• 笠井信輔アナ

フジテレビ出身のフリーアナウンサーががんを公表し、闘病したという点で重なるのは、故・逸見政孝さんだ。奇しくも今月6日は、国民に衝撃を与えたがん告白会見から、ちょうど30年にあたる。

フジで1年間同僚だった笠井アナは、自身のがん公表後に「多くの人から『逸見さんを思い出しました』とお便りを頂きました」というが、今回の本では、30年前に比べてがん治療が飛躍的に進化しているのが伝わってくる。

「当時は“がん=死”で、抗がん剤も毒薬みたいに言われていたんです。僕の友人が25年くらい前にがんの治療をするときに、『一か八かですが、抗がん剤受けますか?』と説明されたそうですから。でも今は、抗がん剤のリスクは、高齢者の方への配慮や副作用の出方ぐらいで、ほとんどありません。薬の安全性が劇的に進化しているんですよね」

一方で、今も続く逸見さんの衝撃を感じる場面もあったという。

「僕が病室からSNSで発信するときに、病院名を絶対に明かさないでほしいと言われたんです。逸見さんは病院名も公表して記者会見もしていたので、亡くなった後に『治療法が間違ってたんじゃないか』とウワサが拡大したり、その病院は大変だったそうです。私に万が一のことがあると、病院に迷惑がかかります。ですから、『他の入院患者さんと交流するとそこから病院名が漏れるので、発信しないなら交流してもいいですよ』と言われました。本当は大部屋を希望してたんですけど、個室になって患者仲間が1人もできませんでした。それでも、僕は発信することを選びました」

長年にわたり、テレビ番組で“伝える”立場だったからこその使命感だったが、SNSではコメントを通じてたくさんの励ましの声を受け取ることに。連載後は読者を招いた講演会が開催され、リアルで交流する場面が作られたことで、「人とのつながりができたというのは、非常に大きかったです」と振り返った。

■親友から「がんになって、むしろ良かったんじゃない?」

19年9月末でフジテレビを退社し、わずか2カ月後に悪性リンパ腫を公表することになった笠井アナ。会社員の安定した月収が途絶えた中で長期入院となることに、「あの当時はもう最悪だと思いました。清水の舞台から飛び降りたら、地面がなくてさらに落ちるような気持ちで、もう終わりだと思いました」と、大きな不安を抱えたという。だが今振り返ると、あのタイミングでフリーになる選択をしたことのメリットを実感している。

「闘病中も自由に発信できたのは会社員じゃなかったからであって、復帰してからは、がん関係の仕事がすごく増えたんです。もし局アナのままだったら、アンコンシャスバイアスによって、『フジテレビはステージ4の患者をそんなに早く復帰させていいんですか?』とかネットで言われて、当分表舞台に出てなかったと思います。中日新聞で連載ができたのもそうですし、本当にいろんな仕事ができているのはフリーになったからであって、親友たちは『がんになって、むしろ良かったんじゃない?』とも言ってくれます。もちろん、ならないに越したほうがいいんですけどね」

一方で、フリーにもアンコンシャスバイアスは存在するという。闘病経験を発信することで、バラエティ番組に出づらくなるといい、「やっぱりがんと闘っていた人を笑っちゃかわいそうだと思われるんですよね」と認める。

『逃走中』に参戦 (C)フジテレビ

しかし、10日(19:00~)に放送される特番『逃走中~ハンターと強欲の王~』(フジテレビ)に、華々しく参戦。2年半前に警視庁神田警察署の一日警察署長を務めて取材を受けたときから、「『逃走中』に出たい」と公言していたが、その夢がようやく結実した格好だ。

「ジムにも行ってるし、電車に間に合わなくてよく走ることがあるので(笑)、自信があったんですよ。フジテレビの仲間が『そんなに言うなら出してやろう』と温情でオファーしてくれたんだと思いますが、テレビを見たら“悪性リンパ腫のステージ4になった人が走ってる”と思ってもらい、励ましにもなるんじゃないかという気持ちがあります」

『逃走中』の出演をきっかけに、他のバラエティへの出演にも期待をかけるが、「これはアンコンシャスバイアスとは違って、自分は“がんタレント”になってきているので、バラエティで活躍するのは難しいのかな。でも、ほんと出たいんです」と、冷静ながらも熱い笠井アナ。

現在も3カ月に1回、経過観察の血液検査を続け、「再発のおそれがないわけではない」と打ち明けながら、「この経験談は皆さん喜んでくれますし、自分の中に生まれた他のタレントさんにないキャラクターなので、大事にしていきたいと思っています」と見据えている。

●笠井信輔
1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業後、87年フジテレビジョンに入社し、『タイム3』『めざましテレビ』『とくダネ!』『男おばさん!!』『バイキング』など、報道・情報番組を中心に担当。19年9月で同局を退社し、フリーアナウンサーとして活動するが、同年12月に悪性リンパ腫が判明し、療養へ。21年4月に退院、6月に完全寛解し、得意分野の映画・演劇に加え、自身の経験を踏まえたがん治療の啓発活動など、医療関連の情報発信も手がける。23年9月に新著『がんがつなぐ 足し算の縁』(中日新聞社)を刊行。