(左から)横浜時代の北方悠誠、柿田裕太、白崎浩之(写真:産経新聞社)

 

 プロ野球のドラフト会議で1位指名を受けることは、選手にとって最高の栄誉だ。球団の未来を託され、ファンの期待を一身に背負う。しかし、期待通りに活躍できずに選手生活を終えた選手も少なくない。2011年に横浜ベイスターズ(現・DeNA)から1位指名を受けた剛腕右腕は、制球難に苦しんで一軍登板ゼロに終わった。(文・シモ)[1/6ページ]

制球難に泣いた剛腕ドラ1

北方悠誠

[caption id="attachment_169261" align="alignnone" width="530"] DeNA時代の北方悠誠(写真:産経新聞社)[/caption]

 

 

 

・投打:右投左打


・経歴:唐津商高


・ドラフト:2011年ドラフト1位(横浜)

・NPB通算成績:一軍登板なし

 

 力強い速球が武器だった北方悠誠。しかし、プロ入り以降は期待に応える投球ができなかった。

 

 唐津商では150キロ超のストレートを武器に、3年夏の甲子園大会に出場。

 

 同大会初戦の古川工戦で13奪三振、2回戦の作新学院戦で10奪三振をマークするなどプロの注目を集め、2011年ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズに入団した。

 

 

 

 ルーキーイヤーは二軍戦で6試合に登板して2敗、防御率6.91に終わるが、翌2013年は二軍戦で9試合に登板して1勝1セーブ、防御率1.72の好成績をマーク。

 

 しかし、課題の制球力を改善することはできなかった。1度も一軍の舞台に立つことなく、2014年オフに戦力外通告を言い渡された。

 

 北方は同年のNPB12球団合同トライアウトに参加し、福岡ソフトバンクホークスと育成契約を締結。だが、新天地では三軍で9試合の登板にとどまり、わずか1年で2度目の戦力外通告を受けることに。

 

 その後は独立リーグ4球団を経て、2019年にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。


 

 しかし、不運にも新型コロナウイルスの影響で同年のマイナー・リーグ中止により、帰国。再び独立リーグに戻り、2022年限りで現役を引退した。

 プロ野球のドラフト会議で1位指名を受けることは、選手にとって最高の栄誉だ。球団の未来を託され、ファンの期待を一身に背負う。しかし、期待通りに活躍できずに選手生活を終えた選手も少なくない。1995年に横浜ベイスターズ(現・DeNA)から1位指名を受けた右腕も、プロ入り後に苦戦し、移籍後も活躍はできなかった。(文・シモ)[2/6ページ]

 

トレード後も活躍ならず

細見和史

[caption id="attachment_240551" align="alignnone" width="530"] 横浜時代の細見和史(写真:産経新聞社)[/caption]

 

 

 

・投打:右投右打


・経歴:北嵯峨高 - 同志社大


・ドラフト:1995年ドラフト1位(横浜)


・NPB通算成績:56試合登板、5勝9敗、防御率4.42

 

 同志社時代に関西学生リーグで43試合に登板して18勝、防御率2.02、238奪三振の成績を残した細見和史。1995年のドラフト1位で横浜ベイスターズ(現・DeNA)に入団したが、活躍を継続することはできなかった。

 

 ルーキーイヤーは1試合に登板するも、けがの影響で以降4年間は一軍登板なしに終わる。

 

 細見が初勝利を挙げたのは、プロ5年目の2000年である。この年の7月20日の広島戦に登板した細見は、6回3安打無失点で勝利投手。

 

 

 

 同年8月24日の中日戦では、8回を投げ4安打1失点をマークするなど、この年は12試合に登板して5勝3敗、防御率3.34の成績を挙げた。

 

 その後、翌2001年と2002年に未勝利に終わると、2002年オフにトレードで西武ライオンズに移籍する。

 

 しかし、移籍1年目は二軍戦でのけがで2試合の一軍登板に終わると、同年オフに再び戦力外通告を受けた。


 

 2004年からは阪神タイガースでプレーした細見。二軍では中継ぎで27試合に登板して4勝2敗の成績を挙げたものの、一軍で登板することなく、現役引退を決断した。


 

 細見がプロ9年間で残した成績は、56試合の登板で5勝9敗、防御率4.42となった。

 

 その後は、アスリートのセカンドキャリア支援などを行うエンリッチライフジャパン株式会社を設立。


 

 プロ野球9年間で培った経験を、ビジネスにも活かして活躍する細見の今後が興味深い。

 プロ野球のドラフト会議で1位指名を受けることは、選手にとって最高の栄誉だ。球団の未来を託され、ファンの期待を一身に背負う。しかし、期待通りに活躍できずに選手生活を終えた選手も少なくない。2013年に横浜DeNAベイスターズから1位指名を受けた右腕は、即戦力の期待を受けるも、まさかの一軍登板ゼロに終わった。(文・シモ)[3/6ページ]

 

即戦力期待も一軍登板ゼロ

柿田裕太

[caption id="attachment_149784" align="alignnone" width="530"] 横浜時代の柿田裕太(写真:産経新聞社)[/caption]

 

 

 

・投打:右投右打

・経歴:松本工高-日本生命


・ドラフト:2013年ドラフト1位(横浜)

・NPB通算成績:一軍登板なし

 

 ドラフト1位右腕として期待された柿田裕太だが、プロでは一軍登板を果たせなかった。


 

 日本生命時代の2年目から公式戦に出場し、140キロ台後半の速球と多彩な変化球を持ち味に、日本選手権でも3試合に登板した柿田。

 

 その投げっぷりの良さで、2013年ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズに入団した。

 

 

 

 プロ1年目の春季キャンプは一軍でスタートしたが、右肘の故障で二軍落ち。翌2015年には二軍戦で18試合に登板し、5勝3敗1セーブ、防御率3.88の成績を残すも一軍登板なしに終わる。

 

 続く2016年、2017年も一軍登板なし。日本生命時代は左足を高く上げて投げ込む140キロ台後半の直球が印象的だったが、故障の影響からか、プロ生活後半の直球は120キロ台後半にまで落ちていた。

 

 2017年オフに戦力外通告を受けた柿田は、同年の12球団合同トライアウトに参加するも、契約には至らず。

 

 同年限りで現役引退し、プロ5年間で一軍登板なしという悔しい結果となった。

 プロ野球のドラフト会議で1位指名を受けることは、選手にとって最高の栄誉だ。球団の未来を託され、ファンの期待を一身に背負う。しかし、期待通りに活躍できずに選手生活を終えた選手も少なくない。2006年に横浜ベイスターズ(現・DeNA)から1巡目指名を受けた戦士は、打者転向後も輝きを放つことができなかった。(文・シモ)[4/6ページ]

 

高校通算32発もプロでは不発

北篤

[caption id="attachment_240552" align="alignnone" width="530"] 横浜時代の北篤(写真:産経新聞社)[/caption]

 

 

 

・投打:右投左打


・経歴:小松工


・ドラフト:2006年高校生ドラフト1巡目(横浜)

・NPB通算成績:56試合出場、打率.247、2本塁打、4打点、1盗塁

 

 小松工時代に投手としては140キロ超のストレート、打撃面では高校通算32本塁打を放っていた北篤は、2006年に横浜ベイスターズ(現・DeNA)に入団した。

 

 入団初年度は投手として二軍戦で17試合に登板し、2勝4敗、防御率4.84の成績をマーク。しかし、翌2008年に右肘の手術を受け、同秋のキャンプから打者に転向した。

 

 プロ3年目の2009年は二軍戦で92試合に出場し、打率.232、2本塁打、20打点をマーク。

 

 

 

 プロ4年目の2010年には二軍戦で102試合に出場し、打率.320、14本塁打、67打点の成績を残すと、同年9月に一軍で8試合に出場した。

 

 ところが、2011年には一軍で12試合、翌2012年は2試合の出場機会にとどまると、同年オフにトレードで北海道日本ハムファイターズに移籍。

 

 移籍2年目の2014年には、29試合に出場して打率.275、2本塁打、3打点とキャリアハイの成績を残すも、翌2015年に一軍出場が2試合に激減。同年のシーズン途中に、読売ジャイアンツに移籍する。

 

 しかし、移籍初年度は一軍出場なし。移籍2年目の2016年は3試合の出場に終わり、翌2017年に戦力外通告を受けて現役を引退した。

 

 プロ10年間の通算成績は、56試合に出場して打率.247、2本塁打、4打点。長いプロ野球人生を歩んだが、物足りない成績となった。

 プロ野球のドラフト会議で1位指名を受けることは、選手にとって最高の栄誉だ。球団の未来を託され、ファンの期待を一身に背負う。しかし、期待通りに活躍できずに選手生活を終えた選手も少なくない。2012年に横浜DeNAベイスターズから1位指名を受けた大型内野手も、プロの世界では本領を発揮できなかった。(文・シモ)[5/6ページ]

 

大型内野手の伸び悩み

白崎浩之

[caption id="attachment_181373" align="alignnone" width="530"] 横浜時代の白崎浩之(写真:産経新聞社)[/caption]

 

 

 

・投打:右投右打



・経歴:埼玉栄高 - 駒沢大


・ドラフト:2012年ドラフト1位(横浜)


・NPB通算成績:413試合出場、打率.220、16本塁打、52打点、6盗塁

 

 駒沢大での4年春に、打率.395、リーグ最多の17安打で首位打者とベストナインを受賞した白崎浩之。大型内野手として注目されたが、プロでは数字が伸びなかった。

 

 白崎は、2012年ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズに入団。ルーキーイヤーの2013年5月に一軍昇格し、同年は打率.212ながらも47試合に出場した。


 

 翌2014年は開幕一軍を手にし、主に遊撃手として出場。101試合の出場で打率.234、1本塁打、11打点を挙げた。

 

 

 

 続く2015年には、81試合の出場で自己最多の6本塁打をマーク。翌2016年にも92試合の出場で6本塁打を放ち、打率は2割台前半と苦しんだものの、一定の活躍を見せていた。

 

 しかし、プロ5年目の2017年に不調に陥った白崎は、出場数が34試合に激減。同年は打率.185、4打点の成績にとどまる。


 

 翌2018年の途中にオリックス・バファローズにトレードで移籍するが、30試合、25試合、3試合と年を追うごとに出場試合数が減少。2020年オフには戦力外通告を受け、退団となった。

 

 白崎のNPB通算成績は、413試合の出場で打率.220、16本塁打、52打点。8年間プレーしてまずまずの出場機会を得ていたが、やや物足りない数字に終わった。


 

 その後は独立リーグ・大分B-リングスでの選手兼任コーチを経て、2022年に現役を引退。現在は埼玉西武ライオンズアカデミーで野球教室のコーチを務めている。

 プロ野球のドラフト会議で1位指名を受けることは、選手にとって最高の栄誉だ。球団の未来を託され、ファンの期待を一身に背負う。しかし、期待通りに活躍できずに選手生活を終えた選手も少なくない。1997年に横浜ベイスターズ(現・DeNA)から1位指名を受けた右腕も、一時は頭角を現したが継続した活躍はできなかった。(文・シモ)[6/6ページ]

 

ブルペンとして活躍続かず

谷口邦幸

[caption id="attachment_240558" align="alignnone" width="530"] 横浜時代の谷口邦幸(写真:産経新聞社)[/caption]

 

 

 

・投打:右投右打


・経歴:町野高


・ドラフト:1997年ドラフト1位(横浜)


・NPB通算成績:42試合登板、4勝10敗、防御率4.19

 

 谷口邦幸は、高校時代は町野高(現:能登高)でプレー。2年秋の金沢高戦で、8回までノーヒット・ノーランの快投を見せ、無名ながら県内ナンバーワンの本格派右腕として注目された。

 

 その後、1997年のドラフト1位で横浜ベイスターズ(現・DeNA)に入団した。


 

 プロ2年目の1999年に初登板を果たしたものの、同年は1試合の登板で防御率22.50に終わると、翌2000年には一軍登板がなく終わった。


 

 

 

 谷口が頭角を現わしたのは、プロ4年目の2001年である。初先発は同年4月30日の中日戦。6回を投げて3安打1失点に抑えると、先発や中継ぎで計25試合に登板して3勝3敗、防御率3.12の成績をマークし、横浜ブルペン陣の一角としてさらなる活躍が期待された。

 

 しかし、翌2002年は15試合の登板で1勝6敗、防御率4.55に終わると、2003年は一軍登板なし。2004年は1試合の登板にとどまった。

 

 翌2005年オフには戦力外通告を受け、退団後は2006年〜2008年の2年間、社会人野球の新日本石油ENEOSに所属して腕を振った。


 

 谷口のプロ8年間の通算成績は、42試合に登板して4勝10敗、防御率4.19。巨人戦のビハインドの場面に登板して、松井秀喜や高橋由伸を抑えた投球が印象に残る。

 

 

【了】