もちろんすべてではないが、昨今のテレビドラマを観ていると、一昔前とは違い、どこか“リアリティ”ということに重力を強く置いているような傾向がある。かつての90年代、00年代のドラマでは、例えば恋愛もので非常に重要なシーンになった瞬間、公園の噴水がなぜか一斉に止まる。もっと古い作品でいえば、この日本社会で刑事がバンバン銃を撃ちまくるといったシーンが多く見られた。当時の視聴者は「さすがにそうはならないだろう」とツッコミながらも、「そもそもテレビドラマだから」と寛容な見方をしていた。
“リアリティ”を重視することで、さらなる良作が次々と制作されたことは否めない。だがエンタメとしての外連味の表現、また王道エンタメが“ベタ”としてやや敬遠されている一面もあるように思う。ただ、こうした“ベタ”な制作手法で成功しているジャンルがある。それが一部の韓流ドラマであり、世界で話題になっている日本アニメではないかと筆者は分析する。
よく言えば「王道のエンタメ」、悪く言えば「恥ずかしげもなくベタな展開で突き進む」。これらは現在の日本ドラマが“やや敬遠している部分”であるが、一部の韓流やアニメがこれを取り入れ、世界的な評価を得ているのだ。この説を「王道エンタメ」を標榜する尾上Pにぶつけてみた。
「それ(ベタを敬遠すること)はある意味で、日本のドラマが豊穣期を迎えたからかもしれません。一昔前はそうしたことをやり続けて、今の日本ドラマの土壌が出来上がったと思うんですが、社会情勢とか日本を取り巻く環境もあり、そうした“ベタ”が恥ずかしくなってしまったのかな、という想いがあります。ゆえにストーリーコンテンツの回帰じゃないですけど、今おっしゃった“恥ずかしげもなく”というのは、人間が思うことや感情に対して、“正直”に土台を作ることであり、大事なことなのかなと。また私も、この制作チームにおいて“こういうことをしたら面白いよ”と誰もがアイデアを言いやすい環境であることを強く心がけています」
実は、過去に韓国のネット掲示板にこんなコメントがあった。「韓国のドラマはどれも病死とか記憶喪失とか同じようなものばかり。だが日本のドラマにはあらゆるジャンルがある」。“ベタ”を敬遠した結果、日本ドラマは多様化していった歴史もあり、多くの新たなジャンルを生み出していった。成熟しきっているゆえに見えにくいが、海外からはそのような見られ方もしているのだ。
「それでも王道を恐れずにやっていきたい」
以前、「日本のエンタメは韓国に比べ20年遅れている」との言葉が話題になったが、ドラマ『SHOGUN 将軍』がエミー賞過去最多となる18冠を獲得するなど、日本のエンタメには追い風が吹いている。
「『SHOGUN 将軍』の成功から感じたのは、普遍的な話の作り。人が人を愛し生きていく、大事な人を守り愛しながら自分の中の虚栄心と向き合い、昇進出世していく喜びのようなものは、たぶん全世界共通で、基本的なところは世界中一緒なんだなと思えた瞬間でした。海外から見て日本の時代劇はいわゆる“異世界の文化”でしょうが、そこに世界の共通項があることで想いが伝わる。そうした人類の“普遍”を見いだした作品が日本から今後どんどん出てくるかもしれません」
尾上Pは「今後も“恥ずかしげもなく”というのは言い方が悪いですが、それでも王道を恐れずにやっていきたい」と力を込める。
「今回のドラマでも王道の“面白さ”をベースに、観た後に何らかのテーマが心に残るような作品にしたい。また裏テーマとしては“お金”。お金で人の命は買えないとはいいますが、一方でお金があれば高い手術もできるし、良い教育も受けられる。現実的に今の日本は物価高で皆さんが大変な思いをしており、“きれいごともあるが、結局お金は大事だろう”みたいなせめぎ合いがあると思う。“お金って何だろう”…これが最終的に心に残ってくれたらうれしいですね。また『占拠』シリーズから、誰かが出演するかもしれません。それもお楽しみに」