テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、11日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(総合 毎週日曜20:00~ ほか)の第2話「願いの鐘」の視聴分析をまとめた。

  • 仲野太賀=『豊臣兄弟!』第2話より (C)NHK

    仲野太賀=『豊臣兄弟!』第2話より (C)NHK

殺し尽くされた見るに堪えない光景

最も注目されたのは20時28分で、注目度79.4%。小一郎(仲野太賀)が信吉(若林時英)の首を抱えて絶叫したシーンだ。

野武士たちが去ったあと、小一郎は直(白石聖)とともに村へ戻ってきた。2人の眼前に広がるのは、奪い尽くされ、焼き尽くされ、そして殺し尽くされた見るに堪えない光景だった。辺りにはわずかに生き残った者たちの嗚咽(おえつ)が響いている。

突然、小一郎が駆けだした。慌てて追いかける直。そこにはすすり泣く玄太(高尾悠希)の姿があった。「信吉のやつ、植えたばっかりの苗…守ろうとして…」玄太の視線の先には、泥にまみれて田に倒れている変わり果てた信吉の姿があった。小一郎は駆け寄って信吉の骸を抱き起こす。しかし、その身体には首がなかった。小一郎が顔を上げると、視線の先には信吉の首が打ち捨てられている。小一郎はよろめきながら近づき、震える腕でその首を抱きあげると、その心の内をあらわすかのように雷鳴がとどろき、大粒の雨が叩きつけるように降り始める。

「何じゃこれは…次から次へと…わしらが何をした。何なんじゃこれはー!」小一郎は信吉の首を抱きしめながら慟哭(どうこく)した。その様子を見た直も声を殺して泣き崩れる。「これがこの世じゃ!」突然、聞き覚えのある声があたりにこだました。「何でここにおるんじゃ…」声の主は兄・藤吉郎だった。小一郎はただ、ぼう然とするしかなかった。

  • 『豊臣兄弟!』第2話の毎分注視データ推移

    『豊臣兄弟!』第2話の毎分注視データ推移

「この展開はキツすぎませんか」

注目された理由は、目を覆いたくなるような村の惨状に、視聴者の視線が集まったと考えられる。

直の婚礼の祝儀を狙った野盗が村を襲ったが、小一郎は策と仲間の協力を得て、なんとか野盗を退ける。しかし一息つく暇もなく、鉄砲の轟音を鳴り響かせる謎の野武士の集団が現れた。野武士たちは野盗を殺し、村で略奪を始める。この野武士たちが織田信長(小栗旬)と市(宮崎あおい)が話していた今川義元(大鶴義丹)の息のかかった者たちなのだろうか。

野盗たちをはるかに上回る武力を持った野武士たちに立ち向かうすべは小一郎にはなく、直とともに息をひそめ隠れるしかなかった。なんとか生き延びた2人だったが、村は甚大な被害を受け、小一郎は過酷な現実を突きつけられる。

SNSでは「べらぼうから大河見始めたんだけど戦の大河ってこんな感じなんだ…」「最初の野盗レベルならともかく、訓練されて武装した野武士にはひとたまりもないよな」「文化人の大河が2年続いてからのこの展開はキツすぎませんか」「こう何回も野盗に襲われたら遅かれ早かれ村はやられていたんだろうな」と、3年ぶりの戦国時代の壮絶な描写に視聴者のコメントが集まった。

今回、村に凄惨な被害をもたらした野武士は特定の有力大名や主君に仕えず、独自に武装した戦闘集団。平時には農民出身・地侍出身など多様な背景を持っていた。当時の社会では、正規の武士と区別され、ならず者として認識されることがあった。戦国大名に雇われて足軽として戦場に参加したり村落の防衛を行ってはいたが、治安を乱す存在として嫌われることも多く、大名にとっては利用価値と危険性を併せ持つ諸刃の剣だった。

また、この時代には戦いの後や移動中に乱妨取り・乱取りと呼ばれる略奪行為が頻発した。当時の軍隊は下級兵士への十分な俸禄制度が未整備であり、兵士が略奪によって糧を得ることが日常的だったといわれている。戦国時代の民衆は略奪を避けるため山林や城へ避難したり、家財を土に埋めるなどの自衛策をとった。織田信長・豊臣秀吉などは一銭切と呼ばれるわずか一銭でも盗んだ者を斬首にするという厳しい刑罰で略奪行為を厳しく禁じたと伝わっているが、一般的には略奪は当然の権利として認められていた。

野武士が用いた鉄砲は1543(天文12)年に種子島にやってきたポルトガル人によって伝えられる。その後、日本人の技術者たちはその仕組みを短期間で習得し国内生産が急速に進んだ。

ちなみに大型のものは大筒、小型のものは火縄銃と呼ばれた。鉄砲は従来の弓矢や槍と比べて、比較的早く訓練できる兵器だったため、戦国大名によって積極的に採用される。集団で鉄砲を用いる戦術へと転換が進んだことで、軍の戦い方や軍事組織のあり方が大きく変わった。

また、その急速な普及と大量生産の結果、日本は当時の世界でも屈指の鉄砲保有国となったのだ。1549(天文18)年に現在の鹿児島県にあたる薩摩で起きた、島津氏と肝付氏が激突した黒川崎の戦いが初めて鉄砲が実践に投入された合戦といわれている。