東海道新幹線が開業60周年を迎えるにあたり、JR東海が感謝の気持ちを込めた記念企画を実施すると発表した。4月1日に「東海道新幹線60周年特設サイト」を開設し、情報を発信するという。

  • 東海道新幹線の最新形式はN700S。2020年7月にデビューした

記念企画の一環で、「あなたと新幹線と60年。」と題して東海道新幹線に関わるエピソードを募集し、共感を集めそうなエピソードを特設サイトやグリーン車に搭載する雑誌「ひととき」に掲載する。6月頃には、小学生とその家族を対象に「新幹線のプロを育てる養成所に潜入! 新幹線おしごと体験イベント」を開催する。

4月3日に東京発名古屋行の新幹線貸切イベント列車「日本グランプリ号 supported by 鈴鹿サーキット」も運行予定。鈴鹿サーキットで開催されるF1日本グランプリとのコラボレーションで企画され、車内で中嶋悟氏、鈴木亜久里氏によるトークイベントが開催される。

記念グッズとして東海道新幹線開業60周年記念の腕時計も用意。JR東海とSEIKOがコラボレーションを行い、数量限定で販売される。新幹線乗務員用の腕時計をモチーフとしており、日常的に使用できるシンプルなデザインだという。

沿線自治体の「章」入り新幹線は、筆者も賞賛したい企画だ。JR東海の公式サイトによると、同社所属の新幹線車両は2022年時点で134編成あり、このうち84編成に沿線自治体の「章」を1種類ずつ貼り付けるという。貼付の場所は1編成あたり片側3カ所(1・8・16号車)、両面で6カ所。「東京都千代田区編成」「愛知県名古屋市中村区編成」「大阪府大阪市淀川区編成」といった駅所在地のほか、新幹線の駅がない通過自治体も対象になっている。車内放送で「章」の自治体にちなんだ観光地や特産品を紹介するほか、5月以降に「新幹線をつなぐまち」ポータルサイトを公開し、各自治体の情報を掲載する予定。2024年度下期の運行を予定している。

1980年代、筆者がフランスの高速鉄道TGVに乗ったとき、初代車両「TGV Sud-Est」の2両目に大きな紋章が描かれていた。ネットの画像検索では見つけられなかったが、英語版Wikipediaによると、110編成のうち88編成に市町村の名前が付けられ、記章が描かれていたとのこと。このときの旅で搭乗したルフトハンザ航空のボーイング747型機も、前輪の真上あたりに就航都市の名前と紋章が描かれていた。高校生だった筆者にとって、記章付きの車両や機体が少し誇らしげに見えた。

自分の住む都市に、同じ名前の付いた車両や機体が訪れたら、誰もがうれしいと思うだろう。それが東海道新幹線で実現することに感動した。沿線自治体とJR東海の相互リスペクトがなければできないことだ。「自分の街の記章がある列車に乗りたい」「84種類すべての写真を撮りたい」など、鉄道ファンにとって楽しみが増えた。

「斜陽」と言われた鉄道に新たな可能性を与え、世界に「Shinkansen」を知らしめた東海道新幹線。その存在は私たちにとって誇りである。60周年となれば「還暦」と言いたいところだが、車両は12~15年程度で新しくなっており、保線も整っていて、古さを感じない。

東海道新幹線開業日、山手線に追い越される

東海道新幹線は1964(昭和39)年の東京オリンピック直前に東京~新大阪間が開業。途中の新横浜駅、小田原駅、熱海駅、静岡駅、浜松駅、豊橋駅、名古屋駅、岐阜羽島駅、米原駅、京都駅が新幹線の駅となった。開業当初の列車は「ひかり」「こだま」の2種類。「ひかり」は途中の名古屋駅と京都駅に停車し、「こだま」はすべての駅に停車した。運行本数は1時間あたり「ひかり」「こだま」ともに1往復ずつ。「ひかり」は名古屋駅で「こだま」を追い越した。0系12両編成で運転された。

  • 東海道新幹線の開業後、長きにわたり0系が活躍した(写真はイメージ)

当時、「ひかり」の東京~新大阪間における所要時間は約4時間で、最高速度は160km/hだった。これは突貫工事で進められ、盛土区間の路盤が安定していなかったこと、試運転開始が7月下旬からで、十分な期間ではなかったことなどが理由とされている。

開業初日、東京行の1番列車が山手線に抜かれたというエピソードがある。都市伝説のように語られていたが、当時の運転士、大石和太郎氏が東海道新幹線50周年イベントで真実を語った。最高速度160km/hと言われても、すでに210km/hと報じられており、記者も乗客も楽しみにしていた。大石氏はその期待に応えるため、「わざと遅延して回復運転する」という方法を思いつく。

トンネルの中なら、速度を落としても同乗している指導担当者にバレないだろうとゆっくり走り、トンネルを出たら210km/hを出す。これを調子に乗って続けていたら、東京駅に早く着きすぎそうになった。東京駅では定刻到着に合わせて式典を用意しており、早すぎても遅すぎてもいけない。そこでノロノロと運転していたら、山手線に抜かれてしまった。大石氏は「山手線の乗客がこちらに手を振る様子がよく見えたよ」と話していた。

16両化と運行本数増で人気に応える

東海道新幹線の人気は高く、1年後の1965(昭和40)年に運行本数が倍増。1時間あたり「ひかり」「こだま」ともに2往復ずつとなった。最高速度210km/hの運転が始まり、「ひかり」の東京~新大阪間における所要時間は3時間10分になった。この「210km/h」と「3時間10分」は、筆者をはじめ、当時のこどもたちのほとんどが記憶している数値だろう。

1967(昭和42)年には、1時間あたり「ひかり」「こだま」ともに3往復ずつ、20分間隔の運転となる。大阪万博の開催が迫った1969(昭和44)年、「ひかり」は16両編成になり、「こだま」に臨時列車が設定され、1時間あたり最大6往復になった。同年、車両基地のある三島に、地元の強い要望で三島駅が設置された。

1972(昭和47)年に山陽新幹線が岡山駅まで開業すると、1時間あたり「ひかり」「こだま」ともに4往復ずつとなる。「ひかり」の一部列車が米原駅に停車し、列車によって停車駅が異なる状態も始まる。「こだま」も16両編成になった。

1975(昭和50)年、山陽新幹線が博多駅まで全通。あわせて東京駅の増強工事が行われ、1時間あたり「ひかり」「こだま」ともに5往復ずつ、12分間隔のダイヤとなった。東海道新幹線の開業から10年が経過したことから、線路等の総点検を実施。その結果、1976(昭和51)年から1982(昭和57)年まで、44回にわたって「水曜半日運休」で若返り工事が行われた。「ひかり」のうち1往復が新横浜駅と静岡駅に停車した。

このあと10年間は列車の増発がなく、「ひかり」の停車駅が増えていく。一方、在来線では蒸気機関車が次々に引退。「SLブーム」が起こる中で、新幹線は20年にわたって新型車両が投入されず、スピードが速いだけ。実際は0系の前期形を後期形で置き換えていたが、筆者が読んでいた鉄道趣味誌でも、「新幹線には旅情がない」という論調が多かったと記憶している。

1984(昭和59)年、「ひかり」と「こだま」の人気の差が大きくなり、「こだま」は16両編成から12両編成に戻る。1985(昭和60)年のダイヤ改正で、「ひかり」と「こだま」のバランスが崩れ、それまでの5対5から6対4となった。「ひかり」の停車駅も増え、列車ごとに停車駅が異なることから、停車駅の多い「ひかり」は「ひだま」と揶揄された。

ライバルは航空路線! 「グランドひかり」「のぞみ」登場

同じく1985年、待望の新型車両100系が登場する。先頭車両は鋭角的になり、座席も回転式リクライニングシートで乗り心地が改善された。モーターもパワーアップしたため、速達型「ひかり」の所要時間が短縮され、1986(昭和61)年に東京~新大阪間でついに3時間を切り、2時間56分となった。100系のモーターなし車両は新幹線初の2階建て車両となり、グリーン車や食堂車として使用された。それは「新幹線はつまらない」「旅情がない」という声を跳ね返すかのようだった。

JR東海が発足した後の1988(昭和63)年、新たに新富士駅、掛川駅、三河安城駅が東海道新幹線の駅として開業。元号が変わった1989(平成元)年、「ひかり」「こだま」の比率は7対3になる。この年、JR西日本は100系の中間に2階建て車両を4両連結した「グランドひかり」をデビューさせた。

「スピードが速いだけ」だった新幹線の魅力を向上させた背景として、1980年代後半に国内航空の規制緩和策が論議されたことに端を発する危機感がある。「鉄道で4時間以上かかる距離は航空需要を獲得できる」という考え方も生まれていた。JR西日本は「グランドひかり」で、東京~博多間の新幹線利用者を引き留めようと先手を打った。

JR東海も航空規制緩和の対抗策を始めていた。鉄道で4時間かかる距離を航空機に脅かされるなら、こちらは東京~新大阪間を2時間30分で結べば航空機に勝てると考えた。このプロジェクトは新型車両の開発だけでなく、線路など地上設備の改良にも及ぶ。最高速度270km/hの実現に向けて、鉄道技術者が総力を結集した結果、1992(平成4)年に300系がデビューし、「ひかり」を上回る最速達列車「のぞみ」が誕生する。

  • 初代「のぞみ」車両として登場した300系(写真はイメージ)

「のぞみ」は当初、早朝と夜間のみ、1日2往復の運転だった。しかも朝の下りは名古屋駅と京都駅を通過。「航空便と闘う」という強い意志を示したが、JR東海の本社がある名古屋駅を通過する、いわゆる「名古屋飛ばし」は地元の政財界から不評だった。「のぞみ」は1993(平成5)年から1時間あたり1往復に増え、博多駅へ直通。1996(平成8)年、1時間あたり「のぞみ」2往復・「ひかり」7往復・「こだま」3往復となった。早朝1便のみの「名古屋飛ばし」は1997(平成9)年まで続いた。

JR西日本の航空便対策は続く。1997年3月、山陽新幹線内限定で500系を投入し、最高速度300km/hを実現した。鋭角的な先頭車両、ライトグレーとグレイッシュブルーをまとった斬新なデザインで、ドイツの工業デザイナーが手がけている。500系は同年11月から東海道新幹線にも乗り入れ、東京~博多間を4時間49分で走った。スピードとデザインは評価されたが、実際に乗ってみると、窓側席の頭上空間が狭いなど、乗り心地の評価は低かった。

  • 1990年代後半から2000年代にかけて、500系や700系が「のぞみ」で活躍した(写真はイメージ)

1999(平成11)年に700系が登場すると、0系や100系は次々に東海道新幹線から引退する。700系は乗り心地重視で最高速度285km/hにとどまったため、500系はエースランナーとして東京~博多間の「のぞみ」で活躍した。しかし、最高速度300km/hのN700系が導入された後、500系は「のぞみ」の看板を下ろす。8両編成に短縮され、山陽新幹線「こだま」の運用に就くこととなった。

品川駅開業で「のぞみ」メインのダイヤに

2003(平成15)年の品川駅開業に伴うダイヤ改正は、東海道新幹線の大きな転機となった。それまで1時間あたり「のぞみ」3往復・「ひかり」6往復・「こだま」3往復だった配分が変更され、1時間あたり「のぞみ」7往復・「ひかり」2往復・「こだま」3往復という「のぞみ」メインのダイヤとなった。これに脅威を感じた日本航空が、「のぞみへ。先に、行ってるね」というコピーでポスターを掲出した。日本は米国と比べてライバルと比較する広告が少なかっただけに、新幹線「のぞみ」を意識した広告展開は話題になった。

一方、JR東海は中部国際空港の開港時、「博多へ行くなら新幹線!」という広告を展開し、優位性をアピール。因果関係は不明だが、結果として日本航空の名古屋~福岡便は撤退した(現在は小牧~福岡便がある)。新幹線対飛行機の広告合戦はその後も続いており、新幹線と接続する地下鉄の駅、空港アクセスを担う鉄道の駅で、それぞれ航空会社とJR東海の広告が目に付く。

2013(平成25)年にN700Aが投入されると、300系が引退。2020(令和2)年に700系も引退し、N700Sが投入された。JR東海がN700系をN700A相当の性能に改造すると、全車両が東海道新幹線で最高速度285km/hを発揮できるようになった。その後も「のぞみ」は増発され続け、現在は臨時列車も含めて1時間あたり「のぞみ」12往復・「ひかり」2往復・「こだま」2往復となり、「のぞみ12本ダイヤ」が完成した。車両性能を統一した成果といえる。

  • 現在、N700系・N700A・N700Sが東海道新幹線で活躍中

ただし、速度と引換えに失ったものもある。たとえば食堂車などの喫食サービス。開業時から0系には「ビュッフェ」と呼ばれるカウンタータイプの軽食提供サービスがあり、後に食堂車が導入された。100系に連結された2階建て車両の一部は食堂車で、1階は厨房兼通路、2階はテーブル席となっていた。この食堂車は2000(平成12)年3月まで営業した。2階をグリーン席、1階をカフェテリアとした編成もあり、カフェテリアは2003年まで営業した。

ワゴンやバスケットによる車内販売は、「こだま」で2012(平成24)年に終了。「のぞみ」「ひかり」のワゴン販売も2023(令和5)年に終了した。現在は「のぞみ」のグリーン車にモバイルオーダーサービスが残るのみとなっている。

リニア中央新幹線開業後の展開が気になる

今後、東海道新幹線で大きな動きがあるとすれば、リニア中央新幹線の開業だろう。JR東海は2027年以降の品川~名古屋間開業を想定している。つまり、早ければ2027年に大規模なダイヤ改正があり、品川~名古屋間の「のぞみ」利用者がリニア中央新幹線に移行する。そうなれば「のぞみ」の利用者が減るから、東京駅から新大阪駅以遠を結ぶ「のぞみ」は減り、「ひかり」や「こだま」を増やせる。リニア中央新幹線の駅ができない静岡県の人々にとって、東海道新幹線がいままで以上に便利になるはずだ。

東海道新幹線のダイヤにゆとりが生まれることで、新駅設置の期待も高まる。神奈川県の倉見地区は新駅の要望活動を続けており、2010年頃にJR東海も前向きと報じられたことから、新駅の受け皿として「環境共生モデル都市ツインシティ」整備計画を策定した。相鉄いずみ野線を延伸し、新幹線駅に接続する検討も進められている。

リニア中央新幹線が開業しても、東海道新幹線が地域を結ぶ役割は変わらない。「ひかり」「こだま」の増加で、いままで「のぞみ」が通過した駅と東名阪の結びつきが強まるだろう。ダイヤに余裕がある分、観光列車やイベント列車を運行しやすくなる。東海道新幹線の開業60周年で企画された貸切イベント列車「日本グランプリ号 supported by 鈴鹿サーキット」は、その方向性を探るしかけかもしれない。ダイヤにゆとりがあれば……と考えると、さまざまなアイデアが生まれてくる。東海道新幹線は「便利な新幹線」というだけでなく、「楽しい新幹線」になっていくかもしれない。

しかし、これらの構想やダイヤ改正に着手する前に、東海道新幹線は解決すべき問題がある。線路設備の老朽化である。60年も使い続けた鉄橋やトンネル、盛土などの補修が必要で、状況次第では鉄橋を架け替えたほうがいい場合もあるという。かつての半日運休では間に合わず、リニア中央新幹線を迂回路にする必要がある。JR東海がリニア中央新幹線を自己資本で建設すると急いだ背景も、東海道新幹線の改修を念頭に置いている。

東京~名古屋間だけでなく、名古屋~新大阪間も同じ状況にある。関ヶ原付近の積雪は対策設備が整い、遅延は減っている。その一方で、大雨など自然災害時の運休基準が厳しくなった。安全重視のために仕方のないことだが、運行再開時の大混雑など混乱も目立つ。それだけ東海道新幹線の需要が多いといえるし、自然災害は経験不足ともいえる。

混雑はリニア中央新幹線の開通でやわらぐと思われるが、東海道新幹線がいっそう地域密着して利用者を獲得すれば、自然災害の混乱はまた起きる。だからリニア中央新幹線が開業すれば諸問題が解決するだろうなどと待っているわけにもいかない。最混雑期間の「のぞみ」全車指定席などで対策が試みられている。

期待も課題もあるが、まずは60周年を祝おう。「東海道新幹線60周年特設サイト」「新幹線をつなぐまち」ポータルサイトの開設日を楽しみにしたい。