“キノコ雲の上”にいたエノラ・ゲイの搭乗員たちとともに、今回のドキュメンタリーで主人公の一人として登場するのが、“キノコ雲の下”にいた近藤紘子さん(79)。生後8か月で被爆した彼女は、悲惨な光景を親から聞き、搭乗員を憎んで生きてきたが、10歳の時にアメリカの番組でロバート・ルイスさんと対面し、涙を流した彼の姿に「憎むのはこの人ではない。戦争そのものだ」と考えが変わった人物だ。
番組では、近藤さんが留学生らに、投下の惨状とその後の家族の物語を伝える姿を紹介しているが、渡邊Dは「大学の進学からしばらくアメリカで生活されていたというのもあって、ものすごくオープンマインドな方なんです。誰にも壁を作らず分け隔てなく接してくれる人で、私も初対面で昔からの知り合いみたいな雰囲気で驚きました」と印象を語る。
広島の平和記念公園を歩いていると、すれ違う外国人観光客に積極的に英語でコミュニケーションを取っており、「急に話しかけるので、カメラを回すのが間に合わないときもあって、本当にすごい人だと思いました」と、“語り継ぐ”バイタリティを実感した。
資料を掘り起こすことと証言を残すこと
被爆地のテレビ局として原爆をテーマにしたドキュメンタリーや特集を数多く制作してきた広島テレビだが、戦後79年が経ち、被爆者ら当事者の高齢化が進む中で、取材の難しさは年々増しているという。
「原爆をはっきりと記憶している世代はほとんどが90歳以上になってくるので、例えば認知症になっていたり、長い年月の中で記憶が変わってしまうこともあるかもしれない。また、その少し下の世代の方だと、被爆当時の年齢が低く、記憶が鮮明ではないということもあります。今、その難しさの狭間にいる時期なのだと感じています」
さらに、エノラ・ゲイの搭乗員は2014年で全員亡くなってしまったため、今回の取材で直接話を聞くことはかなわなかった。それでも、「彼らの記憶や思いが新鮮な、原爆投下の時期に近い資料を集めようと考えました。それに加え、集めた証言を一次資料と突合させ、事実を積み重ねていくことを意識しました」と取材を進めた。
経験者らに証言を聞く機会が減少していくという大きな課題の中で、渡邊Dは「私たちにできることは、2つあると思います」と使命感を語る。
「一つは残されたものを掘り起こし、拾い上げるということ。例えば、戦争に行った兵隊の家の中には、手記などの資料が保管されている可能性があります。こういった資料は、公的施設に寄贈されていないことも多くあります。私たちが取材をすることで、眠っていたままの資料を掘り起こし、伝えていくという努力をしていく必要があると思います。
もう一つは、まだご存命で語れる方に可能な限り取材をして、証言を残していくことです。私たちが放送してアーカイブすることで、人類共有の財産にする。今はデジタル技術も進み、様々な形で残すことができます。広島平和記念資料館とも連携しながら、ヒロシマの記憶を残す努力が必要だ感じています」
同局では、ドキュメンタリー番組を8~24分のVTRに再編集して『広島テレビ平和教材』を制作。ホームページで教育関係者に限定して公開しており、全国からに加え、アメリカの高校からも問い合わせがあるという。この取り組みは、昨年のギャラクシー賞で報道活動部門大賞を受賞した。