2月22日・23日にみずほPayPayドーム福岡で開催する卒業コンサートをもって、乃木坂46から卒業する与田祐希。これまでにも過去に2度、卒業を考えたことがあるという与田だが、今回卒業を決めたのは「キラキラしたまま卒業していった先輩たちへの憧れ」だと話す。
インタビューでは、卒業を考えた過去を振り返ってもらったほか、乃木坂46の活動でいちばん記憶に残っている風景や卒業後の活動についても語った。
初の主演ドラマでコミュニケーションの取り方に変化
――3冊目の写真集となる今作ではこれまで以上に制作の部分にも自ら携わっていますが、スタッフさんとのコミュニケーションの部分はこれまでの写真集と比べると濃かったですか?
私、結構すぐ人と仲良くなるんです。良いのか悪いのか分からないですが、ドラマの現場や映画の現場でもそうなんです。人が好きなので今回もそうだし、2ndも1stもそうでした。良いご縁に恵まれてるのかもしれません。
――人とすぐ仲良くなるのは、幼少期からですか?
20歳くらいまで人見知りの時代がありました……私は東京に16歳で出てきてから、20歳ぐらいまで友達が全然いなくて(笑)。 それこそ番組で、友達がいないんですという話をくりぃむしちゅーの上田晋也さんにしたこともあります。
そんなことを言うぐらい友達がいなかったんですけど、『量産型リコ』シーズン1のときから人と話すのが楽しくて楽しくて仕方がなくなって。
――『量産型リコ』シーズン1がきっかけなんですね。
初めてドラマで座長という形で携わらせてもらい、そこでいろんな人と話す機会があって、「人見知りってもったいない」と思ったんです。そこから考え方が変わりました。
作品によってはそうじゃない現場ももちろんあると思うんですけど、『リコ』の現場は仲良くなればなるほどいいんじゃないかなと思って、意識的に話すことを心がけていたら、それが当たり前になってむしろ楽しくなって! 『リコ』の現場以外でも、人とコミュニケーションを取るようになりましたし、それこそ乃木坂46の後輩との接し方も変わりました。
――個人のお仕事での成長がグループ活動にも還元されていると。
そうですね! プライベートでも友達が増えました。それこそ19歳で出した2nd写真集のときは仕事と家の行き来ぐらいしかしてなかったので、本当に大きな変化だなと思います。
――そういった自身の変化がお仕事に影響を与えていたりもしますか?
視野が広がった気がします。人と話すことで、こういう考え方もあるんだ、こういう受け取り方もあるんだと勉強しています。仕事としてもそうだし、人間としてもいい変化だなと私自身も感じています。
過去に2度も意識した“グループ卒業”
――発売日とともに卒業の日も近づいてきます。卒業を発表されたブログ内の「今が1番楽しいと思えるタイミングで……」ということを書かれていましたが、卒業を考えるきっかけはあったんでしょうか?
卒業を考えたことはこれまでもありました。最初に思ったのはしんどかったとき。「もう辞めてしまいたい」「辞めたら楽になれるかも」と思ったときに卒業がよぎったんですが、でも「ここで辞めたらきっと後悔する」「もうちょっとがんばろう」と思って……。
次は「もうこのグループでできることはないかな」と思ったとき。最初はがむしゃらに目の前のことに食らいついていく感覚があった分、そこから1段階・2段階と経験したときに、きっと前には進んでいるんだけど、初期と比べて止まっている感覚になってしまったんです。それが約3年前で焦って環境を変えた方がいいのかなと卒業を考えていました。
でも、そこからの3年は、5期生が入ってきて「支えたい」「見守りたい」「この子たちのためにできることはあるかな」とそういう風なことを考えるようになったんです。そうやって活動をしていると、仕事もメンバーと話す時間もプライベートも楽しい時間がどんどん増えてきて。先輩方も皆さん幸せそうにキラキラしたまま卒業していて、私も楽しいときに卒業するということに憧れていたので、このタイミングで「次こそ卒業しよう」と思ったんです。
――与田さんの中では、これまで卒業を意識したタイミングが3回あったんですね。最初の「しんどかった」ときから、いま「楽しい」と思えるまでをどうやって乗り越えたんですか?
私の場合、1人だったら絶対に乗り越えられていなくて……周りのスタッフさんやメンバー、ファンの人などたくさんの人が支えてくれて、手を差し伸べてくれて、背中を押してくれたから。私は皆さんに助けられたなと思いますし、その支えがなかったらもっと前に辞めていたんだろうなと思います。本当に恵まれています。