日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント’24』(毎週日曜24:55~)では、元学徒兵を取材した『学生たちの戦争 学徒出陣 ペンを銃にかえられて』(福岡放送制作)を、きょう18日に放送する。

  • 『学生たちの戦争 学徒出陣 ペンを銃にかえられて』

1943年、太平洋戦争の開戦から2年を迎えようとしていた秋、日本は、戦況が悪化して不足する兵力を補うために、当時兵役に就くことを猶予されていた全国の大学生や高等専門学校生を徴兵することを決めた。

学徒出陣――それは、九州帝国大学も例外ではなかった。10月、出征する学生たちを祝う壮行会が工学部のグラウンドで行われた。その後、学生たちは“勝運の神”として知られる神社・筥崎宮で必勝を誓う。さらに、鎌倉時代、元寇という国難を退けるため祈願した亀山上皇の銅像がある東公園に移動し、万歳を三唱した。12月、文系学部を中心に691人の学生が一斉に出征。九州帝国大学から出征し、戦死したことが分かっている学生は、少なくとも60人を超えている。

表向きは、命と引き換えに国の盾となることが名誉とされた戦時下。それを信じ、犠牲になった人たちがいた一方で、80年以上が経った今、元学徒兵のもとを訪ね歩き、残された資料を探すと、「戦争には行きたくない」「勉強を続けたい」当時は決して口にできなかった思いが、少しずつ明らかになってきた。

101歳の堤康弘さんは、九州帝国大学法文学部から出征した元学徒兵の一人。数少なくなった“生き証人”だ。「兵隊に呼ばれた時は、バカにするなと思った」…記憶をたどりながらポツリと発した言葉には、学業の道半ばで戦場に駆り出された苦しみだけではなく、多くの犠牲者を出しながらも戦争を続けた、国への怒りが感じられた。

高等教育機関への進学率は約3%とも言われた時代。福岡出身で京都帝国大学から出征した元学徒兵・秀村選三さん(後に九州大学名誉教授・故人)は「学問を続けること」と「命を懸けて戦争に行くこと」どちらが国家のために正しい選択なのか揺れ動く胸の内を、日記につづっていた。

学問を究めることで国に貢献しようと考えていた学生たちは、ペンを銃にかえられ、国家のために命を懸けることになった。「戦争ほどバカなものはない」…元学徒兵の堤さんは、カメラの前で短く強く語る。その言葉は、今の若者たちにどう響くのか。