多くの課題を抱える畜産業

本題の「スマート放牧」の話に入る前に、現在の畜産農家、特に本稿で取り上げる肉用牛肥育生産者が直面している課題を簡単に振り返っておこう。

農林水産省が公開した資料「」によると、肉用牛(繁殖+肥育)生産者の新規就農者は、2018年から2021年まで毎年220人以上いたが、2022年は177人と激減してしまった。その上、同期間の経営離脱者は毎年約1500人にものぼる。つまり年間1300人以上の肉用牛生産者が減少していることになる。離農者の増加は荒廃農地の拡大につながり、それを再生するための人手が足りない、という悪循環に陥っている。
2022年の肉用牛肥育生産者の離農要因の47.1%は高齢化であり、後継者不在の6.7%を合わせれば半数を超える。

さらに離農要因で特に目立つのは「経営不振・悪化」の12.5%。その原因の一つが飼料価格の高騰と言えそうだ。他の家畜と比べて粗飼料(牧草など)を給与する割合が多い牛であっても、経営コストの4~5割が飼料費である。農水省が公開した資料「」を見ると、この粗飼料の輸入価格が最安時の2倍近くになっているのが分かる。

乾牧草の輸入価格の推移(農林水産省「畜産・酪農をめぐる情勢(令和6年4月)」より引用)

また近年、畜産と関連して「アニマルウェルフェア」が語られる場面が増えてきた。アニマルウェルフェアとは、国際獣疫事務局(WOAH)によって「動物が生きて死ぬ状態に関連した、動物の身体的及び心的状態をいう」と定義されており、畜産農家にはアニマルウェルフェアに配慮した飼育が強く求められるようになっている。ところが現場を変えるのは容易ではない。動物の自由な運動を阻害しないためにこれまで以上に飼養面積を確保する必要があるが、牧草地や牛舎を広げるには人手と投資が必要だ。しかし、人手不足と飼料費高騰が、それらを実践する際の高い壁となっている。

こうした難題をいくつも抱える畜産業にスマート放牧はどのように貢献しようとしているのだろうか?

「スマート放牧」は生産性を高め環境保全に資する技術!

農研機構西日本農業研究センターの平野清さん(左)と、スマート放牧の実証プロジェクトに参加したかわむら牧場の川村拓朗(かわむら・たくろう)さん(右)

ここからは本題のスマート放牧について話していこう。教えてくれたのは、農研機構西日本農業研究センターの上級研究員、平野清(ひらの・きよし)さん。平野さんはスマート放牧の技術開発と、農研機構が公開した「スマート放牧導入マニュアル」の執筆に携わった、本分野のエキスパートだ。

そもそもスマート放牧というのは、どんな放牧のことなのだろう。平野さんによると「分かりやすく言えば、スマート農業の放牧バージョンがスマート放牧。ICT技術などを活用することで、放牧に関わる作業を効率化しようという試みです」とのこと。
農研機構西日本農業研究センターのある中国四国地域では、特に中山間地域で荒廃農地が急速に拡大しており、その活用にもつながればとスマート放牧の技術開発が始まったという。
「一般的に放牧は、子牛生産費の約7割を占める労働費と飼料費の大幅削減が期待できるため、中山間地域における省力的で高収益な営農手段として注目されています。ところが、すでに荒廃してしまった農地を放牧地として再生させることは、一筋縄ではいきません。また、牧草に施す化学肥料の高騰への対策、飼育する牛の管理の効率化も求められます。これらの課題を解決する手段の一つがスマート放牧なのです」(平野さん)

このスマート放牧の技術の研究のため、同センターを中心とするコンソーシアムは「荒廃農地の再生による環境保全効果と生産性の高いスマート放牧体系の実証」を実施。その実証結果に基づき、今回のマニュアルをまとめた。実証プロジェクトの舞台となったのは島根県の中山間地であるが、平野さんによると、地域やそれぞれの土地の条件に応じてアレンジを加えることで、スマート放牧はどこででも活用できるという。
それでは、実証プロジェクトの内容を詳しく見ていこう。

放牧草地の造成・維持管理のための3つの技術

スマート放牧技術の導入に挑戦したのは、島根県大田(おおだ)市で繁殖・肥育一貫経営をしている、従業員2人のかわむら牧場。放牧を行っているのは、風光明媚(めいび)な牧草地帯であり観光地にもなっている、三瓶山(さんべさん)西の原。土地の所有者は大田市だが、管理は三瓶牧野委員会が担ってきた。

スマート放牧の実証プロジェクトの概要(農研機構「スマート放牧導入マニュアル」より引用)

実証の行われた試験地の概要を説明しておこう。
図の赤線で囲われた第1牧区は実証プロジェクト実施前から継続して放牧に利用されていたが、人手不足が原因で管理が行き届かず、牛が食べることができない低木が多く侵入していた(上図右下、写真A)。また、水色線で囲われた第2牧区は放牧に利用されておらず、荒廃農地になっていた(上図左上、写真B)。そこでまず、放牧が可能な草地を造成する技術の開発が行われた。

荒廃農地再生技術

まず必要なのは、荒廃農地に繫茂する草や雑木の除去だ。従来の刈払い機やチェーンソーによる刈払い・切断では、牛の採食の邪魔にならないようにするため、刈り取った後に人が残さを持ち出さなければならず、かなりの労力が必要だった。

従来の人力による伐採では残さを人が持ち出す必要があった

そこで、残さを人が持ち出さずに済むよう、その場で細かく破砕することで放牧を妨げないようにする技術が開発された。それが新型フレールモアによる「荒廃農地再生技術」だ。フレールモアは、地面に回転式の刃を押し付けることで、草木を細かく粉砕することができる農業機械である。今回の導入マニュアルでは直径18センチの木を砕ける乗用トラクター装着型、40°の傾斜地で稼働可能な無線トラクター装着型などが紹介されている。

新型フレールモアでは残さをそのままにしても牛の採食の邪魔にならない

平野さんによると「これまでの方法と比べて、作業時間を最大120分の1に短縮できます。荒廃農地を効率的に再生できる」とのこと。実際、荒廃農地をわずか5日で牧草の作付けができる状態にまでした例があったという。

整備前の様子

整備に入って5日後。新型フレールモアで植物を細かく破砕処理することで牧草の作付けができる状態に

この技術により、これまでよりも広い面積で牛を放牧できるようになり、また再生後の農地管理に必要となる通常のトラクターやスマート機器を効率的に稼働させることが可能になったと平野さんは話す。

牧草作付け計画支援システム

土地の整備の後は牧草の作付けとなる。牛は草食動物だが、草なら何でもいいというわけではない。また、より低コストでの放牧を行えるよう、放牧期間を長くするための牧草作付け計画も欠かせない。

そこで開発されたのが「牧草作付け計画支援システム」だ。これはマイクロソフトのExcelで動作するソフトウェアで、飼育頭数に応じて必要な草量を確保するために、どの圃場(ほじょう)にどの牧草種を作付ければよいか、最適化できるよう支援してくれるものだ。

農研機構「スマート放牧導入マニュアル」より引用

平野さんによると、放牧ではどの季節でも一定量の牧草が供給されることが重要とのことで、複数の牧草種を組み合わせることで、それが可能になるという。「牧草種の選定には地域の気候や地形などさまざまな条件を考慮する必要があり、豊富な知識と経験が求められます。この『牧草作付け計画支援システム』で牧草種の選定を支援することで、飼養頭数に応じて放牧期間を最長にするための最適な牧草種およびその組み合わせを選択することができます」

GPSガイダンスを活用した鶏ふん散布技術

牧草を作付けた後、その生育を促すために肥料を散布する必要がある。マニュアルでは、近年の化学肥料の高騰に対し、地域で調達が容易で比較的安価な鶏ふんが肥料として推奨されている。
これを効率的に散布するために紹介されているのが、「GPSガイダンスを活用した鶏ふん散布技術」である。トラクターに装着したGPSガイダンスとコンポキャスタ(鶏ふんにも対応した肥料散布機)を活用することで、経験の浅い従事者であっても、鶏ふんの散布ムラを最小限に、かつ効率的に散布できるというもの。

GPSガイダンスのついたコンポキャスタで鶏ふんを散布する様子

三瓶山の実証圃場で実施したところ、無駄なく効率的な散布ができたとのこと。「鶏ふんは化学肥料より散布量は増えますが、肥料資材価格は安く抑えることができ、農林水産省の『みどりの食料システム戦略』に準じた管理を実現しています」と、平野さんは環境へのメリットも指摘する。実際、取り組みを行った圃場では無農薬・無化学肥料で再生された。鶏ふんによって成長した牧草を牛が自ら食べまわり、ふん尿も自ら散布するため、省力的な「土・草・家畜の循環」に基づいた持続可能な畜産も可能になった。さらに、省力的農地管理と三瓶山の景観保全にも貢献している。

鶏ふん散布と播種(はしゅ)を行った牧草地

「スマート放牧」技術を導入して省力化

再生されたかつての荒廃農地で放牧を再開したかわむら牧場の川村拓朗さん

スマート放牧の効果を、かわむら牧場ではどのように受け止めているのだろう。2人の従業員からヒアリングした結果をまじえて、川村さんが教えてくれた。「放牧地が2倍に増え、放牧期間が約50日も長くなりました。これが、放牧地が広がったことによる一番分かりやすい成果ですね。また放牧地が増えたことで、放牧できる頭数が増えました。具体的には、畜舎での飼養頭数を60から30数頭まで減らすことができました」とポジティブな感想を寄せてくれた。
これによる付随的な効果も見逃せない。放牧により牛が牧草地でふん尿をするようになったため、牛舎内の清掃などの労働が軽減され、整理整頓もきちんとできるようになったそうだ。

さらに、牛にも良い効果があったという。「1頭あたりが使える牛舎が広くなったことから、牛のストレスが減りました。その効果からか、母牛の状態が良くなり、繁殖成績が良くなっています。子牛に手を掛けられるようにもなりました」とも川村さんは語る。スマート放牧技術を導入した結果、荒廃農地の再生と作業の効率化が実現され、従業員の余裕とアニマルウェルフェアの向上という好循環が生まれていることが分かる。

放牧家畜と電気牧柵を管理する2つの技術

もちろんスマート放牧は牧草地の整備だけの技術ではない。放牧した家畜を効率的に管理するための技術も開発された。

放牧牛位置看視技術

放牧すると牛が人の目の届かない場所に行ってしまい、脱柵したり事故に遭ったりする可能性がある。また、どこにいるか分からず牛舎に戻す際に苦労する。そこで、牛に無線通信機能を持つGPS首輪(子機)を装着し、得られる牛の位置情報を、放牧管理者がクラウドを介してパソコンやスマートフォンで確認できる技術が開発された。これが「放牧牛位置看視技術」である。

農研機構「スマート放牧導入マニュアル」より引用

これまでは広い放牧地の中を人が勘と経験に基づいて牛の居場所を探していた。こうした時間や労力をICT技術の活用により削減し、放牧の効率化につなげようというものだ。

電気牧柵電圧監視技術

左は従来の手作業での電圧確認作業。右が電気牧柵電圧監視技術によるLINE通知(農研機構「スマート放牧導入マニュアル」より引用)

放牧地の周りには電気柵が設けられる。しかし広大な放牧地の電気柵を人が実際に点検して回るのは大変な労力がかかる。そこで開発されたのが「電気牧柵電圧監視技術」だ。これは電気牧柵の電圧値をリアルタイムでスマートフォンに通知する電気柵監視ユニットを用いて電気牧柵の管理を省力化する、というもの。LINEまたは電子メールにより、放牧地の電気牧柵の電圧値を携帯端末でいつでも確認することができる。
「電気牧柵の電圧値が特定の値以下になった場合、ほぼリアルタイムにアラート通知されるので、毎日の見回り時の電圧確認作業をする必要がなくなり省力化できます」(平野さん)

牧草地の維持管理の効率化と省力化を実現

荒廃農地を放牧地に再生したことで、かわむら牧場が使用する放牧地は約2倍になった。面積が増えただけだと管理作業も増えてしまう。しかしICTを活用した牛や電気柵の管理をする技術を導入すれば、再生された荒廃農地の「維持管理」についての効率化が実現するのだ。
かわむら牧場では、従業員が1人増えたのに匹敵する効率化につながったとのこと。さらに、時間的な余裕ができたことで、経営的にも良い効果が出ているという。「これまで忙しすぎて詳細を考える余裕も無く資材を発注していましたが、今は丁寧に発注できるようになり、無駄がなくなりました。また、従業員同士でコミュニケーションをとる時間が増えたことで、技術が上がりました。従業員が長期休暇を取得できるようになったのも、うれしい変化でした」(川村さん)

スマート放牧は畜産業が抱える課題を解決する解の一つ!

スマート放牧導入マニュアルにある導入事例には「放牧地の面積は2倍(31ha→64ha)になり、放牧牛頭数1.8倍(30頭→53頭)を増員なく2名で管理することができるようになった」と成果が記されていた。今回の取材でかわむら牧場から得たコメントもスマート放牧に対してポジティブなものだったことから、このマニュアルが放牧の現場で実効性のあるものだということが分かる。最後に平野さんの言葉を、本稿のまとめとしたい。

平野さんからのコメント

放牧は「牛にできることは牛にしてもらう」飼育方法ですが、逆に言えば、牛ができないことは人が助ける必要があります。スマート放牧とは、この「人が助ける」部分を省力化するものです。また、放牧は粗放的管理と考えられがちですが、そこを少し精密な管理に近づけることもできます。
輸入飼料価格は高騰し、子牛価格は下落しています。農業従事者の高齢化、農村地域の人口減少、それにともなう農地保全は喫緊の課題です。
スマート放牧は、その課題を解決するために開発しました。ご興味を持たれた方はぜひ、『』をご参照ください。ご自身が就農している地域や土地に合わせて微修正することで、荒廃農地の再生と維持管理、それに効率的な牛の管理が実現します。それは放牧の持続可能性を高めることになるはずです。

西日本スマート放牧コンソーシアム
農研機構西日本農業研究センター、かわむら牧場、三瓶牧野委員会、島根県畜産技術センター、山口県農林総合技術センター畜産技術部、島根県西部農林水産振興センター、島根県大田市、島根県農業協同組合石見銀山地区本部。実施期間は2022年4月から2024年3月の2年間。

画像提供:農研機構西日本農業研究センター