公開から約四半世紀を経てもなお人気の高い映画『タイタニック』。不朽の名作である本作は、実際にあったタイタニック号沈没事故を基に制作されました。では一体、『タイタニック』と実際の事故との結びつきはどこまであるのでしょうか。

本記事では映画『タイタニック』やタイタニック号沈没事故について、登場人物や生存者の詳細、沈没の理由、撮影秘話などを紹介します。

  • タイタニックは実話なのか

    映画『タイタニック』と、実際にあったタイタニック号の沈没事故について解説します

映画『タイタニック』は実話? - タイタニック号沈没事故がモデル

『タイタニック』は、1912年に発生した、処女航海の最中に沈没した客船、タイタニック号の事故を基にして制作された映画です。

タイタニック号は全長約270m、総トン数約4万6,000トンと、当時の世界最大規模の大型客船で、大西洋横断用に建造されました。当時の最新技術を反映し「不沈船」と呼ばれたにもかかわらず、悲劇の事故に見舞われてしまいました。

タイタニック号は、1912年4月10日にイギリス・サウサンプトンから航行を開始し、ニューヨークへと向かいます。

悲劇は出航からわずか4日後、4月14日に発生しました。午後11時40分、タイタニック号はカナダ・ニューファンドランド沖を航行中に氷山と衝突。船体に開いた傷から、大量の海水が船内へと流れ込みました。

衝突から約2時間40分後の翌4月15日午前2時18分、タイタニック号は海に沈み、乗客2200人あまりのうち、1,500人を超える人々が死亡しました。

沈没したタイタニック号が発見されたのは、事故から73年も後のことでした。

映画では、タイタニック号を忠実に再現

『タイタニック』の撮影は、実際に沈没したタイタニック号とほぼ同等の実物大セットで行われました。

東京ドーム3個分を超えるサイズのスタジオの新設と、タイタニック号のレプリカの建設は、スケジュールの都合上なんと100日間で行われ、総工費は4,000万ドル以上にものぼりました。

またジェームズ・キャメロン監督は『タイタニック』制作のため、海底約4,000mに沈むタイタニック号を、潜水カメラで12回も撮影。

映画『タイタニック』は、リアリティーと映像の質に対する、監督の強いこだわりによって実現されたのです。

タイタニック号が沈没し、多くの犠牲者を出した理由・背景

  • タイタニック号が沈没した原因

    不沈船と呼ばれたタイタニック号は、なぜ海底へと沈んだのでしょうか

出航からたったの5日で沈没したタイタニック号。

氷山との衝突が一番のきっかけではありますが、なぜ衝突してしまったのか、なぜ沈没し1,500人以上の死者を出すことになってしまったのか、その要因と考えられる項目を紹介します。

救命ボートの不足

タイタニック号に搭載されていた救命ボートはおよそ1,180人分。対して乗員乗客は合計2,200人超と、約1,000人分が不足しています。

必要な数の救命ボートを搭載しなかったのは、救命ボートを増やすと甲板が雑然として景観が良くないこと、そしてタイタニック号が当時の最新技術を駆使していたからだといわれています。「不沈船」との呼び名が過信を生み、安全性の確保を妨げる結果になったと考えられています。

また、避難に使用された救命ボートのうち、ほとんどが定員数未満の状態でタイタニック号から離脱していました。初めに船から避難した救命ボートにいたっては、定員数65人を37人も下回る28人しか乗っていなかったそうです。

乗組員は救命ボートの訓練を受けていなかったため、救命ボートに65人を乗せても安全だということが分からなかったのです。

人為的ミスによる氷山の見落とし

タイタニック号には、周囲の状況などを確認する見張り担当の乗員がいました。遠方まで見渡せるよう双眼鏡を使用しながらの見張りとなる予定でしたが、実際は目視での確認だったそうです。

双眼鏡を使用するには、収納場所である戸棚の鍵を開ける必要がありました。鍵はある乗員が所持していたものの、他の乗員に手渡すことを忘れてしまうミスを犯してしまいます。タイタニック号の乗員たちは鍵を探すも見つからず、やむなく自分たちの目を頼りに航行することとなりました。

タイタニック号に衝突した氷山は高さ31m弱。もし双眼鏡で周囲の状況を確認できていたら、船に接近する氷山を認識できた可能性は少しでも高まったでしょう。

石炭倉庫の火事によるものとする説も

タイタニック号船内の石炭庫で石炭が自然発火し、出航時にはすでに小規模な火災が発生していたのではないかとの指摘もあります。これは、事故の前に撮影された、タイタニック号の写真からの推測です。

そして火事のために、石炭庫の外板部の強度がもろくなっており、氷山との衝突によって浸水・沈没につながったのではないかという説があります。

『タイタニック』の登場人物には、実在のモデルがいるの?

  • 『タイタニック』登場人物の実在と生死について

    映画の登場人物には、実在した人物と、架空の人物がいます

タイタニック号沈没事故の実話を題材とした『タイタニック』。作中に登場する人物の中には、実際にタイタニック号に乗り合わせていた人々も複数いるといわれています。

ジャック

レオナルド・ディカプリオ演じるジャックは、画家になる夢を持ち、新天地アメリカを目指す青年。

映画を彩る最重要人物の一人ですが、実は架空の人物です。

ローズ

ケイト・ウィンスレットが演じたローズは、上流階級の娘であり映画のヒロインです。身分の異なるジャックと恋に落ちます。

ジャックと同じく架空の人物ではありますが、ジェームズ・キャメロン監督によると、アメリカの芸術家ベアトリス・ウッドのイメージで描かれたそうです。

演奏家たち

『タイタニック』には演奏家たちが登場します。実際にタイタニック号に乗船していたのは、バンドマスターのウォレス・ハートリーを含む8人のメンバー。

乗客の不安を拭い去るべく、沈みゆく船の中で『主よ 御許に近づかん』を演奏し続ける印象的なシーンも、本当にあった出来事の一つ。演奏は船が沈没するまで続けられ、演奏家全員が死亡しました。

老夫婦

ベッドの上で手を握り、船とともに海へと沈んでいく老夫婦も、ジェームズ・キャメロン監督いわく実在の人物。百貨店メイシーズの経営者である67歳の夫、イジドー・ストラウスと、63歳の妻、アイダ・ストラウスの2人です。

タイタニック号が沈没することを知った2人は救命ボートのもとへ。乗船を促されたものの、イジドーは女性と子供が全員避難するのが先との理由で断ります。

夫の気持ちを知ったアイダもイジドーとともに船に残り、2人は大波にさらわれました。目撃者の言葉では、イジドーとアイダは海に投げ出された後も抱き合ったままだったそうです。

2人が実際に亡くなったのは客室のベッドの上ではなくデッキでしたが、『タイタニック』で描かれる2人の強い愛は本物と違いません。

女性活動家

『タイタニック』でキャシー・ベイツ演じるマーガレット・ブラウンは実在の人物であり、タイタニック号沈没事故の生存者です。後に「不沈のモリー・ブラウン」と呼ばれました。

タイタニック号から無事避難した後、彼女は活動家として女性の参政権支援に向けた取り組みを開始。アメリカ合衆国上院議員になるべく立候補したものの、残念ながら落選となりました。

マーガレット・ブラウンをモチーフにし、実際の沈没事故を交えたミュージカルや映画『不沈のモリー・ブラウン』も制作されました。

三等客室の乗客たち

タイタニック号には一等客室から三等客室まで3つの等級がありました。

うち最も等級の低い三等客室は船体の奥に位置しており、デッキに出ることさえも難しかったとされています。

三等客室より一等客室にいた人々の方が、生存率が40%高かったそうです。

船長

『タイタニック』にてバーナード・ヒルが演じたエドワード・ジョン・スミス船長も実在の人物です。

彼はイギリス海軍将校で、乗船経験は数十年以上。世界トップの経験を誇る大ベテランであり、タイタニック号の処女航海の後、引退が決まっていたそうです。

乗船犬たち

タイタニック号には実際に、乗客と一緒にペットの犬も多く乗船していました。

船から避難する際に飼い主たちはペットを連れて行こうとしましたが、救命ボートに乗れるのは人間が先。ペットと離れ離れになるのを嫌がり、船に残った飼い主も少なくなかったようです。

乗船していた犬のうち、タイタニック号から生還したのはわずか3頭。資産家のポメラニアン2頭と、出版社の経営者のペキニーズ1頭です。3頭とも小型犬だったため、周囲にバレないよう毛布やコートで隠して救命ボートに乗り込むことができたといわれています。

タイタニック号沈没のその後は? 生存者はどうなった?

  • タイタニック号沈没の後日譚

    タイタニック号沈没事故後に起きた出来事などを紹介します

沈没するタイタニック号から無事生還を果たしたのは約700人。悲劇の事故に巻き込まれた人々はいかなる運命をたどったのでしょうか。タイタニック号のその後についても見ていきましょう。

生存者とその後

ヴァイオレット・ジェソップは船上看護師として乗船していた客室係で、タイタニック号の生存者の一人です。

彼女は責任感が強く、乗客のことを優先して考え行動する女性でした。事故が発生したときも英語が通じない乗客を救命ボートに誘導し、航海士から手渡された、親とはぐれた赤ちゃんとともに自らも乗船しました。

悲惨なタイタニック号沈没事故を経験したヴァイオレットですが、その後も船上勤務を継続します。

事故から4年後の1916年にはブリタニック号の沈没事故に遭いますが、再び生還しました。ただし事故により頭部に大きなケガを負ってしまったそうです。

それでも、63歳で引退するまで船上で働き上げました。

また、パン職人としてタイタニック号で働いていたチャールズ・ジョーキンも、数少ない生存者の一人。

乗客を救命ボートに誘導していて最後まで船に残っていた彼は、海に投げ出され、その後2時間、自力で泳ぎ続けて救助されました。

長時間冷たい海にいながら生還できたのは、沈没前に飲んだ大量のウイスキーによる効果、または手足を動かし続けていたからなどといわれています。

批判を受けた日本人生存者

タイタニック号の乗員乗客のうち約32%と言われるほど少ない生存者の中には、日本人も含まれていました。唯一の日本人生存者となった彼の名は、細野正文(ほそのまさぶみ)さん。ミュージシャンとして知られる細野晴臣さんの祖父にあたります。

細野正文さんは1910年、当時勤務していた鉄道院(現JR)の海外留学1回生としてロシアやドイツ、フランスを視察しました。世界各国の鉄道事情を調査した後、アメリカ経由での帰国を予定し、1912年4月にタイタニック号へと乗り込みます。

沈没事故が発生した際、死を覚悟していた細野さんでしたが、10号ボートから避難し生還。日本に帰ってきたときには、事故から無事に帰国した奇跡の日本人として、国民から祝福されたといわれています。

日本中が歓迎ムードに包まれる中、事故当時は女性と子供から先に避難させていたとの事実が国内に広がりました。同じく日本に伝わってきた、「救命ボートに日本人が無理やり乗った」という、生存者の証言とともに状況は一変。日本国民からのバッシングが強まり、細野さんは退職に追い込まれることとなります。

誹謗(ひぼう)中傷を受けた細野さんは、弁明することなく、家族にすら事故の多くを語らないまま、この世を去りました。

しかしその後の調査により、生存者が「日本人」と証言した人物は彼ではなく、別のアジア人であったことが判明したのでした。

最後の生存者は2009年に死亡

タイタニック号における最年少生存者であったミルヴィナ・ディーンは、当時生後2カ月。

その後、2009年に97歳で亡くなった彼女は、タイタニック号の最後の生存者として知られています。

海底のタイタニック号の現在

沈没事故の直後から捜索が開始されたタイタニック号ですが、船体が発見されたのは1985年。事故発生から73年後のことでした。船の残骸からは工芸品など約6,000点もの品物が見つかったそうです。

海の底に沈むタイタニック号は、今もバクテリアによりゆっくりと浸食されています。徐々に劣化が進み、2030年までに消滅するとされています。

そもそも映画『タイタニック』とは

映画『タイタニック』が公開されたのは、約四半世紀前となる1997年。上映時間189分の長編作品です。出演者にはレオナルド・ディカプリオやケイト・ウィンスレットらが名を連ねています。

1998年に開催された第70回アカデミー賞において、14部門にノミネートされた作品です。作品賞を含む計11部門を受賞しており、不朽の名作として今もなお高い人気を誇ります。

監督は映画『ターミネーター』『アバター』などの作品も有名なジェームズ・キャメロン。監督、制作、脚本、編集まで担当し、アカデミー賞では監督賞と編集賞を受賞しました。なお編集賞はコンラッド・バフとリチャード・A・ハリスとの共同受賞です。

【第70回アカデミー賞において『タイタニック』が受賞した賞】
・作品賞
・監督賞
・撮影賞
・編集賞
・作曲賞(ドラマ)
・衣装デザイン賞
・美術賞
・視覚効果賞
・音響賞
・音響効果編集賞
・主題歌賞

2023年2月には、劇場公開25周年を記念した3Dリマスター版が公開され、大きな話題を呼びました。

タイタニックにまつわる裏話

  • タイタニックにまつわる小話

    タイタニックにはさまざまなトリビアがあります

あまりにも物悲しい話として、今日まで多くの人々が涙したタイタニック号事件や映画『タイタニック』。それらにまつわるエピソードを紹介します。

タイタニック号事故は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にも登場していた?

宮沢賢治の代表作の一つである『銀河鉄道の夜』。孤独を感じていたジョバンニが友達のカムパネルラと銀河鉄道に乗って旅をしながら、生きる意味について考える、幻想的な物語です。

この銀河鉄道は、いわゆる死後の世界へ向かう列車だったと考えられていますが、作中では、氷山とぶつかった船に乗っていたとされる3人が乗車しています。船に乗車していた男の子には、服や髪の毛が濡れている描写があります。

実はこの氷山とぶつかった船とは、タイタニック号のことではないかという考察があるのです。

タイタニック号が沈没した当時、宮沢賢治は15歳で、日本でも新聞などで大々的に報道が行われていたそうです。この衝撃的な事故の報道にまつわる記憶を、宮沢賢治が作中に盛り込んだとしても不思議ではありません。

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映画『タイタニック』の主人公のキャストは、別の俳優である可能性があった

もともとジェームズ・キャメロン監督は、『スタンド・バイ・ミー』でも有名なリヴァー・フェニックスをジャック役に考えていたそうです。しかしリヴァーがオファー前に亡くなってしまったため、オーディションが行われました。

当初、制作会社が第一候補として挙げたのはマシュー・マコノヒー。他にもブラッド・ピットやジョニー・デップ、マコーレー・カルキンらが候補となっていたそうです。

一方、ヒロインのローズ役にはグウィネス・パルトロウやユマ・サーマン、ウィノナ・ライダーなどの名前が挙がりました。その他アンジェリーナ・ジョリー、シャーリーズ・セロン、ジェニファー・アニストンらも候補だったとされています。

映画『タイタニック』の撮影秘話

水中シーンの撮影において、スタッフはローズ役のケイト・ウィンスレットに対して、ウエットスーツの上に衣装を着た状態での撮影を提案。

しかしケイトはリアリティーを追求するため、ウエットスーツの着用を拒否し、衣装のみで撮ることになりました。冷たい水の中での過酷な撮影後、ケイトは体調を崩してしまったそうです。

船からの脱出を図る場面では、レオナルド・ディカプリオに悲劇が。三等客室からデッキへのゲートをベンチで破壊する際、肩にケガを負ったとのエピソードもあります。

事故を題材とした映画は他にも

実は、ジェームズ・キャメロン監督による『タイタニック』以外にも、タイタニック号沈没事故と関連のある映画はいくつかあります。

まず『Saved from the Titanic』。1912年5月公開の無声映画で、事故からわずか1カ月足らずのタイミングでした。主演には事故から生還したドロシー・ギブソンが選ばれています。

その他、1953年の『タイタニックの最期』は、第26回アカデミー賞脚本賞を受賞しています。また1980年には『レイズ・ザ・タイタニック』が、アメリカとイギリスの合同で製作されています。

映画『タイタニック』は実話とフィクションが融合した壮大なストーリー

公開以来、世界中の人々に感動を与え続けてきた映画『タイタニック』。

今も暗く冷たい海の底で眠るタイタニック号の悲しき実話と、ジェームズ・キャメロン監督の練り上げた緻密なストーリーを織り交ぜた作品として再度見てみると、また新たな楽しみ方ができるでしょう。

当時タイタニック号に乗船していた方々に思いをはせつつ、映画を堪能してみてはいかがでしょうか。