11月23日、JR木次線を走った観光列車「奥出雲おろち号」が26年間の運行を終えた。木次線は営業成績が低く、つねに存続が危ぶまれる路線のひとつ。その中で「奥出雲おろち号」は人気があり、木次線の象徴として貢献した。木次線はいわば看板を失う形となり、このまま勢いを落として廃止されるかもしれない。沿線には寂しさと危機感が募る。
ここで「奥出雲おろち号」はなぜ誕生し、廃止されるかを振り返る。じつはそこに、観光列車のあり方、木次線の未来へのヒントがあった。
■嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車がヒントに
山陰中央新報11月22日付「『おろち号は宝物』木次鉄道部・初代部長が思い語る 23日ラストラン」によると、1992(平成4)年に木次鉄道部の職員からトロッコ列車を提案されたという。木次線は1987(昭和62)年に平均通過人員が663人/日まで落ち込み、JR西日本発足後の1990(平成2)年、木次線に木次鉄道部が設立された。ローカル線活性化と効率化のため、JR西日本で新設された鉄道部制度の第1グループのひとつだった。配属された職員も乗客獲得のために知恵を絞っていた。
その前年、1991(平成3)年に嵯峨野観光鉄道が開業し、トロッコ列車が人気となった。嵯峨野観光鉄道はJR西日本の100%子会社で、山陰本線の電化・複線化のために廃線となる旧ルートを再利用した。初代木次鉄道部長の野室郁夫氏が視察したところ、保津川沿いの大自然と木次線の景観に通じるところがあった。
1992年、横田町(現・奥出雲町)で「奥出雲おろちループ」が完成した。横田町は「奥出雲おろちループ」と木次線の三段式スイッチバックを観光資源ととらえ、情報発信を検討していた。そこで木次鉄道部と横田町の振興策が一致した。1994(平成6)年、横田町が正式に導入を要請し、JR西日本が車両を改造した。
列車は計3両で、木次側に機関車1両、備後落合側に客車2両を連結。客車の1両に運転台を設置し、機関車を制御できるようにした。この方式により、終点で機関車の付替え作業が不要になる。また、三段式スイッチバックにおいて機関車がつねに急勾配の下側になるため、万が一、連結が外れたときも安全に止まれる。
機関車はDE15形2558号機を抜擢した。DE15形は除雪車の駆動部として製造されたディーゼル機関車。このうち2550番代は、1971~1973年にかけて製造された1500番代の除雪装置を改造したグループである。つまり、本来は除雪車だが、雪のない時期に「奥出雲おろち号」でアルバイトというわけだ。アルバイトといっても「奥出雲おろち号」専用機であり、白と青で塗り分けられた。DE15形2558号機は老朽化と除雪用新型機関車の投入にともない、2021年度をもって引退した。
後継の機関車はDE10形1161号機。ローカル線の客車列車や構内入替作業用として製造された。1000番代は1969~1973年に製造されたグループで、初代グループよりエンジンが強化されている。DE10形1161号機は、DE15形2558号機が定期点検や故障などで使用できないときの「助っ人」として運用された。2010(平成22)年から白と青で塗り分けられ、DE15形2558号機と交代で運用した。2022年度から「奥出雲おろち号」の全列車を担当したが、2022年8月に、酷暑の影響もあってオーバーヒートを起こした。
客車は12系客車のスハフ12形801号車とスハフ13形801号車。12系客車は1970(昭和45)年の大阪万博をきっかけに団体臨時列車用として製造された。
スハフ12形801号車は、1970年にスハフ12形40号車として製造された。1991年にボックスシートからリクライニングシートに改造され、スハフ12形3001号車となった。これは大阪~出雲市間の夜行急行「だいせん」に使用するためだった。「奥出雲おろち号」では中間車として使われ、悪天候時などにトロッコ車両の乗客が利用できた。
スハフ13形801号車は1977(昭和52)年にスハフ12形148号車として製造された。「奥出雲おろち号」に向けた改造は大規模で、座席を難燃化木材によるベンチタイプに取り替え、窓を撤去。備後落合側に運転台を設置した。
■廃止の理由は老朽化、じつは5年間も延命されていた
「奥出雲おろち号」の老朽化問題は2016年の時点で存在していた。この年、木次線は前身の簸上鉄道が開業してから100周年を迎えた。そのキックオフイベントとして開催された「これからのJR木次線を考える会」で、車両の老朽化により、2018年の全般検査(車検)を通せないおそれがあると説明された。すでに生産中止となり、在庫もない部品があるとのことだった。
それでも2023年まで運行できた。これは木次鉄道部と、車両の検査修理を担当する後藤総合車両所の職員が尽力したおかげだろう。
今回、「奥出雲おろち号」が廃止された理由は客車のほうだった。客車2両のうち1両が今年、6年ごとの検査期限を迎える。老朽化が激しく、安全に運行するために部品を交換しようにも、その部品の生産が中止されているという。もし機関車がダメでも、新型除雪機関車を流用できたかもしれなかった。しかし客車となると代えが効かない。「奥出雲おろち号」の廃止後、客車は2両とも廃車となり、機関車は工事用車両になる予定だという。
2021年6月3日、JR西日本は「奥出雲おろち号」について「2023年度を最後に運行を終了」すると発表した。2年前の発表とは計画的だが、「次の一手」を考えるためにはぎりぎりのタイミングといえた。車両の新造は間に合わず、既存車両の改造ができるか否かといったところだ。
JR西日本の発表を受けて、地元の雲南市長や島根県知事がJR西日本米子支社を訪ね、運行継続あるいは後継車両の導入を求めた。2009年から沿線自治体による連携組織「斐伊川サミット」が「奥出雲おろち号」の運行費用を支援しており、自治体の出費もいとわない方針だったようだ。しかし、米子支社長は「経営的、技術的観点」から却下したと報道されている。
■「奥出雲おろち号」廃止後に向けた取組みが始まる
ただし、JR西日本が木次線を見放したわけではない。2022年1月、JR西日本が観光列車「あめつち」の木次線乗入れを検討していると報じられた。「あめつち」は2018年に開催された「山陰ディスティネーションキャンペーン」の目玉として仕立てた観光列車で、キハ47系ディーゼルカー2両を改造し、窓に向けたカウンター席やハイデッキのテーブル席を備える。現在、山陰本線の鳥取~出雲市間で週末を中心に運行されている。木次線乗入れはこれ以外の平日に検討されているというが、正式には決まっていない。
「あめつち」の運行開始は2018年。「奥出雲おろち号」も当初、2018年に廃止予定だった。うがった見方をすれば、JR西日本は「奥出雲おろち号」の廃止による山陰観光の魅力低下を見越して「あめつち」の開発に着手したともいえる。用意周到だ。
JR西日本の提案を受けて、沿線自治体は5回にわたって検討会議を開き、2022年2月9日に了承した。当初、雲南市は「あめつち」乗入れを高く評価する一方、奥出雲町と広島県庄原市は懸念を表明した。「あめつち」の性能では、木次線名物の三段式スイッチバック区間に入れないからだ。「あめつち」乗入れの了承にあたり、内外装を装飾する予定の普通列車との接続を考慮してほしいと要望している。この時点で、普通列車用のディーゼルカー、キハ120形をラッピング車両とする検討は始まっていたようだ。
2022年3月15日、木次線活用推進協議会は観光誘客プロジェクトチームを立ち上げ、キハ120形4両の木次線オリジナルラッピングと愛称募集が決まった。事業費は約2,500万円で、観光庁の補助金と県および沿線自治体で負担する。ラッピングのテーマは「次へつなごう、木次線。RAIL is BATON」。2023年5月29日、4両の愛称は「さくら」「しんわ」「たなだ」「たたら」に決まった。
2023年4月19日、「あめつち」の木次線試乗会が開催された。自治体など沿線関係者が招かれた。続いて2023年5月2日、「あめつち」は団体旅行専用車として木次線に乗り入れた。運行区間は松江~出雲横田間だった。
2023年10月30日、JR西日本は観光誘客プロジェクトチームに対して「あめつち」の運行予定を説明した。春と秋の行楽シーズンでおもに日曜日と月曜日に運行し、年間運行日数は30~40日とする。「奥出雲おろち号」の年間約150日に比べるとかなり少ない。
木次線にはもうひとつ気がかりな要素がある。終点の備後落合駅を含む芸備線の備中神代~備後庄原間について、JR西日本は存廃を含めた改善案を求め、国に「再構築協議会」の設置を要請した。もし、芸備線のこの区間が廃止されると、木次線が備後落合駅に到達する意義も薄れる。
■沿線の観光振興が木次線の今後を左右する
「奥出雲おろち号」は観光振興のために自治体が要請し、JR西日本が応じた列車だった。同じことがなぜできなかったかと悔やまれる。そして2023年11月23日、「奥出雲おろち号」は最後の運行を終了した。2024年は「あめつち」とラッピング車両が走る。
木次線の魅力は下がるかもしれない。しかし、まだあきらめてはいけない。
この夏、筆者は「奥出雲おろち号」の予約が取れず、普通列車で木次線を旅した。宍道発出雲横田行の普通列車は満席だった。2両編成だったが出雲横田駅で1両を切り離したため、1両になった。そのせいで立客も多く、座った席から向かい側の窓の景色が見えないほどだった。昨秋に訪れたときは、木次線のスイッチバックで三井野原駅に上がり、徒歩で「奥出雲おろちループ」を下るという家族連れがいた。
「道の駅おろちループ」の駅長によると、道の駅に車を止めて、展望台から木次線を眺め、徒歩20分ほどの三井野原駅から木次線のスイッチバックを体験して戻るという観光客もいるそうだ。「道の駅としては問題なし。お土産を買ってくれたらなお良し」といったところか。
つまり、木次線とその沿線には魅力がたくさんあり、「奥出雲おろち号」がなくても磨けば光るところがある。JR西日本は、「『あめつち』は観光のひとつのパーツにすぎない」と指摘した。「奥出雲おろち号」に乗車した利用者のほとんどは終点で折り返す。あるいは備後落合駅から芸備線に乗り換えていく。つまり、「奥出雲おろち号」に乗ることだけが目的で、奥出雲町は通過してしまう。このような状況では、いままで観光も経済効果も期待できなかったのではないか。
それに比べると、「あめつち」は奥出雲の入口となる出雲横田駅まで乗客を届ける列車となっている。そこから先、どこへ向かうべきか。スイッチバックとおろちループだけでいいのか。自治体側のしかけが必要になる。それは周遊バスや観光タクシーかもしれない。木次線の観光開発はこれからが本番と言えるだろう。
あえて言えば、なぜそれを「奥出雲おろち号」が走っているときに、少なくとも「延命された5年間」でやってこなかったのか。
筆者が木次線を訪れる際、出雲市駅周辺のホテルに泊まることが多かった。もし、木次駅や出雲横田駅の周辺で手軽に泊まれるホテルが充実していれば、木次線沿線の滞在時間が増えたと思う。二次交通の不便は解決に向けて動き出した。雲南市がカーシェアリングの取組みを始めたと報じられている。じつはそれより前に、奥出雲町が出雲三成駅で予約制のレンタカーを手配してくれる。松江市内や出雲市内で乗り捨てることもできる便利なサービスだが、ほとんど周知されていない。筆者も最近知ったばかりだ。
「あめつち」は現在よりも木次線沿線に貢献するだろうと前向きにとらえたい。ただし、沿線の取組み次第ともいえる。木次線の沿線が、木次線とどのように「共生」していくか。今後も見守っていきたい。