食べるいぐさ
熊本県の南部に位置する八代市。
日本三大急流の一つにも数えられる球磨川によってもたらされる豊かな水で、さまざまな農作物が栽培されている土地だ。中でも特産品として有名なのが“いぐさ”だ。
畳表の原材料として知られるいぐさだが、八代市のいぐさの生産量は国内生産の約90%以上を誇っている。そんないぐさ大国・八代市で「食べるいぐさ」を生産しているというイナダ有限会社を訪れた。
約30年ほど前からいぐさを食用として栽培し始め、現在は年間約700キロのいぐさを生産している稲田剛夫(いなだ・たけお)さん、稲田近善(いなだ・ちかよし)さんにお話を伺った。
父・剛夫さんは元々、いぐさ農家ではなく畳表に使う糸を販売する仕事をしていたのだという。
いぐさを畳表へと加工する際に使用する専用の織機に使う糸を、必要な本数分大きな巻棒に巻く整経業(せいけいぎょう)という仕事を通じて、いぐさや畳表と関わってきたが、畳表需要の低下とともにいぐさ農家は減少していく一方。それに付随して整経の仕事も減ってきたのが、今から約30年前のことだ。
「このままでは畳文化そのものが衰退していく。なんとか畳やいぐさをもっと広げることはできないだろうか」。そう考えた稲田さんは「いぐさを食用として活用することはできないだろうか」と思い至ったのだそうだ。
食物繊維が豊富な食材
食用として開発していくにあたって、いぐさの栄養を分析をしたところ、食物繊維が豊富に含まれていることがわかった。
食物繊維は今でこそ、健康志向の消費者から重要視される栄養素の一つであるが、当時はあまりなじみのなかった栄養素だったと稲田さんは振り返る。それでも、五大栄養素(たんぱく質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラル)に続く「第6の栄養素」として少しづつ認知されつつあったタイミングでもあり、「もしかしたら今後注目されるかもしれない」と、食物繊維の含有量の高さに、食用いぐさの可能性を感じたという。
当初は現役のいぐさ農家に食用いぐさの栽培を委託する予定だったが、食用いぐさは従来の畳用途での栽培方法とは異なる点が多かった。そこで、農薬を使わずに自分たちでいぐさを栽培していくと決め、未経験からいぐさ農家の道を歩み始めた。
いぐさを、どのように加工したら食用として活用しやすいか県の産業技術センターや食品加工の専門家などに相談した。結果、細かい粉末状にすることになった。
いぐさは粽(ちまき)のしめなど、ひもとして使われているように、引っ張る力が強くそのまま食べることは難しい。
粉末状にするのも他の素材に比べてなかなかに難しい素材だったという。
しかし、栽培や加工よりも難しかったのは「食用としてPRしていくこと」だったと近善さんは話してくれた。
拭えないいぐさのイメージを他業種とのコラボで改善
食べるいぐさとして開発した“いぐさパウダー”だったが、どうしてもいぐさ=畳(敷物)のイメージが強く、当初はなかなか食材として受け入れられなかったそうだ。
日頃からなじみのある食べ物、そして八代のお土産品をいぐさで作りたいという思いから地元のお菓子屋さんの協力を仰ぎ、いぐさを使った饅頭(まんじゅう)「いぐさ饅頭」を開発した。今でこそ生産者と他業種のコラボは増えてきたが、当時としては珍しい試みだったという。ここから、いぐさパウダーはどんどんコラボを増やしていく。
現在では、いぐさを使った麺や、ふりかけ、キャンディやお茶、ビール、さらには化粧品などさまざまな商品とコラボしている。
こうした食品を開発してショッピングセンターなどで試食会などを繰り返し、いぐさを食用の素材としてPRしていく中で、稲田さん親子はいぐさの持つ力が想像以上であると感じ始めたという。
例えば、八代の物産館で販売している抹茶いぐさソフトクリームを食べたお客様からの反応で
「抹茶は独特の風味が苦手で普段は食べられないけど、いぐさ入りのものは食べられた」という声があったという。更に、本来麺が苦手だった子どもがいぐさ入りのものは喜んで食べた、ということも。
いぐさを実食した人たちの声を聞き、剛夫さんはいぐさには他の食材のクセや苦みをまろやかにしてくれる不思議な作用があると感じたという。
本来苦手な食材が、いぐさと一緒だったら食べられる。
約20年前に、子供たちからの要望により学校給食に採用されるようになり
今でもいぐさを使った給食が八代市の小中学校で提供されたりもしているそうだ。
未解明の、秘めたチカラを持つ素材
畳の香りのイメージが強いいぐさだが、実はいぐさの香りと畳の香りは別ものなのだ。
いぐさは収穫後に泥染めという作業を行った後、畳表として加工するのが一般的だ。
泥染めという、いわば泥パックのような工程を経ることで化学変化を起こし、いぐさはあの畳特有の香りを放つようになるという。
いぐさ本来の香りは素朴で、あまりクセの強いものではない。
従って味も少し甘みを含んだクセのない優しい味わいで、他の食材と混ぜるとほとんど存在を感じないという。
筆者もいぐさ茶やお菓子をいただいたが、苦みやクセはほとんどなく、後味にふわっと草の風味を感じることができた。お茶は緑茶と混ぜられたものだというが、緑茶の苦みがまろやかになり飲みやすく思えた。
実は、いぐさはほとんど研究がされていない未知の素材なのだという。
畳の歴史は約1300年といわれ、いぐさを使用したゴザなどに関しては縄文時代からあるともいわれている。(諸説あり)
いぐさと人々の関わりは太古より続き、現代にも残っているのだが、なぜそんなにも長い間いぐさが使われてきたのかについてや、実際の機能性について解明されていない部分もあるのだそうだ。
「あまりにも身近で、当たり前すぎて逆に着目されていなかったのかもしれない」と剛男さんと近善さんは話してくれた。
太古の昔から現代に至るまで、長い間日本人の生活に根付いてきたいぐさ。
人々を引きつける“何か”がいぐさにはあるのだろう。それが今後解明されていくことが楽しみだという。
食材として、そして観光の名物として
いぐさの新たな活用法を打ち出してきた稲田さん家族。今後の展望を尋ねた。
「いろいろな方とともに喜ばれる商品を作っていきたいです。また今まで通り、さまざまな角度からいぐさのPRを続けていきたいと思います。そして、やっぱり地元をいぐさで盛り上げられるようにしていきたいです」(近善さん)
イナダ有限会社では、ミニ畳手作り体験などの観光事業も行っている。
小さな畳を実際に作り、畳やいぐさについての歴史などのお話を聞いた後、いぐさを使ったスイーツを食べてもらうというものだ。
畳表といえば八代をはじめ、熊本を代表する特産品。
日本を感じさせる畳やいぐさを使った体験は、県内からはもちろん、県外や海外からの観光客にも人気。さらには修学旅行などで学生たちが訪れることも。
実際にいぐさの食品はお土産や贈答品として購入される方も多いそうだ。
畳としてだけではなく、食材として、そして観光の名物として、さまざまな可能性を秘めたいぐさ。古来より人々の身近にありながらも、まだまだ未解明の部分が多い“新素材”という顔を持ついぐさが今後どのように活用されていくのか“いぐさパワー”にいち早く気付いたイナダ有限会社含めて、注目していきたい。