――その後、20代後半に別の外資系化粧品ブランドに転職。製品開発に携わっていたそうですね。転職は、製品開発のスキルを身につけるため?

おっしゃる通りです。3年ほどマーケターをしていたのですが、どちらかと言うと、1を100にする仕事だったんですね。ある商品をいかにたくさん売っていくかを考えるなかで、1を生み出す仕事をやってみたいと思うようになって。製品開発から携わることができる会社に転職を決めました。

――そして今度は、パラリンピックのレポーターに転身することに。最初は外国人選手の通訳など何かボランティアができればという気持ちで、会社員を辞めるつもりはなかったとか。

そうなんです! まさに人生で一番大きな決断をしなきゃいけない時でした。会社に所属していることで得られる安心感もありますし、挑戦できることもたくさんあるじゃないですか。それをいざ手放すとなると、こんなに大きな決断が必要なのかと思いました。

――決断に踏み切ることができたのはなぜだったんですか?

その時に背中を押してくれたのが、会社員として頑張ってきた過去の自分でした。一度会社員を手放して、レポーターをするけど、ここが私の終着駅ではないから、トライしてみてダメだったとしても何の問題もないと思いました。それは、5年間会社員をやってきた自分がすぐ隣にいてくれるから。またこの会社に戻れるかもしれないし、違うところにも行けると、自分を鼓舞できたんです。

  • 三上大進

自身のブランドを立ち上げた理由

――現在、三上さんはご自身のスキンケアブランドをプロデュースされていますが、レポーターを全うしたあと、会社員に戻るという選択肢も?

パラリンピックが終わるタイミングでどうしようかなと思っていました。ありがたいことに、ヘッドハンターから連絡をいただいていたので、もう一度会社員に戻るという選択もありましたし、もしかしたらレポーターとして別の契約をすることもできたかもしれない。なので、いろんな道があったんですね。また、自分が進む道を選ぶことになったのですが、レポーターを始める前と大きく違ったのは、私を信じてくれている仲間が何万人もいることでした。(※三上はInstagramで14万人超のフォロワーを抱える)

私にできることって、そんなに多くはないんですよね。美容業界でマーケティングと製品開発をしていたこと、レポーターとして習得した、自分の言葉で真実を伝えること。この2つしかなかった。ただ、2つも自分にはあるんだと思った時に、自分の力で美容製品を開発して、私を応援してくれる仲間に嘘偽りない言葉でお届けすることができれば、今までお応えできなかったお悩みに自分が応えることができるかもしれない。ニキビに悩んでいた中学生の時に自分を救ってくれた美容に恩返しできるかもしれないと思って、自分でブランドを立ち上げることにしました。

――全部がつながっているんですね。

ちょっと無理矢理なところもあるけど(笑)。新卒でブランドのマーケティングを経験して、2社目で製品開発に携わることができ、自分のことを応援してくれる仲間がいてくれて、自分のブランドを立ち上げられた。こういうキャリアパスは少し珍しいかもしれませんが、いま私はとても幸せです。

(C)講談社

■プロフィール
三上大進(みかみ だいしん)
1990年10月20日生まれ。東京都出身。立教大学卒業後、日本ロレアル、ロクシタンジャポンで勤務。2018年、日本放送協会入局。2018年平昌パラリンピック、2020年東京パラリンピックにてレポーターを務める。現在はスキンケア研究家として活動中。スキンケアブランド「dr365」をプロデュース、運営。