昨年、三重県の温泉施設で、女湯に入ろうとした男性が逮捕されました。男性は「心は女なのに、なぜいけないのか」と話していたそう。男性の言い分を信じるのなら、男性の体に生まれついたけれど、心は女性。つまり、性別違和を抱えているということになります。もめごとが大好きなSNSでは、「心は女だと言い張れば、女湯に入れる。ラッキー」というような意見も散見されましたが、もちろんそんなことはありません。厚労省によると、女湯に入れるかどうかは、本人の違和感や戸籍に関係なく、身体的な見た目で判断されるそう。ですから、男性がいくら「心は女だ」と言い張ったとしても、たとえば男性器があったりした場合、女湯には入れず、ルールを破れば建造物侵入などの罪に問われることもあるそうです。

生まれついた性と「私はオトコ(オンナ)である」という性自認が一致しない人はいて、彼らはトランスジェンダーと呼ばれています。上述した男性も、そのうちの一人なのかもしれませんし、たとえば、結婚しているとか、職場の理解が得られそうもないなどの理由で、身体的な手術には踏み切れないなど、いろいろな事情を抱えているのかもしれませんから、女湯に入りたいのはわいせつ目的だと決めるのは早計だと思います。しかし、その一方で、性自認という言葉のあやふやさも避けて通れないように思うのです。自分がオトコ(オンナ)だと思えば、それは絶対に正しいのか。そこはもうちょっと慎重に考える必要があるのではないでしょうか。

そこで、今日はその答えを探すために、アメリカ人のジャーナリスト、アビゲイル・シュライアー著『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』(産経新聞出版)をご紹介したいと思います。

  • 『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』産経新聞出版

「男性になりたい」とトランスする少女が急増するアメリカの実情

シュライアー氏は、欧米において少女たちが「男性になりたい」とトランスする例が後を絶たないことから、少女たちの意志ではない「何か」が働いていると考え、取材を始めます。女性が男性にトランスする場合、テストステロン(男性ホルモンの一種)を摂取し、バストや子宮を切除し、本人が望むのなら、クリトリスをペニスに作り替えるという手術に挑むことになります。生殖機能は失われますし、大手術であるが故に、すべての手術がうまくいったとは言い難いのが実情で、後遺症を抱えている人たちも少なくないそうです。また、性別移行したはいいものの、自殺してしまったり、性別移行を後悔している人もいて、だからといって、もうどうにもならない。後戻りできない手術であることを考えると、安易な判断、手術は慎まなくてはいけないことは明らかですが、トランス当事者からすれば、慎重論は性別移行の権利を阻害するものであり、とんでもないヘイト本だとみなされているようです。

思春期の少女を後押しするSNSと、セラピストの存在

シュライアー氏は、少女たちにトランスジェンダーが「流行っている」理由のひとつめとして、SNSをあげています。シュライアー氏と私はおそらく同世代ですが、我々がティーンだったころ、情報を得るとしたら、それは友達や家族、もしくは雑誌からですから入ってくる情報量はたかが知れていました。しかし、今はネットがあり、SNSが発達しています。アルゴリズムにより、SNSは関連する情報をどんどん送り込んできます。ですから、たとえば拒食症の少女が痩せるための情報を探すと、痩せる方法はもとより、親や医者に体重をごまかすかのテクニックまで手に入ってしまう。さらに、自分と同じ意見の人ばかり集まって、違う意見の人は排除されていくエコーチェンバー現象が起きて、社会経験の少ない少女たちは「みんなそう思っている」と思いこんでしまいがちです。思春期特有の目立ちたい心境もあり、「私もトランスします!」と宣言すると、コミュニティ内で賞賛されるので、我先にという雰囲気になってしまうと、SNSの罪を紹介しています。

  • 著者のアビゲイル・シュライアー氏。独立系ジャーナリスト。2021年にジャーナリズムの優秀性と独立性に贈られるバーバラ・オルソン賞を受賞

シュライアー氏は、二つめの原因として、心理学のセラピストたちの存在をあげています。「あなたがトランスジェンダーだと思うのなら、そうなのね」とセラピストたちは少女たちを否定しません。相手の言っていることがどんなにおかしくても、それを否定しないのはすべてのカウンセリングの基本なのですが、この姿勢が「わたしはやはりトランスジェンダーなのだ」と勢いづかせてしまうと著者は考えているようです。

トランスを加速させる要因の一つとして、アメリカ特有の事情もあるのではないかと思います。個人的な話で恐縮ですが、アメリカに住む友人の娘さんが拒食症になった話をさせてください。個人の権利を尊重するアメリカでは18歳になると大人とみなされ、自分の治療は自分で決めることになります。拒食症は生命を維持できないほどにやせてしまっても、食べることを拒んでしまう病気です。体重が増えるくらいなら、死んでもいいと断言できるかというとそうでもなく、だからこそ、治療が困難であるとも言えるのです。拒食症患者は体重がある程度戻るまでには、半強制的に入院させるのが一般的な治療ですが、19歳に達した子が「私は入院したくない」と言えば、親といえども手だしはできないそうです。トランス手術も同様で、個人の権利が保障されている以上、本人がトランス手術をすると言えば、学校は本人の望んだ性別で扱い、親にできることは何もないのだと言います。

本書における“物足りなさ”は

本書において、ちょっと物足りないなと思うのは、著者がトランスジェンダー推進派、もしくは権威とされる医学界の重鎮に取材をしていないことなのです。彼らはどうしてトランスジェンダーを疾患として認めたのか、なぜ人はトランスジェンダーになるのかが明らかにならなければ「トランスジェンダーなんてうそっぱち」という人がいなくなることはないでしょう。

アメリカでは、共和党が強い南部を中心に「18歳以下の若者に性別適合ケア禁止法」が成立しているそうです。これは民主党・バイデン政権がLGBTの権利拡大に積極的なため、大統領選挙で保守層の票を狙った共和党の作戦で、子ども、もしくはトランスジェンダーの人権や健康を第一に考えているとはいいがたいようです。

政治もジャーナリズムはよくも悪くも、その時代の影響を受けやすいものですし、どちらも数字(票もしくは売り上げ)を獲得しなければならないという側面があります。求められているのは、流行りやイデオロギーを越えた、現場の医師たちの中立な意見なのではないでしょうか。