その感動の原点の一つとなったのが、「体罰教師」だ。思えば、筆者(※1972年生まれ)の学生時代も、教師からの体罰は当たり前だった。どれぐらい深刻だったかといえば、80年代に「お礼参り」という言葉が流行ったほど…といえば思い出す年代の方もいるのではないだろうか。
この「お礼参り」とは、いわゆる「仕返し」。体罰に抵抗しようにも、内申をはじめ、停学、退学などをちらつかせながら学生時代を過ごした生徒が、「卒業式」という「教師と生徒の関係」が消えるセレモニーの後、体罰教師に、仕返しの暴力を行う行為である。そしてこれも社会問題となっていた。
ではなぜ、体罰教師が生まれたのだろう。これには多くの理由があるが、その一つに、70年代後半から80年代初頭に全国的に問題となった「校内暴力」の文脈がある。義務教育では、軍事教育の影響を色濃く受けた「管理教育」が行われていた。この行き過ぎた学校側からの「管理」に、耐えられなかった当時の中学生たちが、反旗を翻したのだ。「ガキ大将」ではない…いわゆる「不良」の誕生である。
この流れは、当時のエンタメからも見て取れる。1980年、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS)では、そうした不良たちを「腐ったミカン」と表現したことが話題になった。そして1982年、実話をもとにした俳優の穂積隆信による体験記『積木くずし~親と子の200日戦争~』が出版、空前のブームに。ある日、突然不良少女となった娘と親の葛藤を描いた作品で、翌1983年にはドラマ・映画化。「腐ったミカン」も「積木くずし」も流行語になるほどだった。
1984年にも実話をもとにしたドラマ『スクール☆ウォーズ』(TBS)が放送。さらには、尾崎豊の名曲「卒業」、コミックでも『ビー・バップ・ハイスクール』などが大ヒットした。
これらの背景もあり、「生活指導」としての、体罰教師の存在は、ある意味必要になってしまった。過激化する「校内暴力」を「暴力」で抑え込む、学校側の措置だ。一種の、なくてはならない「悪」。そして「悪」ゆえに、教師が生徒に刺殺されるといった事件が起こるなどますます過激化していった。いわゆる「教育暗黒期」である。
しかし、バブル期に入ると「不良」のオワコン化が進む。過激な「校内暴力」は次第に影を潜めていった。その結果、「管理教育」と「体罰教師」だけが取り残され、この物語の舞台である1988年には、映画『ぼくらの七日間戦争』という「管理教育問題」がテーマのエンタメ作品が作られたりもした。
これが加速し、現代──「体罰教師」は、ほぼ絶滅した。
「本気で怒ってくれる大人がいなくなった」時代に
では今、学校は平和になったのか。そうではない。「いじめ」がさらに問題視されるようになった。しかも子どもの命を奪いかねないような「いじめ」。そして昨今、SNSで多くの「いじめ」動画が流出し、問題となっている。教師は怖くて叱れない。つまり、「体罰教師」は悪の象徴のように語られるが、今は「本気で怒ってくれる大人がいなくなった」時代にもなってしまった。
決して「体罰」を擁護しているわけではない。「体罰」には明確に反対の立場だ。ただ古沢良太風に問題を一元化しない言い方をすれば、「体罰」を含め、単に腹が立って「怒る」と、その子のことを考えて「叱る」の境が曖昧にされた議論がなされているように感じる。
古沢氏自身、「叱ってくれる人がいなくなり、同時に失敗しても笑ってすましてもらえていたのが、今は一つの失敗で終わることもある」とも取材で語っている。つまり、「怖い叱ってくれる大人」がいれば、その失敗は起こらない可能性もあった、という事例も今は多くあるのではないだろうか。
体験談で申し訳ないが、筆者の中学時代にもいわゆる、不良も恐れる怖い「体罰教師」がいた。その教師が、「体罰」が問題視された90年代に入って語った言葉が、今も筆者の心から離れない。その教師はこう言ったのだ。寂しそうに。そして切なく。「もう、生徒のことを真剣に考えるのはやめることにした」と──。
そんな複雑な問題・心理を作り出した古沢氏の脚本もさることながら、これらを体現した俳優陣たちもすごい。そして我々は、あのシーンから問題提起することもできる。果たしてすべてを、善悪の二元論で語っていいのか。理想主義だけでいいのか。清濁のバランスはどのように取ればいいのか。それぞれの心で、感性で、経験で、今一度考えるのもいいかもしれない。
|M@(C)フジテレビ|










