『舞姫』は、文豪・森鴎外(もりおうがい)のデビュー作。彼自身のドイツ留学での経験がモデルとなったとされる本作は、格調高い文体で記され、少し難しいと感じる人も多いようです。

本記事では『舞姫』の短いあらすじと段落ごとの詳細なあらすじ、登場人物、結末、作者が伝えたかったことなどを紹介します。

※本記事はネタバレを含みます

  • 森鴎外『舞姫』のあらすじ

    森鴎外『舞姫』のあらすじやポイントを紹介します

『舞姫』のあらすじを100字で簡単に要約

「石炭をば早や積み果てつ」と、古文のような文体で始まる『舞姫』。すべて読むのは難しいと感じる人のために、まずは100文字程度でざっくり内容をまとめました。

ドイツへ留学した官僚の豊太郎は、踊り子エリスと恋に落ちる。免官されエリスと暮らし始めた豊太郎だが、友人の相沢に、出世の道に戻るためにエリスと別れるよう諭される。豊太郎は葛藤の末、妊娠したエリスを残し帰国する。

『舞姫』の主な登場人物

『舞姫』は、豊太郎とその周辺の人々を中心に描かれる物語です。主な登場人物について見ていきましょう。

太田豊太郎

エリート官僚としてドイツのベルリンに留学する青年です。幼いころに父を亡くしつつも学問に励み、優秀な成績で大学を卒業します。留学後は出世の道が開かれているはずでした。

国のため、家のために懸命に働くのが当然と考えていましたが、自由な空気に触れて、自我が芽生えます。

エリス

豊太郎がベルリンで出会う、貧しい踊り子(女優)です。父親の葬儀のお金を豊太郎に工面してもらったことから、豊太郎と親しくなります。

相沢謙吉

豊太郎の友人。豊太郎が職を失った後も彼を助け、さらに自分の上司である天方大臣に紹介してくれます。

エリスとの関係は断ち切るべきと考えていて、出世のため、豊太郎に彼女と別れることを約束させます。

大臣・天方伯爵

相沢を秘書官として側に置く大臣です。豊太郎を通訳としてロシアに同伴させたり、自分と共に帰国するよう誘ったりします。

『舞姫』の概要と舞台

『舞姫』は1890年(明治23)1月、『国民之友』に発表されました。鴎外の自伝的要素が強い作品とも言われ、近代的な自我と伝統的な価値観との間で苦悩する青年の姿が話題になりました。

その他、『舞姫』の概要は以下のとおりです。

作者 森鴎外
発表時期 1890年(明治23年)1月、『国民之友』にて発表
物語の舞台と時代 ドイツ ベルリン、明治時代
テーマ 近代日本の黎明(れいめい)期における青年の自我の目覚めとその苦悩、悲恋

『舞姫』の段落ごとのあらすじ

『舞姫』は、大きく10の段落に分けることができます。それぞれの段落のあらすじを確認していきましょう。

第一段落・船の中で豊太郎を苦しめる「人知らぬ恨み」

日本へ向かう船の中で、豊太郎は他人と交わらず、一人鬱々(うつうつ)とした日々を過ごしていました。その理由は「人知らぬ恨(うらみ)に頭(かしら)のみ悩ましたればなり」とあります。

ここから先の話は、豊太郎がその苦しみの概略を船の中でつづったものだ、という体で進んでいきます。

第二段落・豊太郎の生い立ちと出立

父を早くに亡くした豊太郎は、厳しい教育を受けて育ちます。勉学に励み、予備校でも大学でも常に主席の成績だった豊太郎は、官僚となります、

「洋行して一課の事務を取り調べよ」との命を受けて、母を日本に残してベルリンへ向かったのでした。

第三段落・豊太郎の自我の芽生え

3年ばかりの間は「夢の如くに」過ぎました。

しかしある時期から豊太郎は、違和感を覚えます。父の遺言を守り、母の教えに従って、神童ともてはやされては一心に学び、また上司のために喜んで働いていたこれまでの自分。そんな自分は、ただ受動的で器械的な人物だったと悟ります。

そして留学仲間と距離を置く豊太郎は真面目な官僚と思われていましたが、本当は新しい世界へ飛び出していく勇気がなかったのです。

豊太郎は苦しさを覚えます。

第四段落・エリスとの出会い

そんなある日、豊太郎は寺院の門前で泣く少女と出会います。エリスという名の少女は、父親の葬儀を出す費用がないことを嘆いていたのです。

豊太郎はエリスを家まで送り、自分の時計を金にするよう言います。

第五段落・密告と母の死、そして深まるエリスとの仲

エリスと徐々に親しくなっていく豊太郎でしたが、2人の関係を密告されてしまいます。その結果、師弟のようなプラトニックな関係であったにも関わらず、職を解かれてしまいました。

どうしたものかと思い悩むうちに、豊太郎のもとに2通の手紙が届きました。1通は母からの、もう1通は母の死を知らせる親戚からのものでした。

度重なる悲劇に打ちひしがれる豊太郎は、共に悲しんでくれるエリスと深い仲になります。

第六段落・相沢の手助けとエリスの妊娠

職を解かれ、学費を得る手段もなく困り果てている豊太郎でしたが、東京にいる友人の相沢謙吉から助け舟が出されます。

相沢がある新聞社の編集長に掛け合ってくれたおかげで、豊太郎はベルリンにとどまり、政治学芸などについて報じる通信員として働くことになったのです。

とはいえ収入が減ってしまった豊太郎は、エリス母娘の暮らす家で同居することになります。

そんなある日、エリスは舞台上で倒れ、食べ物を吐くようになりました。エリスはどうやら妊娠しているようです。自分の行く末すらわからないのに、本当ならどうしよう、と豊太郎は悩みます。

そこに、相沢から手紙が届きます。昨晩、上司である天方大臣と共にベルリンに到着し、大臣は豊太郎に会いたがっているという旨が書かれていました。

第七段落・大臣との面会と、友人との約束

相沢のもとを訪ねた豊太郎は、天方大臣を紹介されます。大臣は豊太郎に、ドイツ語文書の急ぎの翻訳を依頼します。

相沢と豊太郎は昼食を共にし、積もる話をします。豊太郎の学識と才能を認めている相沢は、能力を示して大臣の信用を得るように、そしてエリスのことは「意を決して断て」と諭します。

豊太郎は貧しくても今の生活は楽しいと思いながらも、友人にいやだ、とは言えず、そうすると約束をしてしまうのでした。

さて頼まれた翻訳は一晩で終わり、豊太郎はそのうちに、大臣と世間話などをするまでの仲となりました。

第八段落・通訳としてロシアへ

1カ月ほどが経ち、豊太郎は大臣の通訳として、突如ロシアへ行くことになりました。やはり妊娠していたエリスに給料を渡して、鉄道でそう遠くないロシアに向かいます。

エリスは毎日手紙を書いて寄こしたので、豊太郎はエリスのことを忘れることはありませんでした。手紙の内容はどんどんと思いが迫っていて、最終的には「身ごもっている自分を、いかなることがあっても決して捨てないでください」という旨が書かれていました。

豊太郎は当時、まさかここまで大臣からの信用を得るとは思っていなかったので、深く考えずに相沢と約束をしてしまいました。しかしエリスとの別れが現実味を帯びる一方で、このようにエリスからもすがられ、ますます思い悩みます。

第九段落・豊太郎の帰国が決まる

エリスはロシアから帰国した豊太郎を抱きしめて、「帰り来玉はずば我命は絶えなんを」、つまり「帰ってきてくださらなかったら、私は死んでいたでしょう」と告げます。

帰国へ思いが傾いていた豊太郎でしたが、その瞬間にエリスへと気持ちが傾きます。

しかし2、3日が経って、豊太郎は大臣に呼ばれます。そして大臣に共に帰国しないかと尋ねられると、豊太郎は承知してしまいました。

帰ってエリスに何と説明しようか、罪悪感にさいなまれた豊太郎は、家に着くなり意識を失ってしまいました。

第十段落・結末

倒れた豊太郎はその後数週間、意識がもうろうとしていました。

そして寝込んでいる間に相沢が訪ねて来て、エリスに対し、豊太郎が相沢とした約束の内容、そして大臣の帰国の誘いを承知したことを伝えていました。

エリスは「我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」、つまり「私の豊太郎様は、こうまで私をお騙しになるのか」と叫び、精神を病んでパラノイアになってしまいます。

豊太郎は結局、エリスの母親につつましい生活を送れるくらいの金を渡し、産まれてくる子供を頼んで、帰国の途に就きました。

豊太郎はこの話の最後を「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡(なうり)に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」と締めくくっています。

これは「相沢謙吉ほど良い友は、また得るのは難しいだろう。しかし私の頭の中には、彼を憎む心がほんの少し残っているのだった」という意味です。

豊太郎はクズ? 『舞姫』で作者が伝えたかったことの考察

自分の子供を妊娠した女性を捨て、出世の道を選んだ豊太郎。エリスの立場から考えると「最低! クズ!」と叫びたくなる所業ですが、この決断には当時の時代が大きな影響を及ぼしていると考えられます。

明治時代の日本では、個人よりも国や家が重視されていました。国のため、家のために学び、働くことが当然と思っていた自分を、豊太郎は「器械的の人物」と呼んでいます。

西洋の文化に触れ、自由と自我に芽生えたかに見えた豊太郎。ですが天方大臣と出会った後は、それは結局足を縛られて羽ばたく鳥の、制限された自由でしかなかったことを悟ります。

豊太郎は、自分が育った国の伝統的な価値観を振り捨てることができなかったのです。それができたかもしれない最後のチャンスは、彼の葛藤を知らない、もしくは見て見ぬふりをした相沢によってつぶされてしまいました。

相沢のしたことは、豊太郎のことを思えばこその行動です。当時の日本人の一般的な価値観の中にいた相沢にとって、エリスと別れさせることだけが、豊太郎を立ち直らせる方法でした。それがわかっているからこそ、豊太郎も相沢を最後に「良友」と呼ぶのです。

結局は「明治の日本人である」という枠から抜け出すことのできなかった豊太郎にとって、相沢は足かせでもあり、命綱でもあったのでしょう。

森鴎外は『舞姫』を通し、そんな時代に翻弄(ほんろう)される若者の苦悩と葛藤、それでも進んでいくしかないことを伝えたかったのではないでしょうか。

『舞姫』執筆の背景を解説

ここでは『舞姫』執筆の背景を、モデルとなったとされる出来事や人から見ていきましょう。

作者・森鴎外とエリーゼとの叶わぬ恋

森鴎外は1884年から1888年にかけて、医学を学ぶためにドイツへ留学していました。帰国直後、彼を尋ねてエリーゼというドイツ人女性が来日します。

豊太郎とエリスのストーリーは、森鴎外とエリーゼのことを描いた、自伝的要素が含まれている、といわれています。

エリーゼは結婚を望んでいたようでしたが、森鴎外の家族の反対もあり、ドイツへ帰国したようです。

当時の日本では国際結婚は一般的でなく、陸軍軍医だった森鴎外が外国の女性と結婚することは、出世の妨げになったと考えられます。

エリーゼの帰国の約5カ月後の1889年3月、森鴎外は海軍中将・男爵である赤松則良の長女、赤松登志子と結婚します。しかし2人の結婚生活は長続きせず、1年半ほどで離婚に至ります。『舞姫』が発表されたのは、この短い結婚生活の間のことでした。

豊太郎のモデル

豊太郎のモデルとしては、森鴎外本人以外にもう一人、武島務の名が挙がることがあります。

「太田豊太郎」の名前は、武島務の出身地である秩父郡「太田村」と、森鴎外の本名である「林太郎」とを合わせて作られたものと考えられています。

森鴎外と同じく軍医だった武島務はベルリンに渡り、森鴎外と交友を深めたとされています。

武島務はドイツのドレスデンにて、結核のために27歳で帰らぬ人となりました。

作者・森鴎外とは

森鴎外は1862年、島根県で生まれました。

現役軍医として最高位の陸軍軍医総監、陸軍省医務局長にまで上り詰める傍ら、『舞姫』や『ヰタ・セクスアリス』などの小説の執筆、アンデルセンの『即興詩人』の翻訳などを手掛けました。

夏目漱石と並ぶ、日本の代表的文豪の一人です。

『舞姫』には、時代に翻弄された青年の苦悩が描かれている

故郷から遠く離れたドイツの地で、自由と自我を手にしたように見えた豊太郎。

しかし彼は結局、従来の道徳や出世への欲求に打ち勝てず、恋人と子供を捨てて帰国しました。それは事情を知らない他人から見れば、華々しい未来への希望にあふれる帰還です。しかし彼にとっては敗北の逃亡であるとも言えるでしょう。誰にも理解されない苦しみを抱えて、豊太郎はこれから先、どう生きていくのでしょうか。

時代の要求に翻弄された青年の姿に、本当の人生の価値について考えさせられます。

※作品内には、現在では不適切とされる可能性を持つ表現がありますが、本記事では基本的に、作中の表現を生かした形で記載しています