あらゆる産業で人手不足が進行するなか、バス業界はとくにその影響を強く受けており、運転者のみならずバスガイドのなり手も減少の一途を辿っている。そんなバスガイド業務におけるDX化の好例が、奈良交通とNTT西日本の「観光バス リモート案内システム」だ。
修学旅行のバスガイドが減っている
奈良交通はバス事業を通じて長年、古都・奈良を支えてきた。とくに観光バスは奈良の歴史と文化を伝える役割を担っており、団体旅行でバスガイドの語る観光案内を聞いた方は多いはずだ。修学旅行ではバスそのものが教室となり、ひいては将来の観光や、関西との交流の最初の一歩ともなる。
だが、バスガイドの需要は年々低迷。観光バスへのバスガイドの帯同は必ずしも行うものではなくなってきており、20年前は200名を超えていた奈良交通のバスガイドも、現在は16名が在籍するのみだそう。
その背景には少子高齢化や顧客ニーズの変化のみならず、修学旅行における学習のあり方の変化もある。近年の中学・高校生は歴史や背景について学んでから修学旅行に臨むことが多く、観光バスにバスガイドが乗務しないことも多い。
時代に合った新しい案内システムを
観光バスの環境とニーズが大きく変化していくなかで、奈良交通 自動車事業本部 観光事業部 部長 兼 貸切バスグループ長の大谷和也氏は“お客様が求めているものとバス会社の運営にズレが生じている”と感じており、時代に合わせたシステムの導入を模索していたという。
そんななか、コロナ禍によって観光業界が非常に不安定に。2021年、大谷氏はたまたま別件で奈良交通に来ていたNTT西日本に「時代に合った新しい案内システムを作りたい」と相談を持ちかけた。
「位置情報を使って自動で案内を流すことも可能だと思いますが、修学旅行には地元の人とのふれあいという楽しみもありますので、あまりにも人間味がありません。かといって、従来型のバスガイドは人材が不足しています。ですので、“案内部分はリモートで、バスには『交流ナビゲータ』に乗車してもらい、お客様との交流や目的地でのアテンドなどを担ってもらう”という案でスタートしました」(奈良交通 大谷氏)
大谷氏が新しい案内システムという案を出した理由には、バスガイド業務の労働時間の長さもある。一日中バスの車内で観光案内を行い、目的地でのアテンドも行うバスガイドは、身体的な疲労も大きい。ゆえに、最初は自宅からリモートで案内を行うというアイデアだった。
しかし自宅とバスをリモートで結ぶという案では通信回線を各バスガイドの自宅ネットワーク環境に依存することになり、システムの安定性が担保できず、リアルタイムで観光案内を行うことが難しいことが想定された。そこで、奈良交通の本社に基地局を置くという現在の形に落ち着いたという。
リモートゆえに発生した技術面、ガイド面の課題
実証実験を担当したのは、奈良交通でバスガイドとして活躍している櫻井史子氏。櫻井氏は結婚を機会に奈良交通を一度退社したものの、子どもが成長したことから、20年ごしに定期観光バス部門に再入社。しかしコロナ禍で業務が減少し、修学旅行の観光バスにも乗務するようになり、その豊富な経験から検証を担うことになったという。
「実証実験は1台のバスで行いましたが、実際の『観光バス リモート案内システム』の現場では併走する4~5台のバスを同時に担当することになります。そのためには各バスの正確な位置情報が必要になります。また、リアルタイムで状況が分かるよう、車載カメラは実際にバスガイドが車内に立ったときの視点となるよう、要望を出しました」(奈良交通 櫻井氏)
バタバタと進むスケジュールのなかで、システムを試験稼働した際は「本当に映っているという感動があった」という。
システム面から実証実験を支えたのは、奈良交通 自動車事業本部 奈良貸切営業所長の小坂元誠司氏だ。小坂元氏は、各バスに同時に動画を流す、ゲームを行う、バスとバスの間で会話を行うなどの検証を進めつつ、運転者やバスガイドの業務への影響にも気を配ったという。
「バスガイドが車内にいないので、緊急時は運転者が対応しなければならないのですが、さまざまなスキル・年代の運転者がいますので、簡単にシステムを操作できなければなりません。ハンドルを握る運転者が、このシステムに気を取られて事故を起こしてしまっては元も子もないからです。誰もがスイッチひとつで使えるようにする必要がありました」(奈良交通 小坂元氏)
もともとこのシステムはリモート会議用に作られたものであり、バスに車載することは前提としていない。ゆえに、さまざまな技術的問題もあったという。例えば、電源の確保、振動への対策などだ。奈良交通とNTT西日本は、こういった問題に一つひとつ対処しつつ、導入を進めていった。
技術的な側面のみならず、ガイドする側にも課題があった。ひとつは車酔いの問題。リモート案内システムでは動いているバスの車内をカメラ越しに見ることになるため、気分が悪くなる人もいたという。もうひとつはガイドの仕方。バスガイドは4~5台を一人で案内することになるが、例えば先頭車両を基準に「右手に見えますのは……」と案内しても、後方車両ではまだ見えない。こういった点も考慮し、車列全体を一単位として捉えるよう、ガイドの内容も変更している。
働き方改革や多様性の実現にも期待
こうして2023年6月ごろから何度も試走を繰り返し、11月に試験導入がスタート。2024年5月に本格導入となった「観光バス リモート案内システム」。現在、奈良交通が保有している106台のバスのうち20台にシステムが導入されているという。
2024年5~6月の春シーズンには28校が修学旅行で利用し、のべ119台が運行されたそうだ。また9~12月の秋シーズンではのべ350台の運行を見込んでいるという。だが、リモートガイドに対応できるバスガイドは櫻井氏を含め現在3~4名と、まだまだ少ない。
「新しく2名の方にリモートバスガイドを担当してもらっていますが、この2名はともに子育て世代の方です。リモートで業務を行っていただくことで拘束時間を短縮した働き方ができています。また、リモートガイドは観光地を歩いて案内することがありませんので、身体的な負担もありません。このシステムによって働き方改革や多様性が実現できると思っています」(奈良交通 小坂元氏)
始まったばかりのサービスのため、現状はっきりとした効果は測定されていないが、顧客の評判は上々だという。例えば「運行が始まっても先生からの注意事項がすべてのバスに流せる」「車両の真ん中にもモニターがあるため後部座席からでもガイドが見える」といった点は評価が高い。また、併走している他のバスの様子がわかることが安心感に繋がっているようだ。最近の子どもたちはリモートに慣れているので順応も早い。
一方、問題は通信が途切れたときで、一台ごとに切断されたり繋がったりが繰り返されると、リモートバスガイドの疲労にも繋がってしまう。
「現在、通信が途切れた場合は交流ナビゲータが生徒とコミュニケーションを取ったり、DVDなどの映像を流したりと、運用でカバーしています。通信環境がもっと良好になれば、さらにニーズは増えると考えています」(奈良交通 大谷氏)
これに対し、NTT西日本 奈良支店 ビジネス営業部の杉山明日香氏は「通信状況の問題はずっと課題があったので、私たちもきちんと向き合わなければと思っています。奈良交通さんの『良いものを作りたい』という気持ちをすごく感じるからこそ、私たちも頑張らなければと感じています」と返答する。
2025年度の目標はのべ2,000台の運用
NTT西日本が担当しているエリアの中でも、「観光バス リモート案内システム」のようなシステムを本格的に導入している例はなく、実運用として稼働しているのは奈良交通が初めてだという。そもそも観光バスツアーでのDX事例自体、全国的にも非常に珍しい。
奈良交通と同じく近鉄グループに属しているバス事業者の間でも「観光バス リモート案内システム」は高く評価されており、その他のバス事業者からも興味の声が上がっているそう。
今後、関西の観光振興にこのシステムが役立てられることが期待されており、修学旅行の観光バスのみならず、定期観光バスへの展開も視野に入れているという。また状況が落ち着いたら、昨今急増しているインバウンド向けの観光案内への応用も考えているそうだ。最後に、奈良交通のこれからの展望を伺ってみた。
「来年度は稼働率を上げることをめざしており、のべ2,000台の運用を目標としています。バスガイドへのニーズが減少しないようならもっと投資をすべきだと思いますし、バス業界の状況とバスガイドのなり手の状況を見ながら判断していこうと思っています」(奈良交通 大谷氏)
「まずは通信状況を含めたシステムの安定性を高めること。それから、リモートバスガイドができる人材と、主に大学生に担ってもらっている交流ナビゲータの育成ですね。今回はガイドのDXを進めましたが、最大の課題はやはり運転者だと思うんですね。運転者の負担にならない形でデジタルを活用していく環境作りを進めていきたいと思っています」(奈良交通 小坂元氏)