純粋なものと不純なものの差が激しいのが大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)である。織田信長(岡田准一)が“弟”として大切にする浅井長政(大貫勇輔)の裏切りが発覚した第14回。長政の妻で信長の妹・お市(北川景子)の侍女・阿月(伊東蒼)が命を懸けて徳川家康(松本潤)に「お引き候へ」という伝言を届けた感動回だったが、阿月が純粋であればあるほど、反対に不純さが際立ったのが木下藤吉郎(豊臣秀吉/ムロツヨシ)である。

  • 『どうする家康』木下藤吉郎(豊臣秀吉)役のムロツヨシ

藤吉郎、のちの豊臣秀吉ってこんな人だったか? いや、秀吉といえば本来、三英傑のなかでも人気者である。

農民出身の勉強家で、信長の草鞋を懐で温めたことで立身出世の緒を見出したという伝説がテッパンの、庶民のヒーローなのである。大河ドラマでもこの間まで再放送していた『おんな太閤記』では西田敏行が愛嬌たっぷりに演じていたし、大河の秀吉といえば『秀吉』の竹中直人。彼の秀吉が強烈で、秀吉のイメージを確立したと言ってよく、その後も秀吉を演じていた。『真田丸』では小日向文世。知的で不思議な人たらしの魅力があった。直近では『麒麟がくる』の佐々木蔵之介。しゅっとした知的な二枚目秀吉を演じた。それぞれ個性があって、いいところもあればいやな面もあり、突き詰めていくと欲や業の深い人物ではある。

ムロツヨシ演じる秀吉は、権力を手にして徐々に変わっていく部分を、最初からそういう面があった人物としているように見える。まだ何者でもなかった真面目で努力家な人物が権力を手にしたら変わっていくのではなく、もともとそういう人だったという風に。

最初に出てきたとき、柴田勝家(吉原光夫)に蹴られてもへらへらしていて、いくらでも蹴ってくださいとまで言うほどで(第4回)、バカにされるとすぐかっとなる正直者の家康とはどえらい違いだった。へらへらは何を考えているかわからない底知れない不気味さでもある。女性に目がないところも視聴者の不評を買っている。

第14回では長政の攻撃に対抗するしんがりを命じられると、絶望して大騒ぎ、家康を巻き込もうとして「クズじゃな、お前は」と罵られる。でもそんなこと言われても平気なのが秀吉である。

こんなにいいとこなしの秀吉でいいのか。もしかしたら、あとからいい方向に裏切ってくれるのではないか。せめて実はいい人だった――という過去があとから出てこないだろうか。一縷の望みにかけたいわけは、演じているのがムロツヨシだからである。

1月期のドラマ『星降る夜に』(テレビ朝日系)では、登場時はものすごく怖そうな人物で主人公を追い詰める役だったが、あとからがらりと変わって、いい人になった。そもそも、『星降る夜に』の脚本家・大石静氏の書いた『大恋愛~僕を忘れる君と』(18年/TBS系)でこのうえもなく素敵なヒロインの相手役を演じたことで、それまでの軽妙なバイプレーヤーという印象を一新し、喜劇的なこともやれるし、二枚目もできる幅広い俳優という評価を欲しいままにしたのだ。

ムロツヨシは演劇活動をきっかけに、2000年代前半、演劇好きで目利きの本広克行監督の映像作品に抜擢されて注目されるようになり、小栗旬初監督作『シュアリー・サムデイ』にも主要キャストで出演し、ヒットメーカー・福田雄一氏の『勇者ヨシヒコ』シリーズでさらに注目されていった。10年代以降、人気俳優として息長く活躍しているわけは、トーク番組などで見せる自分を売り込むことに長けている面も大いに機能したであろうし、それだけでなく、おもしろい俳優として消費されず、シックな役もできるという実績を作って未来を作ったからだろう。芸能界をうまくサバイブできているのだ。そこを戦国時代をサバイブした秀吉と重ねることもできるだろう。

弱肉強食の世界を生きるために少しずつ変態(形態・状態・生態などが変わることの意味)していくように、『どうする家康』の秀吉も、なにかのきっかけで変わらないだろうかと期待するも、主人公・家康と秀吉は戦うことが宿命づけられているわけだから、最後まで秀吉に視聴者が思い入れるようにはならないかもしれない。だが、それにしたって下衆すぎないか。

『どうする家康』の秀吉は嫌いでも、ムロツヨシが立派だと感じるのは、俳優によっては、印象のよくない役であっても、どこかにちょっといいところもあると感じさせるように演じる俳優もいるなかで、ムロツヨシはそれをしていないように感じるところだ。徹底して感情移入されない、人間的にいやなところしか見せないように、あくまでも家康の目に映る、いや~な感じの人物として演じきる。

第14回では、死を覚悟して藤吉郎が「おっかあ おっかあ」と母を恋しがる人間的なセリフもあったが、情よりもそのあとの開き直りに焦点が当たる。たぶんそれが脚本家の意図だと理解しているのだと思う。秀吉は戦がいかに人の感覚をおかしくするか、その象徴のように見える。

家康は藤吉郎と一緒に戦うのは気が進まないが、阿月の死に報おうと、秀吉を援護して長政と戦い、信長を守ろうと考える。秀吉がずるくて欲深い、人間のいやな面を見せたからこそ、阿月の利他的な心はこのうえなく美しく見えた。さらに、そういう阿月の心を大事にする家康の株も上がるのである。

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