北条氏の家臣であった嶋村采女(しまむら うねめ)が、氏神としてこの地に三十番神をお祀りしたのが始まりだそうです。

境内には南無妙法蓮華経の御題目を刻んだ供養塔があり、その側面には「鎮守三十番神宮」「嶋村采女氏神也 嶋村八良左衛門立之」と刻まれていました。

最後の行は「嶋村八良左衛門(はちろうざえもん)立之(これを建てる)」と読み、子孫が祖先の功績を顕彰する目的で、この供養塔を建立したのでしょう。采女が創建した三十番神宮は次第に近隣住民から崇敬を集め、この地の鎮守として親しまれてきたのでした。

社額の揮毫が仏行寺32世住職によるものであることから、古くは仏行寺(鎌倉市笛田)が管理していたものと考えられます。明治時代の神仏分離・廃仏毀釈を乗り越えて、現代に至るまで仏教の神様を祀り続けられたのは、人々の厚い信仰あってのことだったのでしょうか。

手広稲荷神社の御祭神

手広稲荷神社と三十番神宮には、それぞれ別の神様が祀られています。

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

農業や食物を司る神様で、室町時代以降は稲荷神(いなりがみ/いなりしん)と同一視されるようになりました。農業や食物は生活の基本であるためか、後に生活全般の願い(家内安全・健康長寿・立身出世・学業成就など)を叶えてくれる神様として広く信仰されるようになります。

三十番神(さんじゅうばんしん)

1ヶ月30日間(太陰暦のため)毎日交替で国家や国民を守護してくれる30柱の神様たちです(長くなってしまうので、三十番神の顔ぶれは割愛します)。

最澄(天台宗の祖)が比叡山延暦寺に祀ったのが始まりとされ、鎌倉時代以降は盛んに信仰されるようになりました。神様たちもワンオペ(一人勤務)で世の中を守り続けるのは大変だったようで、シフト制にしたのでしょうね。いつもお疲れ様です。そして、ありがとうございます。

手広稲荷神社・境内ギャラリー

さほど広くはないものの、手広稲荷神社の境内には、味わい深い見どころが散りばめられています。ここでは個人的なおすすめポイントをピックアップしました。

参拝者を出迎える石鳥居

柱の裏には「維時(これとき。日時を示す接頭語)安政三丙辰歳(ひのえのたつどし)晩春吉祥日」とあり、1856年(安政3年)に建立されたことがわかります。当時の旧暦(太陰暦)だから晩春と言えば3月、現代の3月末~5月後半ごろ(年により異なる)でしょう。

また、吉祥日(きちじょうにち。陰陽道に基づく吉日)という表記に、神仏に陰陽道まで混じり合ったおおらかな信仰感覚が味わえます。

小さな五輪塔

境内の片隅に、可愛らしくたたずむ小さな五輪塔。風雨にさらされてすっかり丸くなった部分もあれば、健気に彫刻を残している部分もあり、見ていて飽きません。

誰の供養を目的として建てられたのかは不明ですが、先ほど登場した嶋村一族の誰かでしょうか。

敷き詰められた瓦の破片

三十番神宮の社殿を裏手に回ると、割れた瓦の破片が敷き詰められています。写真は手前から奥にかけて低くなっており、空堀のような状態でした。

土手を覆うように敷かれていることから、ただ無造作に捨てたのではなく、社殿の建つ地盤を保護する目的で敷いたようにも思えます。

もし、社殿が朽ちて埋もれたとしても、いつかこの瓦たちが出土することで「かつてここに史跡があった」と気づいてもらえるかもしれない…… そんな遠い未来に思いを馳せてみるのでした。

庚申塔に刻まれた名前

1896年(明治29年)2月に建立されたこちらの庚申塔を見ると、台座に嶋村八郎右衛門(はちろうえもん)の名前があります。

先ほど紹介した、御題目(南無妙法蓮華経)の石塔を建立した嶋村八良(郎)左衛門と、何かしら密接な関係にある人物と考えてよいでしょう。あるいは単に「左」衛門と「右」衛門を間違えただけ ≒ 同一人物である可能性も捨てきれません(古文書や文献だとよくあるので)。

境内を覆う梅の木

取材の季節柄(4月下旬)、鳥居をくぐると、目にまぶしいくらい梅の青葉が色冴えていました。ここは天神様かと思うほど立派な梅の木で、花の季節になればさぞ美しく境内を彩ってくれることでしょう。梅の奥ゆかしい香りを楽しみにしています。

まとめ

今回は手広稲荷神社について紹介しました。

現代はGoogleマップやストリートビューといった便利なツールがあるから簡単に探せますが、ネットが普及する前は、文字どおりの秘境だったことでしょう。鎌倉市民でも知らない人が多いと考えられる手広稲荷神社に参拝すれば、また一歩鎌倉通に近づけるかもしれません。

手広稲荷神社(三十番神宮)

参拝時間

24時間(照明が不十分なため、夜間はご注意ください)

主な祭礼

例祭(れいさい) 1月30日

アクセス

所在地:鎌倉市手広3-13-8

江ノ電バス「手広」バス停から徒歩3分(190m)

駐車場:なし(公共交通機関のご利用がおすすめです)

連絡先

管理元神社:岩瀬 五所稲荷神社

電話/FAX:0467-47-4798(9:00~17:00)

メール:iwase5inari@mou.ne.jp

The post 【鎌倉 観光スポットレポ】手広稲荷神社&三十番神宮 - 地元民も知らない?住宅街ど真ん中の秘境を発見! first appeared on 湘南人.