桜は日本人にとって特別な花です。満開の桜に絢爛さを感じたり、散りゆく花びらに切なさや儚さを重ねたり、桜を見て抱く感情は人それぞれ。
今回はそんな「桜」をテーマとした短歌(和歌)を紹介します。昔の人は桜を短歌でどのように詠っているのか、耳を傾けてみましょう。
桜を詠んだ短歌(和歌)15選
桜を詠んだ短歌・和歌を見ていきましょう。
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき(与謝野晶子)
与謝野晶子「みだれ髪」に収録された歌です。
【意味】
清水へ向かおうと祇園を通り過ぎると、桜咲く界隈を月夜が照らしている。すれ違う人は皆美しい
夜の桜を月夜が照らす情景がとても幻想的な歌ですね。「逢ふ人みなうつくしき(すれ違う人は皆美しい)」という全肯定の言葉も何だか前向きな気持ちになれます。
いたつきに三年こもりて死にもせず又命ありて見る桜かな(正岡子規)
若くして結核を患いながら、精力的に創作活動をした明治期の俳人である正岡子規の歌です。
【意味】
病気をして三年間もこもっていたが、死なずに命つないで見ることができた桜だ
「死にもせず又命ありて(死なずに命をつないで)」というフレーズに人間の儚さも感じます。
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花(若山牧水)
「山桜の歌」に収録された若山牧水の歌です。
【意味】
山桜の花が早くも、うす紅色に葉が萌え出して咲こうとしている
春の訪れに心躍る様子がよく伝わる歌ですね。桜の開花を待ちわびる現代人にも通じるものがあるのではないでしょうか。
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に(小野小町)
女流歌人で絶世の美女といわれた小野小町が残した歌です。
【意味】
桜の花の色は、色あせてしまったなぁ。春の長雨が降って、恋や世間に思い悩んでいる間に。同じように私の美しさも衰えてしまった
絶世の美女とされている小野小町が歌っていることもあり、時の移ろいへの深い憂いが感じられる歌ですね。
願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃(西行)
平安時代の歌人であり、僧である西行が残した歌です。
【意味】
願うことなら、満開の桜の花の下で死にたいものだ。それも、釈迦が入滅したとされている陰暦の2月15日の満月の頃に
なお、西行はこの歌で述べた2月15日の翌日、2月16日に亡くなったそうです。
花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜のとがにはありける(西行)
同じく西行が残した歌です。
【意味】
桜を見に大勢の人々がやって来ることだけは、一人静かに桜を見たいと思う自分にとっては、桜の罪である
桜が多くの人を魅了するのはいつの時代も変わらないようです。また、いかに西行が桜を愛しているかがよく伝わりますね。
桜花咲きかも散ると見るまでに誰かもここに見えて散り行く(柿本人麻呂)
「万葉集」の代表的な歌人である柿本人麻呂の歌です。
【意味】
桜の花が咲いては散っていくように、誰もが出会いと別れを繰り返していくのだろう
桜の儚さと人々の出会いと別れを重ね合わせた歌で、現代人にも刺さるものがあるのではないでしょうか。
ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ(紀友則)
平安時代を代表する歌人・紀友則の歌です。
【意味】
こんなにも日の光がのどかに射す春の日に、なぜ桜の花は落ち着くことなく散っていくのだろうか
桜が散っていくことへの哀愁が視覚的に表現されていますね。日本的で美しい情景を詠んだ歌ともいえるでしょう。
み吉野の山べに咲けるさくら花雪かとのみぞあやまたれける(紀友則)
同じく、平安時代の代表的な歌人である紀友則の歌です。
【意味】
吉野の山のほとりに咲いている桜は、まるで雪かと見間違えるほど、白く美しく見える
桜の美しさを雪の美しさと重ねて詠んだ歌ですね。雪のように見える吉野の桜はさぞ綺麗に映ったのでしょう。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)
「伊勢物語」の主人公のモデルともいわれる、平安時代前期の歌人・在原業平の歌です。
【意味】
もし世に桜がなかったのであれば、春を過ごす人々の心はもっとのどかだろうに
「桜があるから人々は桜の開花を待ち望んだり、散りゆく哀愁を感じたりしている。いっそのこと桜がなければもっと心穏やかだったろうに」と詠っています。
散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき(よみ人しらず)
上記の「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)」に対する返歌として詠まれた歌です。
【意味】
桜は散るからこそ、いっそう素晴らしいものである。儚い世の中に永遠なるものなどあるだろうか、いやない
「桜は散るからこそ美しい」と歌い上げています。たしかに、桜が散らずにずっと咲き誇っていたら、その美しさが当たり前になって感動も少なくなるかもしれませんね。
いにしへの奈良の都の八重桜今日九重に匂ひぬるかな(伊勢大輔)
奈良から届けられた八重桜を、宮中で受け取る役目を担った平安時代中期の歌人・伊勢大輔が即興で詠んだ歌です。
【意味】
いにしえの昔の奈良の都で咲いていた八重桜が、今日は九重の宮中で、ひときわ美しく咲いている
「かつての奈良で咲いていた八重桜だが、今はこの宮中でよりいっそう美しく咲き誇っている」と、今の宮中の栄華を称える歌です。
あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも(山部赤人)
奈良時代の歌人・山部赤人が詠んだ歌です。
【意味】
もしも山桜の花が何日も咲いているのであれば、これほど恋しいとは思わないだろうに
桜が咲き誇る時間は短く「だからこそ桜を恋しく思える」という、桜ならではの哀愁を詠った歌と解釈できますね。
高砂の尾の上の桜咲きにけり外山の霞たたずもあらなむ(大江匡房)
平安時代後期の学者であり歌人でもあった大江匡房が詠んだ歌です。
【意味】
遠くにある高い山の峰の桜が美しく咲いた。人里近くの山の霞よ、どうか立たずにいてほしい
「遠くの山の美しい桜を見たいから、人里近くの山からは春の霞は立たないでほしいな」と、遠くの桜の美しさを詠っています。
いざ子ども山べにゆかむ桜見に明日ともいはば散りもこそせめ(良寛)
江戸時代後期の禅僧であり、優れた歌人でもある良寛が詠んだ歌です。
【意味】
さあ子どもたちよ、 桜を見に山のあたりに行ってみよう。明日見に行くなんて言っていたら、花は散ってしまうよ
良寛が子ども達に「今、花見に行こう!」と活き活きと語りかける様子がうかがえる歌ですね。
桜を詠んだ短歌を味わい尽くそう
古来より日本人は桜に様々な感情・情景を重ねて短歌を詠んできました。これらの感情や情景は現在の私たちにも通じるものがあるはずです。また歌は自身の人生経験やそのときの感情によってもその印象を変えてきます。ぜひ折りに触れて桜を詠んだ短歌に親しみ、その歌に込められた喜びや哀愁を味わってみてはいかがでしょうか。