とある新興住宅地を舞台に、住民たちの間に渦巻く"同調圧力"と忖度が引き起こす恐怖を描いた、同名社会派ミステリー小説を、脚本・前川洋一、監督・佐藤祐市のタッグで実写化した『連続ドラマW 誰かがこの町で』(毎週日曜 22ː00~ 全4話 WOWOWプライム/WOWOW 4K/WOWOWオンデマンド※第1話は無料放送)が、12月8日から放送・配信スタートする。『しんがり~山一證券 最後の聖戦~』(2015年)以来、およそ9年ぶりに「連続ドラマW」で主演を務める江口洋介に、本作の見どころや、「違和感を察知するために心がけていること」について語ってもらった。
――江口さんとしては、本作のどんなところにもっとも興味をそそられましたか?
僕としては、「これは、ある町を通じて集団による同調圧力と忖度の恐怖を描いた社会派ミステリーである」という言葉に、思わず乗せられちゃいましたね。というのも、"同調圧力と忖度の恐怖"って、なにも日本の新興住宅街に限ったお話ではなくて。世界中どんな国のどんな小さな町であっても起こりうるような問題だし。コミュニティの中で暮らしている以上、きっと誰もが多かれ少なかれ、常にそういった息苦しさと闘いながら生きているんだろうなと思うんですよ。でも、そういった問題がエスカレートしすぎると、やがて殺人にまで繋がってしまうという怖さがある。そんな、普段は隠されている人間の脆さを描いているところに惹かれたんです。
――一方で、江口さん演じる主人公が背負っている過去も、この物語の肝になりますよね?
僕が演じたのは、法律事務所で調査員として働く真崎雄一という男なんですが、彼には、政治家の秘書をしていた時代に、裏金作りに加担させられた過去がある。苦悩していた最中、自身の娘を自殺で亡くし、妻とも上手くいかなくなり、大きな心の傷と後悔を抱えている。そんな男が、赤ん坊の頃に両親と離れ、児童養護施設で育った麻希という少女から、『家族を探して欲しい』との調査の依頼を受けて、彼女と一緒に事件の真相に迫っていく。その過程で、真崎自身も自分の過去と向き合い、再生していく物語なんです。
生き甲斐を失い、人目を避けるようにして生きてきた男が、最終的にはある覚悟を決め、ジャケットを羽織り、再び表舞台へ出て行く。その真崎の後ろ姿が、ある意味、このドラマの象徴的な場面になっているとも言えるんですよね。陰惨な事件が絡んでいて、なかなか重い話ではあるんですが、最後まで見ていただけたらうれしいです。
――麻希役を演じる蒔田彩珠さんとの、年齢差のある"バディ"ぶりも見ごたえがありました。
蒔田さんとは、『忍びの家 House of Ninjas』(Netflix)でも共演したことがあって。今回のドラマでは、依頼人と調査員という少し距離がある間柄だったから、『忍びの親子に見えないように……』と意識しながら(笑)、お互いに一生懸命やってましたけどね。調査の過程で掴めた情報を共有したり、説明したりする場面があるんですけど、このドラマではなぜか日本家屋のこたつみたいなところでそういったやりとりが行われるんですよ(笑)。シチュエーションとセリフにかなりのギャップがあるので、そこはすごく難しかったです。
――作品のテイストと同様、撮影現場にも張り詰めた空気が漂っていたのでしょうか?
いや、それが(笑)。シリアスな物語とは裏腹に、『こんな明るくていいのかなあ?』と、正直こちらがちょっと戸惑ってしまうくらい、現場は明るい雰囲気だったんです(笑)。
――なんと! そうだったんですね。
佐藤監督は昔から知ってるんだけど、とても楽しい人なので(笑)。佐藤監督や青木プロデューサーを始め、作品に対するみんなの熱量が高くて、すごくいい現場だったんですが、2~3週間くらいの期間でガッと集中して撮ったもんだから、撮影環境としては、正直なかなかハードではありましたけどね。長台詞も多いから、こっちはもうとっくに頭がパンクしているんだけど(苦笑)、引き受けた以上最後までやらないわけにはいけないからね。作品づくりにおいて、役者はただ役作りをしていればいいというわけではなく、ハードなスケジュールに合わせていかに自分の体力を維持できるか。常にその戦いでもあるんです(笑)。
――確かに。技術的なことはもちろんのこと、気力と体力と集中力が、ものを言う世界でもあると。真崎を演じるにあたって心がけたことはありますか?
役柄的にどうしても説明ゼリフが多かったりもするので、それをいかに自然に言うかについてはいろいろ悩んだりもしたんですが、結果的には変に自分の個性やこだわりを出さないことを心掛けました。僕自身、プライベートで写真を見たり撮ったりするのが好きというのもあって、撮影中の照明の具合やカメラのレンズの選びにも、割と意識が向きがちなんです。照明とレンズとの掛け合わせで生まれる作品の世界観や色調に合わせて、『このシーンでは、監督は恐らくこのあたりを狙ってるんじゃないか?』と自分なりに予想しながら芝居を変えていきましたね。すでにレンズ自体が物語るというか。カメラが演出してるんですよ。現場に設定されたモニターの映像を確認しながら、『なるほど、今回の真崎は<影をやれ!>ってことなんだな』と理解して、一生懸命うつむいて、一生懸命ボソボソ喋りました(笑)。
主演であろうが脇であろうが違わない
――今回は、主役でありながらも、あえて<影>であることを意識されていたとはいえ、江口さんは、主演以外のパートを演じられる時でも、光を放っていらっしゃるというか……。
素晴らしいでしょ(笑)? いやいや、冗談です。そういう風に言われたらどうしようかと思って、思わず先に突っ込んじゃいました(笑)。
――主演の時とそれ以外のパートを演じる時とでは、どのような意識の違いがありますか?
主演であろうが、脇であろうが、僕のなかではそれほど違わないような気がしています。それよりも、作品や現場のなかで、自分がどんなポジションなのか。それを掴むことの方が大事なんじゃないかな。最近は、俳優業だけじゃなく音楽活動もまたやり始めたこともあって、ライブを通じて得られるエネルギーをグワッと自分の中に入れた後、またドラマや映画の撮影現場に戻ると、新鮮な気持ちで台本を開けるんです。
一時期、社会派と言われる作品に出演し続けて、少し息苦しくなっている時期もあったんですが、ここ数年はもう少しフットワークを軽くして、『これは別に俺じゃなくてもいいんじゃないか?』と感じるような役であっても、『声をかけてもらっているからには、監督やプロデューサーの目には、すでに見えているイメージがあるかな?』と思うようにして、むしろ積極的に取り組んできました。いざやってみると新たな出会いや気づきもあるし、意外と自分でも夢中になれたりもして。『今度はああいうのもやってみようかな』といったように、どんどん広がっていくんです。
――「違和感を覚えた時、自分はちゃんとブレーキを踏める人間かどうか」が、本作が視聴者に投げ掛ける重要なテーマであると感じたのですが、江口さんはどう感じられましたか?
そうそう。真崎のセリフにありましたよね。僕自身もあの部分がこのドラマの核になるんだろうなと思って、あのセリフから最初に覚えて、自分の内に溜めていったような覚えがあります。その時々の自分の精神状態や体調にもよるだろうし、口で言うほど簡単じゃないと思うんだけど、そういった局面に出くわしたときに、些細な違和感を敏感に察知できるかどうかというのは、結局のところ普段その人がどんな風に世の中を見ているかによるんじゃないかと思うんです。それこそ、楽に生きようと思えばいくらでも楽に生きられてしまう世の中で、個人的に興味や関心を持ったことに対して、いかに深く掘り下げて、いかに自分の頭でちゃんと考えられるのか。僕もそんなことを意識して、アンテナを磨くようにしています。
――なるほど。自分の頭で考える習慣をつける必要がある、と。
とはいえ、もちろん僕にも30%くらいは流されて生きている部分もあるんですが(笑)、70%くらいは絶対に自分でゆずれないものを腹に落として生きていこうと。そんな思いが、年を重ねるごとにだんだん強くなってきたように思います。そういった日々の積み重ねが、きっと今回のような作品で役に取り組むときの肥やしになる気がするんです。それこそ30、40代の頃は柄にもなく、役に関連する資料をたくさん読んだりして、一夜漬けで知識を詰め込めるだけ詰め込んで臨んでいた時期もありましたけど、いまは普段からそういう目線を忘れないように生きるべきなんじゃないかなと思っています。僕も含めて皆それぞれ眼前のことに忙しくて、<見たくないこと>からできるだけ目を背けながら過ごしていると思うんです。でも、<見て見ないふりをしない>ことが、大人には必要なんじゃないかなと。このドラマを通じて皆さんにもそんなことを感じ取ってもらえたら、日頃見聞きしているニュースに対しても、もう一歩踏み込んだ観方が出来るようになるんじゃないかと思いますね。